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日本の離島で大切な人とのんびり暮らしています。 日常で、感じたことなど執筆しています。…

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日本の離島で大切な人とのんびり暮らしています。 日常で、感じたことなど執筆しています。 かつては国内系客室乗務員、ホテルスタッフをしていました。 HSK5級 24才

最近の記事

早一年

なんかnoteに最後に執筆して、1年が経ってたみたいです。それくらい内に秘めてたことを実際に声に出せてたのかもしれないけれど。 映画を見るといつも思うんだけど、 結局自分は今を大事に生きたらいい。周りを大事にした方がいい。とよく思う、 でもなんともこの気持ちを持続させるのが難しい。 例えば、映画を夫と観ていて、 あぁ、この間私もこういうことしたなあと後悔したり、こうしたら喜ぶよね。とか そういう気付きがあってその日のその時間は 顧みるわけですが、なんとも持続させるのが難し

    • 亡くなった後の時間の流れの話

      自分の母が亡くなったのは22歳の時、 ということは自分が歳をとるにつれて母との思い出が薄れていくということ 自分がもし子供を産んだら、子供には22歳までの自分と母との話しかできないということ というか上書きされずにそのままにされるということ 上書きされずに自分は歳を取る その中でどうやって母との思い出を残していくのか それは定期的に故人のことを思い出すということで 残されていくと思っている 大切な人が亡くなれば思い出を無理やり消そうとしたり、あの時は気にも留めなかったこと

      • 誕生日を祝う意味

        誕生日を祝うことに特段関心を持っていなかった 今までは 母は私の誕生日になると 「私の元に産まれてきてくれてありがとう」と 毎年手紙か直接言葉で伝えた 本当に素直な母親だった。 それが22年間続いたので、それが普通だと思っていた。 しかし、それが急になくなるとなんだか寂しくなった。 どうやらそういう境遇で産まれた私は 幸せすぎるのだろうけど 自分がこの世に産まれたことに価値はあるのだろうかと 考えるようになった。 母が私の誕生日になれば、 ケーキを差し出して感謝の言葉を

        • 歌詞が耳に入らない

          私は学生時代、専ら日本のバンドの曲ばかり聴いていた しかも歌詞が刺さるモノばかり聴いていた 歌詞重視で音楽を聴いていた 最近気づいたのだけど 最近は歌詞が耳に入ってないらしい これは老けたからなのだろうか?? それとも感受性に欠け始めたからだろうか それとも自己の考え方が固定してきたからだろうか 歌詞が耳に入らなくなるとどうやら 人の話も耳に入ってこなくなるみたい (これは最近自分が感じた) でも自分の考えが一定のところに収まることは 平穏であるかもしれないけど 周りに興

        早一年

          せっかく生きてるのなら

          最近よく考えていることというか 10代から考えていることがある それはお店を持つこと 10代のときはボヤッと考えていただけだった でも23になって、 折角生きてるのなら自分の生きていた証を残したいと思い始めた 自分の居場所を自分で作り上げたいとも思った その証は、お店でもいいなと思った というかお店がいいと思った お店を訪れた人がなにかを想って 訪れたことを心の何処かに残してくれたらいい そうしたら一応証にはなる 心の大半を占めなくていい どこかに残ればそれでいい 他

          せっかく生きてるのなら

          夫の本家の墓参りとサイレン

          8/9 夫の実家の墓参り?墓掃除に行ったのですが、子供の頃怖いと思っていたお墓がなぜだか怖くない 大人になると何故か怖くなくなるものなのでしょうか? お花が飾られているところなんか見ると尚更ホッとするというか親近感が湧くというか 人々が亡き人を想う気持ちに心がホッとします。 夏の暑い日にお墓のお掃除とか 億劫になってしまいますが、 最後にお線香をあげるとき なんだか心にケジメがつきます。 今日も明日も健やかに歩もうと お墓の掃除が終わって帰ろうと思った時 11:02のサイ

          夫の本家の墓参りとサイレン

          500ビュー!になってました!

          お久しぶりです。 最近、考え事をしても前向きな着地をあまりしないので執筆を控えておりました というか下書きに保存をたんまりと溜めておりました(笑) 日常に感じたことをその都度綴っているのですがいつの間にか500ビューを超えびっくりです! これからも離島の生活で感じた些細なこと ふと感じる心の中を書き留めていきたいと思います😊 引き続きご覧いただければ嬉しいです。 mato #離島#生死#哲学

          500ビュー!になってました!

