違国日記、二十億光年の孤独


「わたしの道はけわしく さみしく 標もなく 先行く人も共連れもなく だがその『何もない』ということこそがいずれ わたしが自由である証であり 標になるのだった」



違国日記の最終巻を読み終えたー!!この先何回も読み返して、その度にこの優しさと厳しさに助けられると思った。


笠町くんと槙夫ちゃんの衛星のように縮まらへん距離感は、村上春樹のスプートニクの恋人を思い出させた。衝突しないくらい、軌道を逸れて離れてしまわないくらいの距離で人を大切に思う。与えたのと同じものが返ってこなくてもいいと思う。血が繋がってなくても、恋人という言葉で表現できなくても、そんなことは関係ない。人と人がわかりあえへんなんてことはわかってて、ただ私は誰かのスプートニクになりたいだけなんやと思った。それでも、それでもと思ったその先に、誰かが居て欲しいだけなんや。





ラスト近く、醍醐の言葉は耳が痛すぎた。


昔友だちが「好きやから話し合ってまで、しんどい思いしてまで一緒にいたいんやん」と言ったとき、自分にその考えが全くなくて?????になったのを思い出した。ずっと、最初からそのためだけにあると思えるほどぴったりはまる関係こそ特別で、それが運命とかなんやと思いたかった。大切な人がいるみんなは、そんな人に出会えたんやと思おうとした。そうじゃなかった。



私は、誰かを大切にするためにしんどい努力をしたことも、心を砕いたこともない。衝突するよりも軌道を逸れて離れてしまうほうがこわいと思うほど、愛しく思うことに疲弊して後悔するほど。


いつか言葉が足りないと思えてしまうくらいの感情を誰かに抱けるやろうか。

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