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認知戦や詐欺への防御・対策(悪用厳禁)

認知戦というのは

場に参加する人に対して、情報的に現在の均衡状態を、ディスインフォメーションやフェイク情報を伝え、偏らせ、崩す事であり、よくプロパガンダ手法と共に流布されます。一定の人が集まり集団となり、集団が世論を作ります。認知戦は、間違った情報を、信じさせることにより、間違った世論に誘導する手法です。つまり認知戦の攻撃対象は一人ひとりの脳であり、認知戦は極めて広範なマインドコントロール手法といえます。

その情報は、得てして、情動(恐怖感、不安感、疎外感)を掻き立てる言葉がラベリングされており、感情を揺さぶり、脳の正常性を保つ機能のロック解除に繋がります。そうする事で、思考が鈍くなり、結構な与太話でも信じてしまう(刷り込まれやすい)状態、いわゆる変性意識状態になります。

そのような状態では、不安感などを払拭するために、偏った情報を自動かつ無自覚に選び取りがちで、また、その事が、知らない情報を持っている者(以下、教祖という)を崇めやすい事(異常な依存性)にも繋がります。他者に依ってその状態を作られる場合、その他者に、知らず知らずの間にリアリティや信念を書き換えられることになり、その後の思考や行動まで誘導されることになります。

無自覚に、教祖の下の情報を連続的に無防備に浴びる集団…それは教祖次第ではありますが、場合によってはカルト集団に近づく事になりますし、誘導が容易に可能な集団、脆い社会とも言い換える事ができます。
(注)カルト・・・特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりすること。

とりあえず、結果として、「無自覚」に偏向、フェイク情報を素直に信じてしまう人…が多い国が認知戦弱小国になります。

📺、SNS、公的情報、ニュースアプリ、御用の方々が足並みを揃え、国民の大多数を巻き込んだ環境下で大きな対立構造があり、その際に「分断」という言葉が使われることがあります。そう形容するのは間違いではありません。

ただし、小集団に属し、全体を俯瞰してみたときの現象としておきているのは「認知的細分化」で認知戦弱小国では当然顕著におきる現象です。これはカオス戦略と呼ばれる事もありますが、主に📺などの一方通行メディアよりSNSのような相互性のある媒体で顕著に現れます。

https://twitter.com/takoruri_lol/status/1521367362103963648

レモンというまるでセンシティブでないテーマでも反応を手軽に書き誰もがみれる状態になるSNS。「問いかけと反応が連続・連鎖する場」であり、「フィルターバブル(アルゴにより調整された偏った発信情報)の渦」で、閉鎖性のある「小教祖集団」が大量生産され、「各小教祖が渦の中心」に君臨するようにシフトしていきます。センシティブな情報を流せば流すほど、集団の細分化が激しくなります。細分化とは、小集団が乱立する事で、それ毎にパレートの法則(亜種)がはたらき、場を支配する者が原理的に多く輩出される事になります。

これはカルトが極めて誘発されやすい構造です。
小集団に小教祖が乱立しやすい構造であり、その小教祖の正義(教義)の名のもと、信者は、先鋭化、極化、カルト化、非科学化し、教祖のコトバだけ信じやすい(認知的脆弱)集団が生まれやすい事を意味します。センシティブな情報を連続的に流すだけで、連鎖し、より極まってしまう恐れがあります。

それ(カルト化)をとめるには、自分の位置を俯瞰的にみたポジションのチェック、情動を制御するために自分の内面を客観視、個々の認知戦やマインドコントロールの仕組みを向上させる以外ありません。発信する側の情報発信を止めるのは不可能なので、自分で意識的に防御するほかないのです。

おおきく「分断」と表現するのは間違いではありませんが、その場(小さな集団)に参加し、認知戦が進む(センシティブなテーマが増加し続ける)につれ、争いが勃発しやすくなり、また工作集団もいますので、批判される体験によく出くわし、怒りの情動と共に発する主観言葉としての「分断だー」は、認知戦の理解が乏しかったり、客観視ができていないが故の言葉である可能性が高いです。

