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結局、すべては「感じる力」なんじゃないか?

スキルとか才能とか適性とか、いろいろあるけれど。
何をやるにしても、すべての基になっているのは「感じる力」なんじゃないかと思う。

僕らは、日々いろいろなことに取り組んでいる。
絵を描くとか、音楽を作るとか、事務や企画の仕事をするとか、何かの勉強をするとか、家事をするとか、あらゆることを。

その中で、僕らは無意識的に無数のPDCAを回している。
これをやってみて、こうなったなら、次こうしてみよう。と。

そのサイクルで、何かを済ませたり、やり遂げたり、成果を出していくのだけれど、同じようにやっていても、結果や行き着く先には大きな違いが出たりする。

その違いの大きな要素が、感じる力なんじゃないか思う。

やってみた感触、こうなったと出てきたことから「何を感じるか」。

それによって、次のこうしてみようの内容や選択が変わってくるということは、大きいことなんじゃないだろうか。

そして、それをずっと繰り返していくのだから、結果や行き着く先が違ってくるのは当然なのかもしれない。

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誰かと会話している時に、相手のちょっとした表情や言葉のニュアンスを感じ取れるかで、自分が選ぶ言葉も話す内容も変わってくる(その後の相手との関係は大きく変わってくることもあるだろう)。

学生のころ、テニスコーチをアルバイトでやっていたけれど、はじめたばかりの人でも、身体能力は関係なく、上達が早い人は、自分の状態や打ち方が違うところ(違和感を感じる箇所)に敏感な人だった。

田植え体験をグループでしている時に、足元にいるアメンボやオタマジャクシは見えるけれど、もっと小さい名前もわからないような虫や微生物がいるのに見えない、感じられない人がいるという話を聞いた。

ハーバード大学の美術史の講義で、最初に与えられる課題は、スマホなどをロッカーに仕舞い込み、美術館に行って絵画か彫刻をひとつ選び、それを3時間ずっと見続けることと聞いた。
最初は強い忍耐力が必要になるけれど、時間が経つにつれて、今まで見えてことなかった陰影や細やかな構成、重ね塗りされた厚みの違いなどが徐々に感じられていくそうだ。

映画監督やアニメ作家は、若い時に衝撃を受けた作品を、擦り切れるほど繰り返し見たという人が多い気がする。
繰り返し見るたびに、いろいろなことを感じ、気付き、自分の中に何かを蓄積していったのかもしれない。

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感じたことは、言語化できないことも多いと思う。
「もやー」と感じる、なにか違うな・・という違和感とか、ここには何かありそうだぞ・・という期待感。いろいろなものがあるだろう。

そうしたものを、どうにかして自分の中に残しておくと、後でそれがクリアに解明できたりするし、そこに自分の大切な何かが潜んでいるようにも、なんとなく感じている(まさしく、感じる力だw)。

世の中で定型化された資格や立場、スキルももちろん大事だけれど、こうした感じる力は、すべての根源にあって、とても大事なように思う。
そして、それは人間が本来もっているようなものの気もする。

それにエッジを立てておくにはどうしたら良いか、鈍ってしまっているなら、どう鋭利に磨いてどり戻せばいいのか。

そんなことに興味があります。

ということで、こんな答えのないテーマは、文章で書くだけでなく、話した方が良いことも多いので、ラジオで話したいと思います。

出たとこ勝負のライブトーク、この後すぐ6/30(日)21:00からです。


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