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ボクとチックの36年

はじめに

いつからだろうか。
自分の意思とは関係なく動いたり声が出たりするようになったのは。
自分の記憶を辿るとおそらく5歳になった頃から、チック症状と思われる行動が始まった。
勿論5歳の幼い僕に自分がチックだと分かるはずもなく、両親も僕が発達障害だと理解する事はなかった。
しかし今思えば理解されないのは当然の話だ
今の時代のようにネットが普及しているわけでもなく、それ以前に30年前にパソコンや携帯電話自体が一般の人が持つ代物ではなかった。
そんな状況で我が子の奇妙な動きの正体は何なのか?を突き止める手段は病院に診察へ行くしかない時代だ。
その当時、両親が僕のチックの言動を気に留めていたかどうかは分からないし、この歳になって改めてその当時の気持ちを両親に確認する気もない。
だからチック症状の経緯は全て僕に記憶にしか存在しない事なのだ。

今回ノートで発達障害に含まれる症状である「チック」について執筆する理由については
2023年現在、発達障害という言葉が流行り始めている
そして医者から発達障害と診断されない人はグレーゾーンとも呼ばれている。
そんなグレーゾーンの人の本心は「ナゼ自分は他の人が普通にこなせることに時間がかかったり、出来なかったりするのだろう?」「自分の努力不足なのかもしれない…」と。
本当は発達障害であるにも関わらず診断が下りないことで日々苦しんで生きてる人は世の中には多く存在すると思う。
僕自身、発達障害という診断は既にされている(トゥレット症候群・学習障害・強迫性障害)だ。
発達障害の当事者である自分にできることは、当事者の気持ちを発信して少しでも世の中に認知してもらうことが目的である
その中でも僕が悩まされているトゥレット症候群(チック症)についてお話をさせていただきます。
初めにお伝えしておきたいことは「トゥレット症候群を世の中の人から理解されたい」ということではない。
人は皆、自分を認めてもらいたいという気持ちを持った承認欲求で生きている生物だ。
だからこそ大切なのは「僕はトゥレット症候群という障害があるので理解してほしいです」と、こちらから理解を求めるのではなく、今の段階で大切なことは【トゥレット症候群という発達障害がこの世には存在しますよ】と発信すること、そして知ってもらうことです。
つまり、「理解してもらう」ではなく「認知してもらう」ということである。
その段階をクリアできれば、私たちトゥレット症候群の人間は生きやすい世界になるのではないかと思う。
ただしこれは並大抵のことではできない。
ただでさえ、日々の症状で苦しみ、その日の気分や気持ちに浮き沈みがある人が「世の中にトゥレット症候群を広めるぞ!」なんてことはなかなか言えない…


けど一つ言えることは、夢を語るのは自由であり、むしろ夢があるから目標ができ日々の行動が起こせる、行動を起こせば誰かと繋がりそこに問題の解決につながる糸口があるかもしれない。
ただじっと苦しみに耐えるだけでなく、一日一歩で良いから前に進みたい。
一歩進んで二歩下がる時もあるだろう
でもぶっちゃけそれでもいいと思う。
僕が大切だと考えることは、日々成長して輝かしい実績を残すこと、そして大金を稼ぐこと、そんな目に見える成功ではない。
本当に大切なことは「自分自身を認められようになること」「目の前の幸せを感じること」だと確信している。
大袈裟かもしれないが、朝会社に出勤するとき道端に咲いている一輪の花を見て幸せだと感じれるくらいの感情を持ちたい。
その気持ちの余裕が自分を幸せにし、そして周りの人をも幸せにできる思うから。
だから、当事者が社会に貢献というのは大きな結果でなくて良い。
ほんの小さな事でよいのだ、結局のところ社会への貢献というのは自分自身を苦しみから解放される行動だと思うのだ。

私と同じ症状で苦しんでいる人、チック症のお子さんがいる親御さんに向けて、僕自身が36歳に至るまでに歩んできたチック人生をまとめました。
そして、このnoteが僕と同じ境遇の人に何かのヒントになれば幸いです。

どうぞご一読下さい。


第一章 人生で初めてのチック

①5歳に初めてチックが出た話

動的チックがで始めたのは幼稚園時代の5歳頃と記憶している
これは定かではないし、具体的にどういう行動がチックとして認識するかによって発症時期は変わってくるのではないかと思う
ボク自身5歳の頃に親から頻繁に「そんな変な動きするはやめなさい!」と言われた記憶があるからだ。

では「変な動き」とはどういう動きだったのだろう?
それでは今から、自分の頭の中を5歳までタイムスリップして当時の状況を説明したいと思う。

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