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私の出産記録

忘れないうちに、備忘録として残しておく。

私の出産記録。


11月26日、午前4時頃。
下腹部の痛みで目が覚めた。

1週間ほど前から、朝は前駆陣痛で目覚めることが多かったので、その日もそうだと思って、痛みをやり過ごして二度寝した。

午前5時、再び痛みで目覚め、午前6時にもまた目が覚めた。
こんなに朝から連続なのも珍しいなと、その日はもう二度寝を辞めて起床。
そこからも、お昼頃まで、だいたい1時間おきに痛みを感じるようになった。

お昼を過ぎた頃には、痛みの間隔が30分毎になり、下腹部だけではなく腰痛も伴い始めた。
とはいえまだ、全然我慢出来る痛みだった。

夜になり、20分間隔になった。
夕食中も入浴中も、痛みが来ると手を止めなければいけなくなって、これはもしかして本陣痛が近いのでは、と思い始める。

21時を過ぎた頃には、痛みの強さが増し、間隔も15分毎になってきたので、一度病院に電話をした。
「10分を切ったらもう一度電話ください」と言われ、その日は母親とリビングに布団を並べて寝ることにした。
でも、眠れなかった。
定期的に来る痛みの度に目が覚め、痛みをやり過ごしてウトウトし始めるとまた痛み。

11月27日。
午前2時頃に痛みの間隔が10分を切ったので、再び病院に電話をした。
「初産ですし、カルテ見る限り問題はなさそうなので、入院の準備をして、痛みが3分間隔になるまで待ってください」とのこと。
入院バッグは準備していたので、陣痛バッグに充電器や飲みもの等の必要品を詰め込み、再び痛みと戦った。
そこからは、全く眠れず。
5分毎にくる痛みの度に、母親に腰を強く摩ってもらいながら、どうにか痛みを逃した。

こんなに痛いんだから、これは本陣痛だ!と、その時は、涙が出るほどのその痛みがピークだと思っていた。

午前9時。痛みの間隔が3分を切った。
病院に電話して、一旦診察のために病院へ行くことになった。

今思い返せば、まだ私には両親と喋る余裕があった。
涙が出るほどの痛みというわけではなく、あれは痛みが続いて眠れないことへのストレスから来る涙だったんだと思う。

午前9時30分。病院に着いて診察をした。
入院かもという緊張からか、陣痛が遠のき、間隔も7分に広がり、痛みも少し和らいでいた。
リラックスしている方が陣痛が来るというのは本当らしい。
まだ子宮口も1cmしか広がっていないと聞いて、若干絶望した。
「入院してもいいし、一旦家に帰ってもいいけど」と、先生には言われた。
家に帰った方がリラックス出来て陣痛は進むかもと思ったが、一睡も出来なかったのと、ここから再び車に乗って家に帰るという行動の辛さに負け、私は入院を選択した。
とにかく横になりたかった。

病院に着いた段階で、送ってくれた両親とは離れ離れだった。
そのまま入院となったので、看護師さんが両親から荷物を受け取ってくれて、両親は帰宅となった。

母は「もう少し家で居させてあげたら良かった、1人で入院なんて心細いだろうに」と、私に病院への電話を催促したのを悔やんでいたようだった。

午前11時。
PCR検査の結果が陰性であることを確認して、私は病室へと移った。
それから入院のあれこれや出産のあれこれの説明を受け、用意してした書類を提出し、お昼ご飯をいただいた。
その頃には陣痛の間隔が11分の時もあって、病院側の説明を聞く余裕もあった。

そのまま5分〜7分起きに来る陣痛に耐えつつ、病室のベッドで過ごした。
個室を希望していたが空きが無く、大部屋に入った。
4人部屋のそこには、私以外に2人の方が居て。
2人ともが出産を終えた方だった。
定期的に授乳室に呼ばれていく姿をカーテン越しに見ながら、産んだ後の生活に思いを馳せてみたりして。

