(仮)国民のアップデート
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現在のロシアと西側諸国の対立は、プーチンの個人的な決定に過ぎないと考える人もいる。そうではない。1999年に北京で李鵬に会う前に行われたエリツィン大統領の演説を見てみよう。3週間後、エリツィンは退陣し、プーチン首相はロシアの大統領代行になった。
ロシアでは、「良い」エリツィンが恐ろしい誤りを犯し、誤って「悪い」プーチンを後継者に指名したと推定する人が多かった。が、そうは思わない。エリツィンの最後の3人の首相たちは、すべて情報機関のキャリア将校だった。彼はそのような後継者を積極的に探し、候補者を精査していたのだ。
プーチンの軌跡はちょっと典型的なものだった。前任者のステパーシンを考えてみよう。FSB長官。その後、キレンコの下の内務大臣。その後、首相。プーチンの軌跡と非常によく似ているが、最終的にツァーリが別の選択をした点が異なる。かわいそうなステパーシン(右側)
ステパーシンは違うのだろうか?疑わしい。このインタビューで、彼は基本的に、KGBが解散の危機にさらされていた1991年に、国家安全保障を損なわずに維持していたことを認めている。
「国家安全保障は政治化されるべきではない」
それは政治的な声明だ。
結論:問題はプーチンにあるのではない。エリツィンが間違った選択をしていることにあるのではない(彼は自分がどんな選択をしているのかを完全に知っていたのだ)。問題は、ツァーリ(訳注:現代は大統領であるがその時代によって皇帝や国王、太公かもしれない。ロシアという国家を代表して統べるものがツァーリであろう)が自分の裁量でで後継者を任命するという、争われない権利にあるのだ。ツァーリの権力が本当に問題なのだ。
プーチンを、自分の意志にすべての人を服従させるような暗い性格のように扱うのも間違っている。1996年に大統領の財産管理サービスに任命された際のインタビューを見てみよう。謙虚でシャイな人だ。チュバイスやベレゾフスキーと親交があることを誇りに思っている
プーチンの悪役のイメージは、彼の人格に基づいているのではない。彼の立場に基づいているのだ。ツァーリに無制限の権力を与える政治システムの中で、ツァーリであることに基づいているのだ。
プーチン権力の基礎となっているのは、ロシアでは非常に一般的な準君主的な政治文化であり、中央の政治的エリートである廷臣の間で圧倒的に優位に立っている。この文化は言語によく反映されている。このマトヴィエンコの有名な言葉を考えてみよう。
また、ガスプロム社のミラーCEOが、契約更新の是非を問う記者の質問に対し、次のように答えている。
"I am a Sovereign's [государев] человек. If I am offered to stay on my job, I'll stay"
「私は君主の[主権に属する] 男である。もし、このまま仕事を続けるようにと言われれば、続けるだろう」
ロシアの廷臣がプーチンを皮肉にも「ソブリン」と呼ぶのだと主張する人もいるだろう。私にはよくわからない。これらのカジュアルであまり考えられていない発言は、実際の考え方を反映しているだろうと思う。主権とは、ロシアにおける唯一の権力源である君主の属性である。
問題はプーチンにあるのではない。ロシアの準君主的な政治構造にあるのだ。したがって、この問題は、プーチンを「より優れた人」に変えることでは解決できない。帝国権力のシステムを完全に解体することによってのみ解決できる。
なぜロシアでは準君主制文化が浸透しているのだろうか?まあ、すべてはレバレッジとインセンティブに起因する。ツァーリ朝廷は、自分たちに対して異議や警鐘を唱える者を抹殺するための影響力を持っており、彼らはそれを使うだろう。よって、絶対に異議を唱えないという動機付けを人々は与えられてもいる。だからロシアはとても従順なのだ
ロシア人が政権を「支持する」か「支持しない」かという議論は、正気の沙汰ではない。第一に、ロシアを均質なものとして扱っている。第二に、政権に対して声を上げることが選択肢であるという前提に基づいているのだ。そうではない。
そう、理論的には政権を支えることも、それに立ち向かうことも、自由な選択だ。現実には、インセンティブの面で大きな非対称性がある。クレムリンを支持したり、黙り込んだりしても、あまり損はしない。しかし、立ち上がれば、多くのことを失うことができる。
それは、誰もが政権のために実際に一生懸命働くことを意味するのではない。エリートたちの公然たる反対を見ないということだ。なぜなら、声を上げる者はすぐに淘汰されるからだ。本当の反対は、サイレント・サボタージュという形でのみ行われるだろう。
ロシア連邦を破壊するのは、開かれた、理想主義的な、集団的な行動ではない。それどころか、エリートたちによる静かで実際的な、個人的な行動であるだろう。例えば、地域の経済的保護主義の高まりにより、国家の経済的結束が崩れる。
ロシア帝国を解体するということは、ロシア人に権利を与えるために必要な前提条件である。政権の「支持」は、支持というよりも、ツァーリ宮殿が破壊されることに異論のある人がいるために学んだ無力感である。したがって、宮殿の破壊が必要だ。
誰でもクレムリンでプーチンの後を継いだ政治家は、プーチンのように振る舞うだろう。絶対的な権力は絶対的に腐敗する。ツァーリの権力に堕落しないような誠実さ、無私無欲、謙虚さを持った人間は存在しないだけだ。
ツァーリの権力は、ロシアの準君主的な政治文化に基づいている。準君主的な文化は、潰されることに反対する声を上げる人に基づいている。ツァーリ宮廷には影響力があり、他の人には黙りたいというインセンティブがある。それは悪循環だ。断ち切るべきだ。
それを断ち切る唯一の方法は、できるだけ多くの地域を自由にし、クレムリンの手の届かないところに行くことだ。独立すれば、クレムリンが反対意見を粉砕し、他の声を黙らせるのはかなり難しくなる。これは独立し選挙権を行使するために必要な前提条件だ。
私には考えられない何らかの理由で、ロシア連邦の解散の可能性は、純粋に民族のレンズを通して、「少数民族が離脱していく」事と、「ロシア人がクレムリンによる主体性排除の権力の下に留まる」と見ている。しかしロシア人も主体性を持つ(クレムリンの影響を排除し)べきだ。以上記事終わり🧵
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