24歳になったよ!人生懐古!




産んでくれてありがとうって親に言える日くるんかな、今んとこそんな日がくるとは到底思われへん。どんな人になっててほしかったかなあ。もう人生の半分以上あなたが居ないことになるよー!!!とお父さんのことを考える。



小学生のときにお父さんが死んで、そこからなんかが少しずつずれてるような、もともとそうなような。

中学の教師にはお父さんおらんのによう頑張ってると言われ、高校のとき付き合ってた人にはお父さんおらんからなんかなあと人格評価され、それならわざわざ言う必要もないかと思ったら、人生で1番仲良くなれた友達に偶然知られたとき、おまえのことなんも知らんかったんやと思って辛かった、でもおまえに対する解像度はあがったと言われ。


親一人おらんことが私のすべてを決めてるわけないやろと他人には怒るのに、お父さんが生きてたら自分は全く別の生き物やったような気もする。お父さんが亡くなったことだけを悲しみたいのに、自分の人生に及ぼされた影響に悲しんでる自分を自分が1番不快に思う。




小学4年生のとき、たぶんもっと前から、お父さんは痩せてりんごとコーヒーしか口にしてるところを見やんくなって、髪の毛もなくなって、でも死ぬとは思わへんかった。死ぬかもしれへんとも病気やとも教えてもらってなかった。でも確かに、今思えば変やった。



いつか忘れたけどある日、出掛けて家に帰ったらお父さんは自分でカミソリで頭を坊主にして、頭が傷だらけになってた。お母さんは変な顔してて、思い立ったなあと思ったのを覚えてる。家族が家におらん間に自分で坊主にしたん、どんな気持ちやったんやろ。1人で家で泣いたんかな。勝手な妄想。


お父さんの髪がなくなって、よく出かけるようになった。週末に急に川辺でキャッチボールしよって言ったり、家族でユニバ行ったり、なんでもないのに写真撮ったり。
死んだから伏線になって、成長するにつれてひとつひとつ回収した。完璧に回収できてるかなあ。回収できても生きてる人間都合の解釈やなあ。


中学に入る前、お父さんのパソコンからお兄ちゃん宛のメモが見つかった。お母さんがファイルを開いたけど、文字は1つも書いてなくて空のファイルやった。1文字でも意味のある言葉を書いてしまうとそれが伝えたい事のすべてみたいになってしまうよな、と勝手に共感した。共感したのは大学生になったとき。見つけたときはなんでもいいからなんか書けよと思った。


夏、テレビ画面からふと振り返ったらお父さんが「頭の中にニキビできてんねん。」って言った。その時期には脳に癌が転移してたらしい。それは高校生になってから気づいた。ほんまは死ぬかもしれへんって気づいてほしかったんじゃないの?死なへん!って自分を鼓舞するために内緒にしてたん?


冬の寒い日に、夜中に起こされてタクシーに乗せられた。病院に着いたらお父さん死んじゃったって。着いた時、心臓は動いてたけど、それはお母さんがゆすってたかららしい。聞き分けがいいんか気づいてたんか泣けてるお兄ちゃんとまだ幼稚園児でぼーっとしてる弟と、朝になるまでの時間は長すぎた。病院から家にお父さんと車で帰ったけど、家の車を運転してるのは叔父さんやった。うちの車でタバコ吸うなボケと思ってたら、葬儀屋が来た。お父さんが寝てる横にこたつをひっぱり出して一晩寝て、近くの自治会館で葬式して、すぐ焼いて、喉仏拾った。焼くまではすぐやったのに、お母さんがお骨を墓に入れると決心するまで2年くらいかかった気がするな。

若くして死ぬと葬式にはいっぱい人が来てくれると知った。お父さんが天国いけるように線香の煙途絶えへんようにしてなって、禿げてるけどお父さんではない男の人が言うから、天国なんか行くなと思いながら、寝ずに線香に火をつけ続けた。勝手に死ぬな。


悲しむ準備もしてない間に死なれて、回収したくない伏線ばっかり回収させられた。お父さんは在宅で働いてて、お母さんはママ友に「家にずっと旦那がおんの嫌じゃないの?!」って言われてた。ずっとおらんより何倍もいいやろって言ってた。


お父さんがおらへん時間が人生の半分より多くなって、もう思い出そうとしても禿げてるお父さんだけやし、それもほとんど妄想な気がする。語彙力ないからアホ!ボケ!ぐらいしかセリフのない怒り方と、めちゃくちゃに冷たい手と、傷だらけの禿げ頭。
大事にされてたんか、大事やと自分が思ってたんかもわからへん。でももう24歳になってしまった。お母さんがお父さんに出会った年齢。



周りのみんなはずんずん人生を進んで、大事な人ができて結婚したりしていくのに、ずっと自分だけが同じ場所にとどまってる気がする。体だけでかくなって、自分ひとりで生きていかなあかん。もう何が書きたいかもわからへんし、手に収まる起承転結もつけられへんくて。

もう全部勝手に妄想して生きてていいかな。一緒にキャッチボールしたのも、ユニバに行ったのも、死ぬ前の思い出作りじゃなくてただの家族の日常やし。楽しい記憶として思い出して、ちょっと戻りたくなるぐらいでいい。もう24歳やし、人生のすべては自分のせいで、お父さんが死んだせいじゃない。ひとりで生きていけるかなと思うけど、誰かと生きていくつもりで先に死なれるより全然いい。嫌なことは避ければいいし、最悪死んでもいい。お父さんが死んだからって、頑張って生きやんくてもいい。

産んでくれてありがとうって死ぬときまでに思えればいいか。別にそう思えんくても、申し訳なく思う必要ない。人生のすべては自分のせいで、産まれてよかったと思えても自分のおかげなんやし。



私宛てに残されたメモがなくてよかったかもしれない。どんな人になっててほしかったかなんてわからへんし、今の自分がどんな人やろうと、小さい子ども残して死ぬよりよっぽど良いやろうし。お父さんのことは大好きやった気がするけど、大嫌いでも別にいいはずやし。線香絶やさんかっただけ親孝行と思えてきた24歳。おしまい。




余談やけど、うちの車はお父さんが死んだことによって運転手を失って廃車になった。家に駐車場あるのに車ないの、みんな不思議に思わへんのかな。いつか車買って、縦列駐車極めて、お父さんが無駄にした土地を活用してあげようと思う。

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