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記憶をも蝕むペイン



左上下親知らずの抜歯を決意、すぐには抜けないと言われ1週間。


リベンジバッシ(リベンジマッチとかかっていてとても良い)当日。


11時30分。

10時まで寝れずにいた僕は1時間半の睡眠でアラームに起こされる。

どう考えても眠た過ぎる。

「正直もう全く痛くない。お前がどれだけ暴れようが、薬で対処できると分かった以上、抜かないという選択肢もあるのだが?」と、自分の奥歯にマウントをとること30分。重い腰を上げる。


歯医者への道中、何故こんなに辛い思いをしているのかを考えると、ふつふつと親知らずへの怒りが沸いてくる。

まず『親知らず』という名前に腹が立つ。

恐らくこの苛立ちは『らず』が生んでいる。

『親知られず』なら、なんとなくセンチメンタルな、守ってあげたくなる哀愁のようなものを感じるが、『親知らず』になった途端、まるで知られていないことを誇っているかのような、いけすかない印象になる。

語源を調べると、


昔の平均寿命(50歳)では、
生えてくる頃に親は亡くなっていることから、
「親知らず」と呼ばれている。


これを貫くにしては平均寿命が伸び過ぎているし、人に説明する時に"昔の平均寿命計算"を飲み込んで貰うところからスタートしないといけない時点で欠陥単語である。

百歩譲って名前の意味が分かったとして、「親が知らないから親知らず」は安直が過ぎる。

果たして親知らずが、親が知らないものランキング1位か?絶対に違う。

親が知らないものランキング1位は『機種変の時のLINEの引き継ぎ方』とかであり、『遅れて生えてくる歯』なんかでは絶対にない。

たかが歯には贅沢な名である。

僕が湯婆婆なら『親知らず』の濁点しか残さないし、元の世界に帰るチャンスなど絶対に与えない。


決めた。


僕はもう親知らずとは呼ばない。

遅れてきた奥歯で『遅れ奥歯』

縮めて『遅歯』これで『おくば』と読める。

かなり良いのでは?


いや、『ゴミ』にしよう。


以下、親知らずのことは『ゴミ』と呼ぶ。

散々言っておいてではあるが、こと名前に関してゴミの過失はゼロである。名付け親しか悪くない。

問題は名前ではない。


そもそも身体の中に、無い方が好ましいパーツなんかがあるなよ。


これに尽きる。

必要以上の歯が生える"だけ"であれば、ただのオーバースペックなので文句はない。なんならありがたい。まである。

しかしこのゴミは痛みを伴い、生え方によっては歯並びに影響する。

設計ミス以外の何ものでもない。

というか点滴で栄養がとれる以上、もう歯は全部いらない。

では、歯とはいったい…???


などと考えていると歯医者に到着。

慣れないやり取りに翻弄される前回の僕とはまるで違う。

スムーズに受付を済ませ、「月に一回の提示でいいので」と突き返された保険証を仕舞い、あくびをする余裕まで見せる。

申し訳ないが、一度訪れた歯医者など恐るるに足りない。

名前を呼ばれ、前回とは違う診察台に座らされる。

「お、かなり腫れ引いてますねー」

考えてみれば、"他人の口内"みたいな世界にあるものの中でも、かなり上位でどうでもいい情報を少なくとも1週間覚えているというのは、凄い能力だなと思う。


「この感じなら大丈夫そうですね」


さぁ抜け。ひと思いにいってくれ。








「じゃあ、実際に抜歯する日程を決めましょうか」

















??????????????











今日は抜かない?????



「はい…前回そのように説明しましたが…」



人の脳というのは不思議なものである。

たった一言で一気に前回そう説明されていたことを思い出す。確かに、間違いなく、前回そのように説明されていた。




帰りに食べた天津飯が美味かった。



もしあのまま抜いていたら、

あの天津飯は、

美味しくなかったのだ。


四字熟語でお礼します。