私たち夫婦と、お互いの両親6人のグループLINEに、時々現状報告を送りつつ。

午後15時30分。
モニター検診を受けた。
赤ちゃんが元気なことを確認して、陣痛の間隔と強さも測った。
時間の間隔は5分程度だが、陣痛の強さが弱まって来ているとの結果だった。
それはなんとなく自分でも感じていた。
喋ったりLINEする余裕が出てきていたから。

夜になると陣痛は進みやすいので、今夜もう一度検査をして、進んでいたら続けて入院、進まなければ明日一旦帰宅にしましょう。

そう言われて、夜を待った。

20時40分頃。
痛みの種類が変わったように感じた。
それまでとは違う痛みの強さや痛み方、無くなっていた腰痛の復活。
痛みの間隔は5分程度のままだが、変化があればナースコールで呼ぶように言われていたので、助産師さんを呼んだ。

そのまま内診台で内診を受けると、子宮口が3cmまで広がっていた。
「初産婦さんは最初の3cmまでが時間かかるからね」
そう言われていた3cmになっていたことをきかされて、急に緊張した。
けれど緊張するとまた陣痛が遠のくかもしれないと思い、必死にリラックスするように心がけながら、再び病室へ戻った。

それからもひたすら痛みに耐えた。
貸してもらったホットパックをお腹に押し当て、必死で自分で腰を摩り、呻きたくなるのを我慢しながら陣痛の間隔を測り続ける。

11月28日。午前1時。
もう声が我慢できなくなって来た私は、再びナースコールを押した。
大部屋なのもあり、声を出せないのが辛くて。

私の状態を見た助産師さんが、ちょっと部屋を移動するから貴重品とか持って、と言う。
とりあえず、その場に置いてあったスマホ、ペットボトルの水、ハンドタオルを握りしめて、助産師さんと共に部屋を出た。
移動先がどこなのかも分からずに、廊下を歩く。
もうその歩く過程も辛くて、途中で2度ほど立ち止まって呻きながら歩いた。
その度に、助産師さんが腰を摩ってくれた。

たどり着いたのは、分娩室だった。
「今ならここ空いてるし、周り気にしなくてもいいからね」
そう言われて、フラットになった分娩台に横になり、荷物を横の台に置いて再び陣痛と戦う。
間隔は2分ほどになっていた。

痛い!と叫びながら、だだっ広い分娩室で1人で痛みを逃し続ける。
勝手に吹き出てくる汗を必死で拭いながら、右手にナースコールを握る。
これまでの陣痛なんて比じゃないくらいに痛かった。
家で居た時の痛さに涙が出たなんて、ほんと、あんなの可愛いもんだったなと思うくらいに辛くて。
これがピークに辛い時間帯かもしれないと思いながら耐えた。

午前1時30分頃、下腹部に違和感があった。
慌てて見てみると、出血していた。

ナースコールで助産師の人を呼ぶ。
駆けつけてくれた方に出血を伝えると、急いで内診をしてくれた。
頭の片隅で、これがおしるしなのかな、なんて思いながら。

「子宮口6cmまで来てるよ」

不意に言われた言葉に、私は残っている力を振り絞って、夫と家族に分娩室に入ったことを連絡した。

そこからはもう、ハッキリとは覚えていない。
どんどん増してくる痛み。
息を吸うように言われたこと。
いきみたい、という感覚が初めて理解できた。

午前2時。
子宮口が全開になった。

6cmから全開になるまでが早すぎて、私はいわゆる“いきみ逃し”をほぼせずにおわった。
このタイミングでいきみましょう!と言われるがままに力を入れる。
でも、いざとなると正しいいきみ方が出来ず、力の入れ方が分からなくて混乱した。
下にと言われているのに、浮いてしまう身体。
身体を真っ直ぐにするように言われるのに、痛みから逃れるように傾いてしまう。

