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3年半前のわたしへ:卒業できたよ。【台湾での大学生活を終えて】

私、大学を卒業しました!!!!おめでたい~~!おめでとう!🎉
(まあ授業とテストは24日まで続くんだけど、式が一応今日だったので)

振り返るに値する大学生活だったかと言われると、なんかもう思い出したくない……みたいな気持ちが強い、というのが本心ではあるけど。
そして時系列で振り返るには記憶が曖昧な部分がおおすぎるので、今思っていることをただ羅列するnoteにしようと思います。なぐり書きシリーズ。

よくがんばりました

毎日苦しくてすこしでも気をゆるめるといつも涙が出そうだったわたしへ。
時間はかかったけど、ちゃんとたのしい時間もあって、ワクワクしたり、キュンキュンしたり、時にはまあイライラしたり悲しくなったりもしたけど、私はちゃんとここでの4年間を終わらせることができたよ。信じられる?

たよれる人なんかいない!って思ってると思うけど、私は(ありがたいことに)(環境としても、能力としても)自分で「決める」ことができたし、決心すればそれを応援してくれる人を見つけだせたし、選択を積み重ねていった結果、自分がいちばん頼れるようになるから大丈夫です。まあ、そうならざるを得なかったとも言う。

当時のわたしも、いまの私も、ぱっと考えつくよりもずっと「どうにでもなる」場所にいさせてもらっていると思う。その理由が、自分自身が積み重ねてきたものだけではないことは明らかだけど、だからって自分を過小評価しないでほしい。感謝を忘れないこと・謙虚でいることと、いま居る場所で毎日を過ごしている自分を否定することはちがうんだと思う。

何はともあれ、よくがんばったね。あのときはずっと、がんばれないことがつらかったけど、そのつらさに向き合っている時点で頑張っていると思います。ほんとにおつかれさま。

"日常"をどう定義するか

1年ほど前ひさしぶりに日本に「帰った」とき、関空でのワクワク感に、心がおどるってこういうことかー!となった。
そしてめちゃくちゃにエンジョイしているつもりだったけど、1か月くらい経ったら、だんだん……台湾に「帰りたい」みたいな感情に。

台湾にいるだれかに会いたいとか、台湾にしかないなにかが食べたいとか、そういうんじゃなくて漠然と、「なんか私ここじゃないかも」って思ったんですよね~~…。

それは、私にとって「生活する場所」はもう台湾なので(そりゃあ3年近く住んでたのでね)そこにある日常、そこにしかない自由に心地良さを感じるようになっていて、
「異文化適応曲線」でいう「適応」にたどり着けたのかな、というね。

久しぶりに中高時代の友人と話すとさ、いまだに「この子と私、遠くなったなあ(概念)」と思うことがままあるけど、
もともと割と近い日常を送っていた複数人が、それぞれ異なる日常を手に入れるまで、どんなことを経験してどういうふうに適応してきたのか、ってすごい興味深い。

かと思えば、ぜんぜん違う毎日のなかで、感じていることは実は似ていたりね。おもしろい。

このツイートめちゃくちゃ好きなんですけど(論点ズレ?ゴメン!)、
私は非日常と日常とを切りわけずに、同一線上にあるものとして楽しめるようになりたいです。非日常も日常も等しく現実なのでね!

彼に出会うために私は台湾に来たのかもしれない

と思える友人がひとりいる。
大学2年生の終わり(2020年夏)、コロナの影響で帰国できないからって始めたアルバイト先の飲食店で知り合った人。

すごく自然に気が遣えて(気を遣わないという気の遣い方ができるのって本当にすごい)、自分とは誰か、自分が何をしたいのかを知っているようで(冷めているように見えるのはきっとそのせいなんだと思う)、他人の情緒に影響をうけてないように見せることができて。
常に頭は色んな考えで、心はいろんな感情であふれかえっている私とは対照的に、いつでも穏やかな優しさと強さを、冷たい振る舞いにのせているような彼のことを、今の私は多分尊敬してる

まあ一時期はそういう文脈で好きだったけど、終わりが見える関係性にしてしまうほうがもったいないと思えるほど出会えてよかった(まあ望みもなかった)
あーーー、彼の言葉や存在に何回救われたんだろう。彼のおかげで私はどれだけ変われたんだろう。私が彼の素敵な友人になれていたかは知らないけど、そんなの関係ないって思えるほどの自分勝手さを持っていいと教えてくれたのも彼だからこれでいい。

私の台湾さいごのご飯は、全然おもしろくないけど、彼と鼎泰豐のトリュフ入り小籠包(と他にも色々)を食べました🧡
LINEもigも知ってるのに「また台湾にきたら使えるから」って電話番号書いたテレフォンカードくれたの、本当に彼らしすぎてカワイイ。彼ももうすぐ台湾を離れる予定なので、私の入社前旅行も兼ねて、その国まで会いにいくぜ~と思っています!!!なのでテレフォンカードを使って再会は何十年後にとっとくね!()

縁はどこからつながるかわからない

学校に友人はガチで少ないんだけど(本気)、学科にひとり、授業が被ればいつも隣の席に座ってくれていた子がいる。

最初は大学一年生のころ、学科は違ったけどちょっとした課外活動で偶然知り合って、私が転科したときにたまたま同じクラスで、そこからずっと仲良くしてくれている。
私は学業に関しては、「自分がやりたいことを、自分が満足いくまでやる」ようにすることで割り切っていたんだけど、いつも責任感があって"ちゃんとしてる"彼女の存在にずっと助けられてたな~~。彼女も彼女で淡泊、というか落ち着いている?情緒が安定してる?から、そこにもかなり救われていた。

あとは私と同じ趣味なので(アイドル)その話が直接できる人がいるっていうのも本当にうれしかった。遊びに行ったりしたことはないんだけど私にとっては間違いなく親友!大親友!

彼女とは次どこで会うんだろうな。ライブを一緒に見に行けたらいいし、私が台湾に遊びに行ったときでもいいけど、絶対に久々感なく楽しい時間があっという間にすぎるんだろうな。

結局自分でしか歩けない

歩くための道を整備してくれたり、歩きやすい靴を準備してくれたり、折れそうなときに励ましてくれたり水をくれたり、ときには手を引いてくれたり、という周囲の環境や状況がどうなっているかや、
晴れているのか雨がふっているのか、蒸し暑いか凍えそうに寒いか、といった前提条件みたいなところって、正直不公平だと思っていて
私は(自分が、恵まれているという事実に助けられながら、なのにそれ自体にも苦しみながら、)この社会において、そこの差をうめていくためのこれからにしたいと思っている。

それと同時に、どれだけ不公平であっても、結局前に進むのは自分でしかない=歩くかどうか、という判断をするのはもしかすると自分じゃないかもしれないけど、歩かされていても歩いているのは自分だ、ということが、今の私にとっては事実に見えている。
変わるかもしれないし考えは変わりゆくものだという前提に立ちたいので曖昧な言い方しかできない~~~~。断定表現がずっと苦手

だから立ち止まって"しまう"じゃなく、立ち止ま"れる"のも自分だけの特権なのかな、とも思ったり。


そんなこんなでもう書きたいことは書いたので突然終わりにしますね。読んでくれてありがとうございました。スキだと思ったらスキしてね🧡

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