GMに向いている人

2012年03月02日20:07


 遊びに向き不向きなんてありません。

 とは、思いません。

 それは一人遊びでも、集団で遊んでいても同じです。

 遊びに向き不向きはあります。
 それを誰が決めるかは、自身でしょうか。他者でしょうか。どちらでもあり、片方だけの価値観を差すこともあるでしょう。

・カラオケにいったら周りの目が冷たかった。
・ネトゲしていたら会社を辞めろと言われた。
・自作小説を見せたら人格攻撃をされた。
・二人組を作ったら偶数なのに三人組が出来て一人浮いた。

 これを向いていないと言えるでしょうか。
 僕にはわかりません。

・他人から評価された。
・指摘を受けても自分を正しいと思う自信がある。
・楽しめている。
・自分では価値を認めていないことで成功をする。
・犬がよく自分のことを舐めてくる。

 これを向いていると言えるでしょうか。
 僕にはわかりません。

 僕には他人の気持ちが分かりません。
 わかるのは自分の気持ちくらいですが、それも曖昧です。あと、猫の気持ちは分かります。もしかして、猫は僕の想像を絶する世界を生きているかもしれませんが、僕にとって猫を愛玩できていればいいので、自分の想像の中で理解できるもので十分です。

 向いている向いていないと思うことはよくあります。

 それが所属の欲求なのか、知的欲求なのかの詳細はされておき、何かを判断する際に使っていることがほとんどですが、向いていないと思った時は、支払ったコストに対して得られるペイが見合わないケースが多いでしょう。
 仕事ならば、よりストイックに考えます。
 遊びなら、遊び感覚で時間の浪費やコストの浪費を楽しみますし、他のコンテンツを選ぶことをしますので、選択の幅は広いと言えるでしょうか。

 向いていると思える場合、楽しみを助長できるかもしれません。
 向いているぜー!と思っても、満たされないものは色々とあります。理解者を得られないケースはそのひとつでしょうし、理解者を得られていても物足りなさを感じるケースもあるでしょう。

 GMに向いている人とはどのような人のことをいうのでしょうか。向いていない人はどのような人のことをいうのでしょうか。
 類型化の例示は回答になるでしょうが、膨大な数になるので面倒くさくてやりません。

 日頃10万部を叩きだしているようなネームバリューのある方が、こういったビジネス本を書くと、たぶん売れる題材になるでしょう。

 人は、自分を評価したがる生き物です。
 それは、所属の欲求であり承認の欲求につながるものでもあるのですが、これを否と言う人もいると思います。そういった人は、人が囚われる楔のひとつから解放されている分、生きやすい人なのかもしれませんし、囚われないからこそ得る楔もあるのかもしれません。

 血液型性格診断であったり、星座占いであったり、恋愛相性診断であったり、多種多様な類型化が世の中にはあり、それの信者は、ファッション気分で信じるものや、ゲンを担いで心酔しきっている人もいるでしょう。
 
 僕は、TRPGにおいては、自分の関わる卓のことしか考えません。
 自分を必要とする卓があるならばGMをやります。
 TRPGで25年の付き合いのある友人と喧嘩もしますが、その場合は、もうそいつとは1年くらい遊びません。2年目に遊ぼうと誘って、それでもだめなら2年は遊びません。3年目で遊べるようになる時もありますし、遊ぶのに10年かかることもあります。
 普段一緒に遊んでいるのに、TRPGを10年もやらないなんて稀なケースですが、一昨年くらいにありました。やっぱり合わないので、また10年後にでも誘おうかと思います。

 そういった下地が全くのない人の場合(新規参入者には多くあるでしょう)は、手探りに遊ぶことになると思います。
 一人でセッションできる時代とはいえ、複数人で遊ぶことを考える場合、他の面子とのことは大事な案件でしょう。
 何を下地にすればいいのか、どこから自信を調達すればいいのか、悩むでしょう。もちろん、常に楽しんでいる人もいますし、評価を受けても苦しい思いしかしていない人もいます。

 GMに向いている人がどういった人なのか、わかりません。
 結果論としてしか語れません。
 遊べているなら、それでいいじゃん。とも思います。

 遊べていないなら、考え直せばいいじゃん。とも思います。

 失敗を恐れる気持ちがあって当然ですし、恥を知る気持ちはより大事だと思っております。

 「あなたはGMに向いていますよ」なんてことをよく言います。GMには向いてるけどPLでやるとグダグダになったり、それどころか不愉快になって二度と遊ぶか!と思えてしまう人もいます。

 「GMをやってもらっても面白くない」なんてことも、よくあります。そういう人に対しては、だいたい誘われてもPLで参加しません。コンベンションを開いて抽選になったら、なんとしてでも避けようと権力を握る側に回ります。あいつのGMだけは勘弁な!誘うなよ!と、周りへの周知も忘れません。
 でも、そういったGMでも需要はありますし、時間の経過とともに一緒に遊べるようにもなります。

 僕には、結果論でしか判断がつきませんし、結果をみたところで、実のところそのような評価はしたくもありません。
 身内の悩むGMに声をかけられるのは、そのGMが抱えている問題を知る機会があるからですし、身内だからと言って知らなければ何も言えません。出来る限り助力したいとは思っています。

 「向いていないと思ったら辞めろ」

 なんて思いません。

 「死にたい」という言葉の裏には「助かりたい」という気持ちが隠れていますし、「向いていない」という言葉には、言外に色んな意味が含まれているのでしょう。

 「自分は向いていない」と言うならば、たぶん悩んでいるんだろうなぁと思って、話しを聞くところから始めたいと思っています。すでに、何か知っているならば、知っていることをもとに、何かを提案できたらいいですね。

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