そのうち、モニターがピコピコと音を立てて赤く光るのが見えた。
「鼻から息すって!ゆっくり吐いて!」
助産師さんに言われるのに、それが出来ずに無理だと叫ぶ。
「息吸って赤ちゃんに空気送って!」
そう言われて、モニターの音と光の意味を唐突に理解して焦る。
私が呼吸しないから、赤ちゃんが苦しんでいる。

不思議と、そう思うと、息が出来た。

でも、そんな事を覚えているだけで3回は繰り返したと思う。
その度に必死に呼吸を整えようとするが、痛みで息を止めてしまう。
ついに酸素マスクを付けられて、いよいよ焦ってきた時。

「破水させたから、あと少し頑張って!」

助産師さんの声と共に、身体から水分が流れ出る感覚がした。
自分でも分かる、子宮口が広がる感じ。

あと少し、あと少し、そう言い聞かせる。
陣痛が来たら呼吸を整えて、1番痛みがピークになった瞬間にいきむ。
そう、何度も言い聞かせられ、それを何度も繰り返す。
でも繰り返すうちに、陣痛が来ているのかどうかも分からなくなり、1番の痛みがどこなのかも分からなくなり。
もう、痛いと思ったらいきんでしまっていて、どんどん体力が無くなっていくのを感じる。
手の震えが止まらない。
足に力が入らない。
このままじゃ最後まで持たない。
そう思い始めた頃、助産師さんが「今って時に合図するから、それまでは呼吸して耐えて」とサポートしてくれ、私はただただ、助産師さんを信じた。

「上手上手!」
「そうそう!」
「その感じ!」

褒めてくれた時のいきみ方を必死に覚え、残りの力を振り絞る。

頭が大きめで体重もしっかりある、というのは検診の時から言われてきた。
だから覚悟はしていたけど、それでもなかなか出てこない頭に、本当に気が遠くなった。
一周まわって思考が冷静になってきた頃、頭が見えてきたと言われた。
確かに、足の間に何かが挟まっている、というのが見えて居なくても分かった。

あと一息。

自分に言い聞かせ、もう一度、もう一度といきむ。

「いきむの止めて!」

途端に慌ただしくなる分娩室内。
手袋をはめる人、術着のようなものを身に付ける人、先生を呼びに行く人、運ばれてくる台。
直感的に、もうすぐだと分かった。

あれだけ体力が無くて、もういきめないと思っていたのに、いきんじゃ駄目だと言われると、陣痛のような痛みが来る度にいきみたくなる。
痛い!と叫ぶ私に、もうあとは勝手に出てくるから、力抜く方に集中してと説明してくれる助産師さん。

そうか、そういう物なのか。
でも勝手に力が入る。
力の抜き方すら分からない。

途方に暮れながら、訳が分からなくなりながら、助産師さんに合わせて呼吸を繰り返す。
「吸ってー、吐いてー、ゆっくり吸ってー!吐いてー」
酸素マスクが膨らんだり凹んだりするのを見つつ、ぼーっとする頭で繰り返していたその時。

身体から、何かが抜け出たのが分かった。
途端に無くなる圧迫感と、急に力が抜けた身体。

そして聞こえてきた、産声。


午前5時12分、ついに我が子は、この世界に生まれ落ちた。

長い長い、夜だった。


感動とか、喜びとか、色々な感情が湧いてきたけど。
それはここに文字で書けるような物では無いので割愛する。
要するに、言葉では言い表せない物なのだ。

妊娠検査薬に陽性の印が出たあの日から、この時をどれだけ待ち望んできただろう。
出産直後、隣に寝かせられた我が子の顔を見つめながら、そっと指を差し出すと、ギュッと力強く握ってくれた。

「旦那さんに連絡していいですよ」

そう言われて、夫にビデオ通話を繋ぐ。
画面越しの親子初対面は、たったの2分だったけれど。
夫婦から、家族になった気がした。


これが、私の出産記録である。

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