寝たきりから一人暮らし1:急性期病院

<はじめに>
2014年8月下旬に病気にかかり、5年が経過しました。
現在、会社を辞め、自営業になったものの、収入は1円も得ておらず、障害者年金で細々と暮らしています。
経済的には悲惨な状態ですが、リハビリに関しては介助なしで安定して一人暮らしができるようになり、成功例のようなので、ノウハウや体験記を投稿したいと思います。

私の病気は免疫が間違えて脳を攻撃するというものです。
免疫が攻撃した場所は脳幹という場所で、人間の原始的な体の機能を司る場所だそうです。
原因は不明で、私の場合は右足付け根の筋肉奥に発生した、腫瘍(のちに石灰化=無害化)が有力だそうです。

[状態]
年齢:発症時20台後半、現在30代前半
性別:男
発症当時の職業:IT系
病名:急性散財性脳脊髄炎または、ビッカースタッフ型脳幹脳炎
初期状態:完全寝たきり
転院時の状態:車椅子に介助ありで乗ることが可能

この記事は4部構成です。
1.急性期病院
2.回復期病院
3.支援施設
4.社会復帰後
この記事は1.急性期病院となります。

<教訓>
1.スタートは早いほうがいい
2.ICU症候群だった場合は早く本人に気づいてもらったほうがいい
※ICU症候群:ICUにいる時に不安からくる精神が不安定になる状態。
例)感染症でないにも関わらず、自身を感染症と思いこむ。

<時系列と内容>
2014年8月25日頭が割れるように痛かったので、私は119番で救急車を呼びました。
救急車を呼んだ事以外は記憶がなく、自社から外資系の会社に派遣で行っていた事や、その会社のコールセンターの一次請けが海外に移転する事などははっきり覚えているのですが、どれぐらい前から記憶がないのかも思い出すことができません。
以下は意識が戻った後、入院する前後について家族から聞いたことです。

[8/23-8/25前後について家族から聞いたこと]
・23日(金)に耳鳴りがするということで勤務先を早退、耳鼻科へ行った。
・自社に勤務先のリーダーから様子がおかしいと連絡あり。
・自室には耳鼻科でもらった薬が散乱。
・家賃の引き落とし口座(ゆうちょ)に金額が足りないといので、家賃を入れてもらうよう母にメール。

耳鳴りがするのにどうやって救急車を呼んだのか、我ながら非常に疑問です。
その後搬送された隣町の病院では1日入院(耳鼻科)したそうですが、これは耳鼻科ではなさそう、ということでさらに隣町の病院へ搬送されたそうです。
この病院での先生の診断は早く、早急に適切な治療が始められたそうです。
この間のこともはっきりした記憶がないため家族から聞いた話と私のICU症候群時の記憶らしきものを記載します。

[11月上旬までの出来事で家族から聞いたこと]
・目が徐々に見えなくなっていった。
・耳が遠い、左側から大声で話さないと聞こえない。
・途中から意味不明な言葉を話し始め、日本語が通じなくなった。
・話の内容が聞こえているかわからないがとりあえず頷く。
・栄養補給のために鼻に入れている管を必死になって抜くので、家族の同意を得た後、両腕をミトン(手袋)に収納され、ベットの柵に固定される。
・筋肉の奥に腫瘍があるので、大学病院に搬送されるも肺炎でそのまま戻ってくる。
・腫瘍を取り出すために手術で切開した場合、神経が傷つく可能性が高いので、高い確率で後遺症が残るであろうこと。
・後遺症の話を母にする前にMRIをとった結果、腫瘍が石灰化し、無害になっていることが判明し先生安堵。
・結局手術は不要に。
・病院にいるのに、家族に何がしたいと聞かれ、病院に帰りたいと言う。

[私の記憶らしいもの]
・監禁され、右足の付け根に刺青を掘られる(デザイン失念)。
・無理矢理前タイヤの部分がスキーのようになっている特殊なワゴン車に載せられ、雪山を滑走。
=>おそらく、大学病院移送時の記憶
・アニメ「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」と「ウィッチクラフトワークス」が混在した訳のわからない世界にいると思い込む。
=>「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」は非常に好きなこと、「ウィッチクラフトワークス」は病気になる直前に見ていたことが原因と思われます。

そうしているうちに病状は落ち着き、一般病棟に移り11月上旬になります。
2ヶ月以上経過してやっと意識を取り戻ります。
人間は1ヵ月半程度寝たきりになっていると体が動かなくなってしまうそうで、私も例に漏れず完全な寝たきりでした。
意識が戻った時の記憶ははっきりしており、暗い背景の中でピッチャーのようなものから水が流れ落ちると言うものでした。
しかし、ICU症候群の影響でまだ正気になっていない私は自分を自分だと思っていませんでした。
正気に戻るにはさらに1週間程度かかりました。
自分の名前が言えませんでした。
そして、驚いたことは固形の食事のマズさです。
好きな肉を食べているにも関わらず、生ゴミを食べたらこんな味なのか?などと考えていました。
これなんですか?と仕切りに質問していました。
その後はしばらく固形食を拒否し、朝夕の液体のカロリーメイトを看護師さんに急須のようなものに注いでもらい飲むと言う生活を続けていました。
味覚に関しては、一度拒否した後、再度我慢して食べた後元に戻りました。

正気に戻るまでの1週間程度は今起きていることは夢だと思い込み、夜になるたびに夢からさめろ、夢からさめろ、夢からさめろ、と念じていました。
そして1週間ほどたった頃、私はCTスキャンを受けました。
意識が戻ってから人生で初めてのCTスキャンでした。
夢なら記憶にないことは起こらないはずだから、これ現実じゃね?と思い、この時やっと正気に戻りました。
そして、血の気が引き、すごい勢いで脱糞したことを覚えています。
正気に戻ってからはどうせ動けるからダルい、面倒臭いと思い込んで面倒と思っていたリハビリにしっかり取り組むようになりました。
家族からリハビリにしっかり取り組めば後遺症はほぼ残らないと言う病気に関する闘病記を聞いていたのも大きかったです。
この頃はベッドで足首の曲げ伸ばしをしていました。

正気に戻ったばかりの頃は車椅子に乗っていることが苦痛でしょうがなかったですが、リハビリを続けるうちに長い時間車椅子に乗っていられるようになっていきました。
そして、時期は12月になり、回復期の病院への転院の時期がやってきました。
散髪をし、もともと坊主頭だったので、限界まで短くしてもらい、転院となりました。

<まとめ>
1.スタートは早ければ早いほどいい:私は正気に戻るまでの1週間程度を無駄にしてしまいました。
これは私の社会復帰後の実感ですが、脳は使わない部位があると使われないことを前提に体を最適化しようとします。
なので、リハビリのスタートは早ければ早いほどいいです。
運が良ければ体が覚えているので、リハビリで新たに習得し直すよりも効率がいいと思われます。

2.入院している人がICU症候群だった場合は出来るだけ早く、刺激は少なく気づいてもらったほうがいい:私としてはハッキリ言ってもらった方がありがたかったですが、人によっては精神へのダメージが大きすぎる可能性があります。
なるべく自然に気づいてもらえるように誘導してあげてください。
聞かれた際は正確な情報を教えてあげることも良いと思います。

<さいごに>
今回は急性期病院での体験・振り返りを書きました。
次回は回復期病院での体験・振り返りを書こうと思います。

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