その場に参加していない人、その集団から遠い人には、まるで分断など起きていないのに影響力のある小教祖が分断と騒ぐのですから、それはそれで不要な敵対構造を生むので困ったチャンだという事です。

認知戦被害者は以下のような流れで排出されます。

場に参加
→(情動優位を起こす、プロパガンダと共にくる)情報に連続的に触れる
→情動が優位になる
→情動を鎮める為の情報に飛びつく(強力なbiasが発生)
→そのような発信をしている者に親近感を持ちやすくなる(ストックホルム・シンドロームのような場の支配者への好意、依存)
→第三者(場の支配者)からの情報による認知の固定化(正義の形成)
→それが継続すると深い思考ができず、情報を条件反射で善悪判定(特定の数人のRTばかりしているような人は特に、危険。今すぐ場から離れるべき)
→確信しやすくなる、信念化されやすくなる、疑いにくくなる(沼に嵌る、異常認知の正常(固定)化)
→"確信"を否定する意見をみると、情動(怒り)発動しやすくなる(負のスパイラル。「敵が多い!」ではなく認知戦の進行では細分化は当然のこと)
→争いがち、言葉が悪くなりがち、プロパガンダ言葉、レッテル言葉を使いやすくなる(社会規範の欠如)
→細分化され、社会規範の欠如した母数の多い社会は、乱立した「我の正義()」の下、法律違反などハードルを越えやすくなります。
つまり、犯罪の増加も起きますし、脆弱性の露見した国家は刈られやすく利用されやすく、混沌としたカオス社会を誘発しやすくなります。

認知戦下の無意識的な認知の変遷例、マインドコントロール

一応、以下に、争いやすさの数値化も試みてみましたが、ごくごく単純なモデルで、争いが起きやすくなる理由としてざっくり認識してもらえれば幸いです。

現実は、心理的な効果を数値化するのは極めて困難でしょうし、属性の割合構成比も違いますし、テーマに依って信念の強弱もありますし、他の変数も思いつくだけで結構な量がありますが、あくまで争いが起きちやすくなる様子を数値を使って、ぼんやり認知する為のものです。

今回、注目したいのは、認知戦における細分化された同属性間の信念の乖離度の変化です。細分化の果ての「争いやすさ」と変換してもよいでしょう。

Tn : 同カテゴリのテーマへの信念レベル(5段階)
※5を「強くそう思う」、4を「そう思う」、3を「わからない」、2を「そう思わない」、1を「まるでそう思わない」としてみましょう。
p:あるテーマへの参加数(グループや個人など)
他の変数例:各グループにおける…
幼少期から刷り込まれた物の考え方(信念のコア)、テーマ自体のセンシティブ性の強弱、T1→T2→…における重加算方式(例:T1が仮に5なら、T2も4,5になりやすい(前情報により認知が偏ったなら、次情報に対してもその偏りは引き継がれる))、情動の優位性、教祖への盲信性、細分化による母数変動などなど

"あ"と"の"グループの乖離度は、8です。これが乖離度(MAX)で、争いやすい事を示します。一方、0は乖離度(MIN)で、争いにくい事を示します。
赤枠の"あ~お"グループでは、乖離度(MAX)は2で、乖離度(MIN)は0です。この状態では、"あ~お"グループは仲良くやっており、グループの線引きも実際に感じる事はできないでしょう。

図A

しかし、認知戦下では、偽情報が洪水のように、プロパガンダ言葉と共に、連続して発信されます。また、細分化されたグループ間で、とあるテーマが出て、真逆の主張になった場合、その「真正」を巡り対立していくわけです。
テーマが10までであったとしたら、このように変化します。
"あ~お"グループでは、乖離度(MAX)は4.4にまで増加し、争いが起きやすくなった事を示唆しています。グループ間の壁を感じる事になります。
※P=1,25以外のR値はランダム数としました。

