犬年齢
犬の年齢を話す時、往々にして人の年齢に置き換えられる。
昔からこれに納得いかない。
無理矢理納得した時期もあった。
でもやっぱりおかしいと思う。
「トイプードルのココアちゃんです。今15歳で、人間で言うと76歳です。」
うるせえ。
15歳のココアは人間で言っても15歳である。
何故なら15年しか生きていないから。
「中野に住んでます。新幹線なら名古屋です。」
うるせぇでしょ。
中野は新幹線でも中野である。
何故なら中野にあるから。
置き換える必要が全く無い。
何がしたいかは分かる。犬の"老い"の程度を分かりやすく表しているのだろう。
しかし、それがまるまる必要のない作業ではないか。そもそも老いの程度なんてものは犬にも人にも個体差がある。個体差のあるもの同士を比べて何が置き換えか。
「15歳の犬は老いている」で良いのだ。その事実は十分認識されている。わざわざ人に置き換えて「76歳相当です」とする必要が全く無い。
『いやいや、あんたが76歳になった時、この量のドッグフード出されたらどう思います?』という犬側のクレームがあったのなら置き換えた方がいい。
しかしそうではない。ココアはそんなことを言っていないし、言えない。何故なら犬の15歳だから。
要するに、人側が勝手に、感情を入れ易くする為に置き換えているに違いないのだ。
100歩譲って(犬で言うところの200歩)「犬の1年=人の5年」ぐらいシンプルなら別に良い。「5歳ということは、人に置き換えると25歳なんだな」と、5をかけるだけなので簡単に計算できる。
しかし実際は年齢によって置き換え具合にバラつきがある。
犬の0歳〜1歳の初めの1年間は、人の15年に相当するらしい。
この段階で置き換えに無理があると気づいてほしい。人は15歳で卒アルを3冊手に入れる。産まれたてのココアが、1年でいったい何を成したと言うのだろうか。トイレの場所を覚えたぐらいであろう。
あとコレに近いもので、「犬は2、3歳の人間ぐらいの知能」というのもある。
くどい様だが、犬は犬ぐらいの知能である。
「2、3歳の人間並みの知能があって賢い」ではないのだ。まず2、3歳の人間は別に賢くない。つまりこの台詞には(犬なのに)が隠れている。無意識に生物として見下しているのだ。
これも置き換える必要がない。「犬は飼える程度に賢い」でいい。
こう言うと、「ココアはただのペットじゃなくて家族だから、人間として扱う。」なんて意見が出てくる。
逆である。家族なら尚のこと、ココアのココア年齢を大切にしてほしい。犬を犬として見ることが犬に対する一番の愛情ではないか。
とにかく犬は犬であり、犬であるから可愛い。それを忘れないでほしい。
分かったらココアのその服を脱がせてあげなさい。
四字熟語でお礼します。