          実家が恐ろしいほど別の場所に見えた

          実家とか地元って落ち着く場所 勿論、そういう場所だった 今までは ここ何ヶ月かで私の周りの状況は目まぐるしく変わった。遠距離恋愛に終止符を打ち結婚、母の死、その1ヶ月後祖母が心筋梗塞になる。自らの幸せを追ったのがいけなかったのか、 自らの幸せを獲得した罰なのか 今まで自分の人生の歩み方に 誇りを持ってきた。 それが急に覆され、突然生き方に自信がなくなった。   それでもやらなければいけないことはあるから 実家に帰った。でも実家には昔のような賑わいは無くてなんだか藍色のよう

          実家が恐ろしいほど別の場所に見えた

          死のタブー化

          死をイメージすると大多数の人は かなしい つらいなどネガティブイメージを持ちます。 ただそれは死を間近にした者にしかわからないことであって、実際にはネガティブなことではないのかもしれません。 長年の間、闘病し死によってやっと苦しみから解放されるそういう人もいるかと思います。 死こそ絶望 そういうわけでもないのかしれません。 私は今、健康な身体でいますが いつ何が起きるのかは誰にもわからず 死という逃れられない現実は 誰にでも襲ってきます。 以前夫と見た「世界一キライなあな

          死のタブー化

          飲み込んでいた

          感謝の気持ちってなんだかんだ照れくさい それでもはっきりと伝えていたのが うちの母 人間だれでもいつ無くなるかわからない もしかしたら明日かもしれない 70年先かもしれない なんでも言葉にしないと意外と伝わっていなくて、本心が届いてないことだってある 自分の言葉で伝えられるときに 伝えておく この世から消えてしまってからでは 間に合わない ありがとう、それだけでもいい 伝えようとして躊躇したときは 多分伝えておいた方がいい 伝えられるときに伝えておけば 相手の心に残る 心

          飲み込んでいた

          親の七光りというもの

          いろんな人と関わると この人すごいなとか感心に思う人がでてきたりするわけですが 少なからず親の七光りがあって 有名になりフィルターがかかってるなんて こともたまにはあります 逆にいえば 親の七光りがない人は自由に自分の好きな道を 進むことができる ジャンルなんて関係なく歩むことができる 時には駆け抜けることだってできる 親の七光り 羨ましくなることだってあるけど 無くたって自分らしく生涯やっていける 親の七光りがないことは 自由にできる権利を持ってることと 同じではないか

          親の七光りというもの

          染まる染める

          離島に引っ越してから半年が経っていました。 引っ越してからというもの色々とあったので 短く感じます。 良くも悪くも島生活に染まってるなと感じます。今までは東京や福岡で仕事をしていたので休日以外はバタバタとしていて帰ったらすぐ寝る。そういう生活が当たり前でした。 私自身、忙しいのも苦ではないので そんな生活に不満もありませんでした。 今はそんな生活はしていなくて 仕事が終わって家に帰れば ささっと料理を作って 夫と一緒にご飯を食べ たまには甘いものとコーヒーでも 味わって

          染まる染める

          また次があると思うと

          元々母子家庭で母ももう亡くなってしまって この世にはいない 祖父母は健在 とは言っても私が23歳なので どのくらいの年齢なのか想像がつくと思う 夜、目を瞑ると 明日ばーちゃんがいなくなるのではないかとか そういうことばかり浮かんでしまう 何故か目を瞑って辺りが暗くなると このまま自分は目覚めないのではないかと 思うときもある 真っ暗というのは 時に人を不安にさせる 時に人を安心させる 生きていれば死ぬもので 誰もが通ってしまう道 そう思えばいいのだが いざとなるとそうは

          また次があると思うと

          みなは何故か残念だったねと言う

          大切な誰かがいなくなった時 よく人は残念だったねと慰めてくる まあ残念なんだろうけど それは多分本人が一番わかっていて 残念だったねと言われると 元々ハッキリしていた見たくなかった何かが しっかりと見えてくる 勿論、励ましてくれたり同感してくれるのは 本当にありがたいこと でも残念だったねと言われると 故人が精一杯生きた人生が 評価されてないように思えてしまう 残念だったねの一言で 癒えるような哀しみは 持ち合わせてない 残念だったねが ポピュラーなものにならないといい

          みなは何故か残念だったねと言う

          多分去年の3.11では1ミリも思わなかった

          母は私に大切な人ができたこと それを心底喜んでいたようだった 彼は母とも電話でよく話してくれていた 両家でごはんも食べに行った しかし母の死を目の当たりにして 自分の幸せを優先したこと これを心の底から後悔した 勿論今もそれは払拭できない ふとしたときに 私はこのまま生きていいのだろうかと 母は結婚したがギャンブル好きで 女好きなとんでもない奴と結婚したらしい そういう母を見てきている 母は果たして私を産んで幸せだったのだろうか 生前、母は私を産んでとても幸せだと 幾度とな

          多分去年の3.11では1ミリも思わなかった

          金城武が出ている映画を見た話

          中国語を独学で勉強していたということもあり 久しぶりに中国語圏の映画でも観ようかなと 思い「恋するシェフの最強レシピ」を 日本語字幕付きで観てみました (本当は中国語字幕の方が助かるのだけど) 上海映画でしたが 日本のものとは違い個性的な演出を 感じました。感じたことは他にもあるけれど その話は今度書こう 本題は本編ではなくて 映画を見始めて気づいたこと 母は生前、金城武が好きだったということ どうやら濃ゆい顔が好きだったようです 金城武が好きなことは知っていましたが

          金城武が出ている映画を見た話