図B

つまり図Aのフェーズでは、"あ~お"グループは交流し、おおよそ仲良くしているわけです。しかし、図Bのようにテーマ数が増えてくると、あら不思議!あんなに近い考えだった(という錯覚がリアリティ強)のに、内部で分裂していきます。近い属性であっても、争いが起きやすくなるのです。

いや、むしろ現実には「仲間意識があった」というのは「相手への重要度が高い」という事ですから、突如、袂を分かつことになると、その落差も大きい訳ですので(さらに情動も誘発され)、亀裂が深くなるのは容易に想像できることでしょう(リスクヘッジの論理のように、重要度も各所に分散しておかないと、何か一つ失った時の被害は大きくなります。教祖に重要度を注ぎ過ぎると、その教祖を失いたくないがあまり、盲信化し、非論理的に100%正当化し、その敵を殲滅したい狂気が発動しやすなりします)。

「親友に裏切られた気持ち」から「より憎悪が顕著」になりやすいのです。被害妄想的ともいえます。実際は、違う意見なだけなのに、真正を巡る戦い…。近い宗派による些細な教義の違いによるカルト的な争いに近似してきてるようではありませんか。

また、小教祖が他の小教祖と臨戦態勢を構えると、各々の情動優位信徒は、あたかも小教祖VS小教祖の全面戦争のごとく、臨戦態勢!といわんばかりに士気が高まるようでもあります。

こうして認知戦を仕掛ける側からみると「情動を伴いやすいセンシティブな連続テーマ」を与えるだけで、時間とともに、細分化となり、小教祖が生まれ、潜在的に内紛がひき起こされやすく、社会秩序が乱れ、脆い状態になり「成功だ」と言う事です。認知戦被害が大きい集団では時間経過とともに、確信脳の色合いが濃くなり、深く考える思考が低下し、教祖には従順、教祖に反する者には狂暴といった「ヒトの動物(家畜と獣の両相)化」ともいえる状態が進み、考え方や人そのものへの寛容度の低下も起きているといってもいいでしょう。

大規模な認知戦が進行すると…!?
※【】内は一人ひとりが出来る防御策

「認知的細分化」
→「教祖と信者モデル」の乱立【これに加担しないように意識徹底】
→「ヒトの獣化」
内紛の増加、情動優位、思考力の低下、倫理観の劣化、不寛容、社会規範の欠如など【これをしないように規律徹底】
→「社会秩序の崩壊」
→「脆弱なカオス社会」
(→「新たな秩序の構築」の導入がしやすい)

対策のひとつに、認知戦が展開されている
「両論がない情報場に参加しない」というものがあります。
人は漫然と苛烈な認知戦場にいれば、どうしてもマインドコントロールされやすくなるものです。それは、人は重要度と情動で動く生き物ですから当然です。ですから、不用意に他者から重要度を書き換えられ、情動を刺激されるのは危険ですから、俯瞰しましょう・学びましょう・対策しましょうといっているのです。

扇動指導者へ傾倒、カルト宗教入信、自己啓発セミナー、詐欺師、悪質な占い師、マルチ・アフィリエイトの勧誘者、布団や健康食品の催眠商法などで行われるマインドコントロール手法と基本的に同様です。

対象者を閉鎖空間場に参加させ、外部情報の遮断をし、場の支配者やサクラと共に、客の情動を掻き立て、話に引き込み、熱狂させ、変性意識を醸成し、リアリティを投影し、場の支配者の論理への重要度を高め、各々が好き好んで「それに違いない」と確信すれば完了です。あとは自発的にマジメに修練しはじめるのです。「偽りの教え」でもです。

これらに嵌った人に共通するのは、皆、中に一旦入ると正常性が機能せず、その間、その事だけに人生を捧げるがごとく、視野の狭窄(集中・没入癖)があり、それ故、異常性やおかしさを自覚できなくなることです。
※集中・没入癖を、教科書学習などで自分の為に意図的に利用している人は偏差値が高く、抽象度(俯瞰し全体を把握する能力)も高いはず

