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正夢でも逆夢でも

夢を見た。酷い夢だった。

何年も連絡をとっていない妹から朝一でLINEがきた。

『おばあちゃん亡くなったよ』

だった一文が長文のように重みを持っていた。

すぐさま既読をつけ、考えた。父方の祖母?母方の祖母?

まさか父方の祖母じゃないよね。と一瞬考え罪悪感に襲われた。どちらの祖母も過ごした時間の差はあれどかけがえのない、いいや、かけがいのある祖母だった。誰もが最愛の人を亡くしても生き続けることが出来るのは命はかけがいがあるからだと思う。

どちらの祖母とも楽しい時間、それと反抗期を過ごした。どうしてそう考えてしまったのだろう。時間は、歴は、家族愛さえその重みを変えてしまう。

そんな罰の悪い夢から覚めて己の軽薄さを笑うことも出来ずただただ天井を見つめていた。


生命保険もその人の価値をはかる。老人であろうがなかろうが。既往歴やその人の人生を天秤にかけて毎月の支払額を要求してくる。

自営業で朝から晩まで養鶏場で働いていた母方の祖母は浮腫にまみれ、鳥臭いせいで誰にも好かれていなかったように思い出される。先立った酒呑みの祖父の借金もあったため自由な暮らしなど無かったように思われる。毎朝鶏が起きる頃に餌をやり、暗くなり帰宅すると亭主関白の祖父のために晩ご飯を作る。山菜の詰まった甘いみりんをふんだんに使った雑煮が大好物だった。作り方はもう誰も知らない。本人も認知症で料理の手順など覚えていないだろう。

それでもボケてもなおおどけて見せる笑顔は田舎臭い笑顔だった。耳も遠くなり浮腫んだ脚で正座が出来なくなっても、ただただ無邪気だった。擦れ切った様子など1度も見せたことがない。耳が遠くなり、聞いたフリをしているのを家族はみんな気づいていたよ。


そんな祖母が初めて流行に乗った。少し遅れて。コロナに感染し、あちこちが悪くなり胆嚢を摘出した。田舎山暮らしでろくに歩けない老人がどうやって感染症にかかるのだろう。

胆嚢摘出手術は無事終わったが尿が出ない。腎機能が静かに悲鳴をあげた。役割を終えた腎臓は一滴の尿も出さず機能を停止した。

病床でいくら点滴を入れても尿が出なくなった。こうなるともう終わりだ。2・3日のうちにさらに浮腫んだ姿で全機能を失うのだ。

あの悪夢は逆夢でも正夢でもなく、ただ訪れる未来を予想していたのだろう。


未だに母方の祖母でまだ良かった、と馬鹿なことを感じている自分の醜さをここに残しておこう。なぜそう感じるのか考えるのにはまだ時間がかかりそうだ。

もう死に直面するのは嫌だから誰も抜け駆けしないで欲しい。いつ順番が回ってくるのだろう。ただ待つしかない今に涙も出ない。

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