私の詩とKのこと
私は10代から20代は詩を書いていた。
レールから降りて、いや、踏み外して、迷走した自分には一体何ができるのかわからず、社会に出れないんじゃないかともがきながら。
膿を絞り出すように、一番根っこのところを掻き出すように詩を書いていた。
思春期の恥ずかしい黒歴史とは違う。
私は自分が書いた詩を読んで、今でも癒されたりする。
こんなに私を的確に理解してくれる文章が未だにないから。
精神的自慰行為のようで恥ずかしいけれど。
私だけのものとして残しておいている。
詩を書いて食べていけるはずもなく、悶々としていたら、Kに言われた。
何のために勉強してきたの?と。
何だかムカついて、火がついた。
書くことは好きだけど、詩を書く作業はあまりに苦しかった。
根っことつながらなきゃいけないから。
そして、客観的に書ける仕事を選んで、社会に出た。
Kは、人生論ノートと、アニーホールのDVDと、ケンコバがオールザッツ漫才で優勝した時のビデオをプレゼントしてくれ、「猫が行方不明」というマニアックなフランス映画に出てくるおばあちゃんがミヤコ蝶々にそっくりやろ、と言ってくれる、希少価値が高すぎて困った男だ。
ウッディアレンとダイアンキートンみたいなカップルになろうね、という洒落た約束で、あなたを好きになりすぎたわよ。
あなたを超える人なんて、現れないわよ。
まったくもう。
Kも社会人になって、私も社会に出て、私たちは変わっていった。
仕事の思考回路が染み付いてしまった。
それでも、どうにか繋がったままでいられないか必死だった、と思う。
私はKがいなくなったら人生が終わると思っていた。
それを口にはしなかったけれど、直感的に分かっていた。
そして10年後、私の人生からKは完全にいなくなった。心臓をえぐるような行動と言葉でとどめをさしてくれた。
ある意味、あれで私の人生は本当に終わったと思うが、今も息はしている。
依存しちゃって弱い私で、本当にごめんね。
父親の愛を知らない私が、無償の愛をあなたに求めてしまって、本当にごめんね。
あなたを大切にできなくて、不器用なあなたに、必死に成長するあなたに、甘えてしまってごめんね。
これだけは息をしているうちに伝えておきたいけど、自己満足に過ぎないので連絡はしないでいる。
大嫌いな父親にお金をもらうために我慢して一緒にごはんに行かされてた私は、Kに甘えた結果痛い目を見た私は、とにかく経済的自立をしないと不安で押しつぶされ、自由を奪われてしまうと、恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。
安定した業界に転職して、自分を殺して、ペルソナを作り上げて、耐えて耐えて、やっと今。
私はこれだ、という仕事は見つかったけれど、詩はもう書けなくなった。
もう書けない。
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