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ヴィパッサナー瞑想合宿行ってきたよ

10日間のヴィパッサナー瞑想合宿(at 千葉)に参加してきました。その本来の目的や、何が行われているのかなど、なにも知らないまま(10日間も瞑想しまくったらなにが起きてしまうんだ……)という思いだけ持って行きました。長くなって面倒なので、日程や細かい出来事は他の人に任せます。合計すると11泊12日もあるのですから。色々なことがありました。書きたいことだけ書きます。

1日の美しさを感じられたこと。施設はメルヘンな童話のような場所でした。涼しい風と綺麗な青空、小高い森に囲まれ、鳥がさえずり、野原には蝶が飛び、虫があるく。人がのんびりブラブラしている。本当に(異世界に来た!)と思いました。この合宿中ずっと、晴れるたびに飽きることなく驚いていました。さらに朝日や夜空も良い。人生で初めて1日の移ろう美しさを感じました。朝日の美しさとか、自然の木々の美しさではなく、太陽が回ることで変わっていく温度や湿度、日差しや陰影まるごとの美しさを一瞬一瞬感じられた気がします。

写真を編集した。こんな感じに見えた

この合宿では、10日のうち9日間全てのコミュニケーションが禁止されます。師匠的な人への相談はできますが、それ以外は互いに無視、無言、沈黙。でもこうやってコミュニケーションを禁止することで逆にコミュニケーション能力が上達した気がします。
無視することは許すことであり、相手に自由を生む。
これを僕は体感しました。これはイジメとかにある、コミュニケーションをとりたいのにされる無視ではない。話しかけても無視されたらそれは傷つく。そうではなく、気にしないで欲しい、放っておいて欲しいときにされる無視のことです。
この合宿中には、毎日数時間の休憩があります。みんな散歩したり景色を見たりしている。僕は虫を観察したかったのですが、しかし、しゃがみこんで虫を見ている人はいない。少し人目を気にしながらしゃがみ、僕は変な目で見られてないかどうか見渡してみた。でも、誰も気にしていなかった。それぞれ自由にしていた。僕は信頼されている、許されていると思いました。体がすごいリラックスしました。今回はそういうルールがあったから無視しただけで、内心で何だあいつはと思っていたかもしれません。しかしそうであっても、気にしないで欲しいとき、放っておいて欲しいときにちゃんと無視されることは自分への信頼や許可のサインに感じました。自分がそうなら相手も同じはず。「気にしないで」という空気を感じたら全力でそいつを無視する。チラリとも見ない。それがそいつに自由を与える。


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