教祖の教義に触れ、教祖への重要度(神格化)が極まり、正常性の書き換えを「あくまで自分で」し、「自分の意思かの如く」教祖を信奉し、教義の反復を「自ら進んで」しているので「疑う事」など、まるでありません。この確信極まった状態である事が、脱カルトの一番困難な理由です。

運よく、後に脱出できた人(つまり重要度が生活、ファイナンス、家族、友人、政治、自分の時間・趣味などに分散する事ができるようになった人)は、当時を振り返り、皆一様に「騙されているとは思わなかった」「疑うことはまるでなかった」と言うのです。その当時は「金を納めようが」「人が死のうが」、「大義の為」「教祖は悪いはずがない」と自動で正当化が行われます。その偽りの大義の為に、簡単に法を犯し、子どもでもわかる倫理・道徳さえ消失する怖さをカルトには秘めています。

なお政治・宗教におけるカルト団体誕生に主義は関係なく、急進主義的なナショナリスト(ファシズム)でも、全体主義でも、破壊革命主義でも起きえます。要は熱狂者を増やすには、対象場に何らかの閉塞感・不安感があり、そこに扇動力を行使しマインドコントロールを施せばいいわけです。…歴史をみるとヒトラーやオウム麻原、権力地盤を引き継いだスターリン。彼らは「独裁(権力)者」の猜疑心から「粛清」「虐殺」という部分で共通しています。

そして、その信者は、我に返った時、多くの人は自責の念に苛まれてしまいます。なぜなら、彼らは素直で、真面目で、集中思考(没入)癖があり、行き過ぎた正義中毒者が多いのです。騙されやすい素質があり、騙された後も、自責の念に苛まれやすい素質があるのです。

…自分がそのような真人間ゆえ、他者も真人間だと思いがちなのでしょうが、そうではないのが現実です。まず、詐欺手法や認知戦防御の方法を学び、場に臨む…。場には、天才的詐欺師もいるはずだ…。このような至極当然の予防概念がなく、俯瞰視能力が欠如している故、彼らの「他の人も真人間で溢れてるという錯覚(スコトマ;盲点)」を増幅しているのかもしれませんが、それでは鴨葱もいいとこでしょう。

トップセールスを誇る営業マンも知ってか知らずか、このような手法を使いこなしているケースが往々にあるでしょう(それで対象者が幸福になれば、まだいいですが、刷り込まれた正義・正解の元、金を失くしたり、法に触れた行為をさせられたり、争わされたり、死者を出すケースも)。

安易に場に参加しないだけで、様々な詐欺、トラブルの防御、予防は可能です。場から離れるとは、その場からの情報、影響を遮断することを意味し、それは「(その人にとって)存在しない」のと同義ですから当然です。ただし、価値観レベルまで刷り込まれると、薬物依存同様に、自発的に「抜ける」「止める」のがかなり大変かもしれません。46時中、教祖や教義を考えてしまう訳で、それは、「(その人にとって)存在する」…つまり「影響する」なのです。

また、それでもアクティブに場を求めたい、情報への欲求、渇望は、捨てがたいと思う人も多い事でしょう。

であれば、所属する場や、情報との付き合い方を今一度、考える必要があります。場に入るための、場の全体把握、知識、学びの事です。

日本では、その手の認知科学的な切り口の教育はほぼありません。ファイナンス知識の乏しい人が投資場(相場)に参加し毟られるのも至極当然の結果なのと同じです。場に入るには、対策が重要で、おろそかにすると、負けのリスクが極めて高くなります。

