20年
私の父親はプロのヒモだ。記憶を辿る限り、物心ついた時から自宅でPCを覗いていた記憶しかない。夜も煌々とする部屋はブルーライトによるものだ。
ヒモといってもイケメンではない。特徴的な顔でもなく、特別背が高いわけでも、色気があるようにも見えない。ママと映る結婚式の写真でもおでこが広い。禿げだ。加えて某ドラマの冬彦さんが掛けているようなシルバーフレームのメガネが芋っぽさを際立たせている。
おそらく本物のヒモに、イケメンはなれない。ヒモとは、可哀想で憐れんでしまう存在のことを言うのではないかと思う。「私がいなくちゃ、どうしようもなくなってしまう」という母性を引き出すことに長けた男こそ、ヒモの素質がある。末っ子気質というか。理由をつけてはダダをこねて働かない。
ママは愛想をつかして3年前から別居をしている。なのに離婚届は出さず、父親を扶養にも入れているようだ。「情がね、こう何年も一緒にいると情が生まれるの。夫婦間にしか分からないことも多いの。まだ若いからアンタには分からないかもしれないけど。」そう言って何度泣いて激昂して精神をすり減らしてきたんだろうか。独りで暮らすことはそんなに孤独なのだろうか。たとえ夫婦円満と言われる家庭があったとして、二人の間に孤独はないと言い切れるのだろうか。
そんな20年以上働いていなかった父親が、ついに「労働」を始める。60で還暦を迎えるこの頃「働く」と言い出した。
何かの間違いか、幾度となく繰り返されてきた「働く働く詐欺」かもしれない。しかし今度は、「別居しているママのアパートの家賃を半年間払う」と申し出た。
青天結局の霹靂は今も進行中である。話を聞いた時、この人死ぬのかな?と思った。ドラマやアニメでは慣れないことをした瞬間そのキャラクターは去ぬ。
「今回は、今回こそは働いてくれて離婚せずに済む」とママはぬか喜びしていた。どうして20年も裏切られてきた人間を信用できるのだろう。期待ができるのだろう。私はママのこともわからない。長い夫婦の関係性もわからない。分からない理由が年齢だとしたらあと幾年重ねれば納得がいくのだろう。
親ガチャという言葉が生まれる前、自分の境遇を上手く言い当てるワードが無く、状況を説明する語彙力もなかった。
まともな神経を持ち合わせている方はもうお分かりのとおり、結局父親は仕事をしていない。今も今後一向に働かないだろう。私は確信をもってそう断言できる。ただママは違ったようで、期待を大きく肺に入れるだけ、裏切られた時にその期待が絶望に代わっても吐き出すことができない。哭き喚いて「約束したじゃない」と腰に縋っても状況は一変しない、何十年も。
20代も後半になり、人を見る目は同世代より持ち合わせているかもしれない。父親にも友人にももう名前を思い出せない、思い出せないように脳がセキュリティをかけているのかもしれない人に裏切られてきた。だから一度NGと思った人と深く関わるのを辞めた。ただただ楽しく飲むことはあっても深入りはしない。チャンスをあげることは期待を飲み込むことになる。もう私の肺は破裂寸前なの。
新宿での人間関係はそんな漂泊の上に立つ自分自身にピッタリだった。出会って楽しく飲んだ人間と次の日横断歩道ですれ違い、声を掛けられても素知らぬ顔ができるようになった。呑みの場で交換したLINEは既読無視。大勢の人間がいる中だからこそ、田舎の噂好きなおばさん達や親戚と違った縁の切り方ができる。ブロックしてしまえばどこの誰かも知れない、本名すら知らない人間をリセットできる。相手の悲喜交々に揺らされることもない。
こうも簡単にリセットボタンが押せるようになると、冷たい人間だと思われるかもしれないけど許してよ。だって今にも裂けそうな漂泊の上に1人いるんだもの。
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