見出し画像

フィラリア症だった愛犬が死んだ日

これは私の後悔と懺悔と、手前勝手ながら前向きになれるための儀式みたいな文章です。

それと、これを読んだ人に何か伝わって自分の飼っているペット・または将来飼うかもしれないペットのことを考えるきっかけになればいいなと思って公開することにしました。

飼っていた犬の名前は「おとすけ」といいます。保護ボランティアの方が名付けました。多分。

・2017年秋頃、岡山県倉敷市の保健所で殺処分対象とされていた

・当時で推定7~9歳

・譲渡時からフィラリア症陽性

フィラリアは、蚊が媒介して犬の肺動脈や心臓に寄生し、全身の血液循環や内臓にも深刻な障害を与える恐ろしい虫です。引用元:https://www.bayer-pet.jp/pet/library/parasite/filaria/filaria01.html

・人懐っこいので元飼い犬。だが鼻に口輪の痕があること、手を挙げると怖がることから元の環境は悪そう。

上記のような条件の犬は貰い手が少なそうだ→殺処分になる可能性が高い。
また、ウチなら飼育できる条件(放し飼いできる庭がある)がそろっていたので、私なら助けられるかもしれないと思い、即日家族に相談して飼う方向になりました。

説明が長くなりましたが出会いはこんな感じです。

そこから2年半ほど一緒に過ごしました。

自分の子どもだと思って接していました。

ですが、親として自分の出来る限りを尽くしたかと言われれば違いました。

自分のことを優先する日もありました。

また、最期は私の知識不足・経験不足で悲しくて苦しい思いをさせてしまったかもしれません。

その最期の後悔がしてもしきれないので書きます。

前述したようにフィラリア症陽性でしたが、1年後治療した甲斐あって陰転(寄生虫の死亡)しました。

ですが、後遺症として咳はずっと出続けました。ひどいときは呼吸困難になって倒れてしまうほどです。

これについて主治医は「後遺症である心臓肥大のせいで呼吸気管に障害が起こっている。」という説明と、いつも決まったお薬をくれていました。

「通院もちゃんとしてるし、お薬も飲んでるし」と、医者を完全に信用しきって、安心し、知識を得ようとしなかった私はこれ以上悪化しないだろうとなぜか思っていました。

今年4月中旬から腹水でお腹が膨れていきましたが、私は「在宅勤務中おやつをあげすぎたのかも?」としか考えていませんでした。何かおかしいなと気づいたときにはGW中で行きつけの動物病院は閉まっていました。

あの時すぐに別の病院にでも連れていけばよかったと後悔しています。腹水とフィラリア症の関係を調べればそれくらい理解できたことでした。

また、そのあと具合がどんどん悪くなり、1週間に1度、病院に行くほどになりました。けれどもなぜか私は死ぬなんて思ってなかったのです。

そして死ぬ2日前(土曜日)から食事をとらなくなりました。血便も出ました。よだれも止まりませんでした。大好きな散歩もしんどそうでした。

その日の午後に初診の動物病院に連れて行って、応急処置として吐き気止めだけ打ってもらいました。フィラリア症の話もしたその先生曰く「血便と食欲不振、心臓肥大・腹水の関係性がわからない」とのことでした。

日曜日は庭を歩くのも大変そうでした。さすがに心配になったので、その晩はおとの寝床(玄関)に布団を敷いて寝ました。苦しそうにすれば撫でて寝かしつけました。

それでもその時の私は、

「お医者さんに診てもらってるから大丈夫。今はお腹の調子が悪くてご飯が食べられないだけ。回復して、ご飯もお薬も食べられるようになったらまた散歩だって行けるよね。月曜日になったらまたお医者さんに行こうね。」と本気で考えていました。

でもおとすけは月曜日の早朝、私が寝ている間に息を引き取りました。

玄関に倒れるようにうつ伏せで、硬くなっているのを朝7時に発見しました。

日曜日でも夜でも、具合が悪いならすぐに病院に連れていけばよかったととても後悔しました。後で考えてみると、人間があの症状なら、救急車を呼ぶレベルだったのにと。

私が勝手に希望的観測をして、間違った判断をして、苦しい最期にさせてしまったのかもと、死んだ日はずっとそのことを考えていました。

病気のこともあって、譲り受けた日から死は覚悟しているつもりでした。でも全然そんなことなかった。私が能天気なバカだったから。

母が介護職経験者で人の死に立ち会う場面がよくあるのですが、身内ほど死ぬなんて考えてない・考えられない傾向があるそうです。

私がこのnoteで書きたかったことは、

後悔しないようにペットと過ごしてほしいなんて当たり前のことではなくて、

病気を患った子、寿命が近い子に対して、

常に知識を付ける努力を怠らないこと、

知識を持って医者に積極的に(重要)質問したりアドバイスをもらうこと、

そして希望的観測ではなく、ありのままの現実を冷静に受け止める覚悟をもつこと

これらを備えていればと、とても後悔していることです。

だって動物は話せないから。苦しくても辛くても伝える術がないから。

人間がわかってあげるしかないから。

ごめんね。

おとすけの人生からしたらほんの2年半ですが、その間幸せだったかどうか。それは本人にしかわからないから、悩んでも悔やんでも仕方ないのだけれど、考えずにはいられません。

優しい人は私に「きっと幸せだったよ」と言ってくれます。でもそれは、申し訳ないですが、人間側のエゴです。私が前向きなりたいがためのただの”納得感”でしかありません。

これから、おとすけのことを忘れないこと。私にはこれしかできないなと思っています。

また、私がポジティブになれるための衝動でしかないのかもしれないけど、同じような境遇の動物を出来るだけ助けたいと思っています。

けどできることしかできないから、とっても微力ではあるけど。やらないよりマシなので。

おとすけごめんね。ありがとうね。また会いたいな。

サポートは全て保護活動に充てさせて頂きます。