その対策を考える為に、再度、認知戦下の認知の変遷をみて、どこに注意すればいいか考えてみましょう。

場に参加
→(情動優位を起こす、プロパガンダと共にくる)情報に連続的に触れる
→情動が優位になる
→情動を鎮める為の情報に飛びつく(強力なbiasが発生)
→そのような発信をしている者に親近感を持ちやすくなる(ストックホルム・シンドロームのような場の支配者への好意、依存)
→第三者(場の支配者)からの情報による認知の固定化
→それが継続すると深い思考ができず、情報を条件反射で善悪判定(特定の数人のRTばかりしているような人は特に、危険。今すぐ場から離れるべき)
→確信しやすくなる、信念化されやすくなる、疑いにくくなる(沼に嵌る、異常認知の正常(固定)化)
→"確信"を否定する意見をみると、情動(怒り)発動しやすくなる(負のスパイラル。「敵が多い!」ではなく認知戦の進行では当然のこと)
→争いがち、言葉が悪くなりがち、プロパガンダ言葉、レッテル言葉を使いやすくなる(社会規範の欠如)
→細分化され、社会規範の欠如した母数の多い社会は、乱立した「我の正義()」の下、法律違反などハードルを越えやすくなります。つまり、犯罪の増加、脆弱性の露見した国家は刈られやすく、混沌としたカオス社会を誘発しやすくなります。

認知戦下の認知の変遷、マインドコントロール

避けた方がよい、情報発信者・属そうとしている集団の発言、マインド(※1)
・言葉が汚い、プロパガンダ言葉を使用している(教祖の唯一性、カリスマ)
・粛清するかのように引ツイで晒す(教祖の威厳を保つ)
・間違った事を指摘しても、反省がない又は逆上する
・大きな誤解を生むような情報発信の仕方
・やたら断定口調
・情動を揺さぶる表現が過多

上記を守りつつ、
過去のマインドコントロール事件を認知科学と共に学び対策知識とする
(その上で、現在のSNSを俯瞰し参加すると実践編にもなる)
・両論をまんべんなく受信する
・結論を簡単に確定させない
・真実は相対的であり、より主観的である故、事実(紛れもなく本当に起きた事、現実に存在するもの)を重要視する
→事実を重要視する事で、真実論争による派閥に属する必要がなくなる
・アカウント(特定の発信者)を信仰しない
・常に俯瞰視。少なくとも自分が全体のどの部分の場に存在しているか認識
・「なるほど」と思ったら、「いや、まてよ」と立ち止まり、情報の裏取りを必ず「自分で」する。他者でなく「自分で考えて判断する事」に重要度を置くのが大切です。できないなら、留め置く。
ただし、ググって、「ああこれに違いない」も立ち止まりましょう。Google情報場のアルゴ操作は既にあります。その場合は、「自分で考えて判断する事」自体が「誘導の結果」であるケースもあります。全盛期は、「ワクチンの毒性」と検索したら、「ワクチンの安全性」の記事が羅列されたりしました苦笑。

翻って、私たちが情報発信する際にも気を付ける必要があります。認知戦に加担しないような形です。
メディアがプロパガンダ言葉と共に、情動誘発をしている事がわかっており、あなたも同じことをするのであれば、それは立派な加担者となります。

何かの情報で、間違いがあると認識したなら、間違いを論理的に指摘すればいいだけで、もっというと、相手の情動を逆なでしない事にも気を払いましょう。プロパガンダ言葉を用いるのは、"指摘"とは言えず認知戦場ではただの攻撃(加担者)なのです。

認知戦とは、対象者の立場…「被害者が加害者」へと容易に入れ替わる厄介な性質があります。そのために(※1)をしないように意識すればいいでしょう。

認知戦は、国際機関であったり、他国であったり、自国でも国民をまるでゴミのように扱う国ではメディアを利用し、自国(政府)が国民に仕掛けてきます。実際に政府がやることは、情報の制御(情報の拡散、情報の見せ方)…つまり広告代理店やメディアやSNSによる制御を、「入札」や「予算」や「アメとムチ関係(記者クラブ排除など)」や「持ちつ持たれつの関係(天下り、票と口利き)」などの構造があり、展開するので、費用もさほどかからず、また言論人の中に利己精神がある人(野心家)がいれば、その者がプッシュされ出続けるだけなので、基本的に終わる事はありません。

