かんがえごと8
私という人間は、日々飽きもせず色々なことを考えてしまう。
よって、定期的に放流していかなければいけない。
※これまでと同様、読みにくい文章が並ぶと思います。書いた時の心境をそのまま残したいので、推敲を控えております。何卒ご理解ください。
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【漣】
生後何ヶ月目かから2歳くらいまで、私は海辺の街に住んでいた。(あんまり覚えていないけど。)
そして私が小学校高学年になるまでは、祖母の家は鎌倉の海辺にあった。
それが一体何だというのだと言われそうだけれど、上記の二つの事柄によって、私にとっての海のイメージが形成されたように思えるのだ。
(きっとこういう記憶に残らないほどの記憶や、かろうじて覚えている程度の記憶によって形成されたイメージ[印象、空想、その他]はあると思う。)
例えばこんなイメージ。
・私は海で失くしてしまったものは、遠い未来、自分が骨になって誰の記憶にも残らず忘れ去られたその後で、必ず浜に戻ってくるのだと信じている。
・遠浅の海が深くなる地点にはたくさんヒトだったものたちが魚と戯れていて、いつでも陸の私たちが帰ってくるのを待っている。歓迎してくれる。
・大きな貝殻を浜で見つけるのは難しい。
・桜貝は誰かの小指の爪。
【最近はずっと死ぬことばかり考えている】
はい。
【12/17】
12/17の20時半ごろ、私は労働を終えて最寄駅から歩いていた。駅からまっすぐ歩いていくと県道へと突き当たり、そこを渡ってさらに進み坂を登ると、やっと自宅に着く。
今回はその県道での出来事。
大きめで比較的まっすぐな道路は遮るものがないので先の空の見通しが良い。(道路だから当然なのだけど、私はいつもこのことに感動している。)
そんな道路の先に、大きな三日月が舟のような角度で浮かんでいた。
かぼちゃみたいなオレンジ色でとてもとても綺麗だった。
もう少し気力があったら、歩道橋を登って県道の真ん中から眺めることができたのだけど、疲れていたので断念。
やはり月は上り始めや落ち始めが大きく見えて素敵。
月がよく見える街や家は本当に良い。
天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ
(万葉集 巻七 一〇六八 作者不詳)
何年、何十年、何百年、何千年と経とうとも、人の心の機微に然程違いはないのかもしれない。
時代によって文化や価値観は変わる。
それでも変わらないものがあるとしたら、それは人の心や感情といったものなのだと思う。
もちろん、それらも文化や価値観の影響を非常に強く受け、その上で成り立つものではある。
しかしながら、根本的な感覚の部分では千年前の文学作品を読んで「この気持ちは全く分からない」と感じることはあまりないのではないか。
誰かを愛し、恋しく思う和歌や何かを嫌だと感じる気持ちを綴った文章等、もしそれらの感情が時代によって全く異なるというのであれば、奈良時代、平安時代の作品はとっくに失われている。
そうした作品が残っていること自体、変わらないものの証明なのかもしれない。
【創作意欲】
確実にインプットが足りなくて、何も思い浮かばない時期。
意欲はあるけど、アイデアが浮かばない……
苦しい。
【白岳】
熊本の米焼酎。美味しい!
レモン汁入れてハイボールにするのがおすすめ。
【七味】
私が家族の中で一番帰宅が遅かった日の夕食が豚汁だった。
嬉しくて、あっつあつの豚汁にネギと七味を入れようとしたら七味がない……!!!(詰め替えストックもなかった……)
結構ざんねんでした。
【大掃除】
12/27、晴れ曇り。
朝から自室のカーテンを全て外して2回に分けて洗濯機を回し、その間窓のサッシや室内の掃除をした。
遮光カーテンを干すのが案外重くて(肩こりも辛くて)大変だった。
サッシの掃除をしていると手足が冷えてきたけど、晴れ間になるとこの時期にしては少し暖かくてなかなか良かった。ベッドの下の埃が多くて若干引いた(己よ…)。
この後でカーテンを元に戻す。頑張ります。
【年末】
本当に勘弁してほしい。嫌い。
【『ザリガニの鳴くところ』という映画 】
ノースカロライナ州の湿地が舞台。自然が美しい。
現行の裁判と主人公による過去の回想が交互に構成されている。ミステリーとしても面白い。丁寧な映画。
【『百花』という映画 】
菅田将暉さん主演の映画。「いつか忘れてしまうこと」がテーマ?認知症が進んでいくお母さんの演技がリアルで悲しい。
結構好きなタイプの映画だった。
どんなに憶えていたいと願った日々もいつかは忘れてしまう。ならどうするべきか。
【自己犠牲】
自己犠牲と誰かの力になることはイコールではない。
こんな簡単なことに気がつくのに、20年以上掛かってしまった。
【12/29】
生きてることに耐えられない。
SNSのアカウント(LINE、X、インスタ等)によって人格を切り替えてかろうじて生きてる。
もう何が悲しくて何が辛くて何が嫌なのか分からなくなった。
【1/4 AM 6:10 夜明けを見る】
私が辛かろうが辛くなかろうが、日々は過ぎ去るし社会は回るし、世界は終わらない。
仕事始めなのだろう、各々の仕事着を身につけた人々が電車を乗降するのを見て、知らない街のバスロータリーを何台もバスが出入りするのを見て、そう思った。
ぴったりな曲があったので共有する。
夜明けを待つのではなく、迎えにいく。
〈続〉
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