ですので、場に所属したり、情報に触れる場合、あなたが
・認知戦やマインドコントロールに加担しない
・防御のルールを厳格に意識し、守る事
・全体を俯瞰し、自分がどの系統の情報場に属しているかを知っておく
を徹底してくださいね。

現実問題として、この国では、連合赤軍、オウム、洗脳監禁事件、芸能人の洗脳騒動、電通過労死自殺事件、某党の秘書自殺事件など「教祖と信者モデル」から「内紛、粛清、自殺、テロ」といった危うい場の中のマインドコントロールで、死者もでるような状態が、厳然と存在しましたし、現在も再燃中といったところです。

おそらく信者が所属に至るきっかけ自体は、主張を聞いて「心が動いた」「涙がでた」など情緒的なものであったと思います。ヒトラーは民主的に支持され選ばれた扇動演説のプロです。情勢不安な国の、情緒不安定な民に連続して聞かせる事で、支持が前提となるような妄信・認知の固定化となり、教祖マンセー、教祖教義への異論は徹底的に潰すといったカルト習性が芽生えはじめます。もちろん、彼らにその恐ろしい芽生えは認知できません。場の外部からみると「危ういね」と容易に理解できるのに…です。

このnoteを読んで思い当たる節があり、「ハッ」とされたなら、一度、場から完全に離れ、冷静に、論理的に、時間をかけて、教祖の扇動術、矛盾、二枚舌、詭弁を見つける作業に没頭してみてください。

まぁ、心酔してる人には、馬の耳に念仏になってしまうことの方が多いでしょう。このような記事は認知領域の構造への知識、対策が乏しい深化した信者にとって心理的抵抗を生むと思います。「心酔している安心感を崩すとは何事か!」と。それこそが、マインドコントロール、洗脳、認知戦被害者の反応でもあります。

『「より大きな善」(と自分で思っていること)のために法を犯すこと、他者の権利を踏みにじること、プロパガンダ言葉をつかうこと etc…』
に何の躊躇いもないとき・・・おめでとうございます - あなたは入門者です。

そう…熱狂し、分別がつかなく、刷り込まれた正義の下、倫理観が喪失し、悪行の加担に気づけず躊躇がなくなってしまった者。これは、カルトの入り口、または、サタニズムの攻撃を受けている状態なのです。

コロナが大規模認知戦のきっかけになりましたが、2019年以前のあなたはもっと穏やかではなかったですか?大切な人との関係は良好ですか?訳のわからない教祖政党や荒ぶる言葉にうっとりしていませんか?他者からの重要度の書き換えで「魔が差し続けて」いませんか?

くれぐれも人生を無駄にしないでくださいね。
あと、悪用しないようにも気を付けてください。

※本記事は、宗教や、政治活動、SNSなどを十把一からげに否定するものではありません。どのような道具でもそうですが、ご自身の徹底した利他目的において用いれば、社会にも良い影響を与えるものともなり得ます。信仰、確信の力は極めて強力です。それを利己目的、扇動、詐欺に使う者が多くなったと感じましたので、その警鐘の意味合いはあります。


●参考
「プロパガンダモデル」 エドワード・S・ハーマンとノーム・チョムスキー パンテオンブックス、1988
https://web.archive.org/web/20120903151205/http://www.thirdworldtraveler.com/Herman%20/Manufac_Consent_Prop_Model.html

認知戦の8つの対策

https://twitter.com/mt9jyo/status/1687818601829724160
防衛研究所 P.7
https://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary163.pdf
プロパガンダモデル
https://twitter.com/dtube99/status/1582456068390912000

マインドコントロール
https://twitter.com/mt9jyo/status/1717412432120062258

苫米地博士が解説!新たな認知戦 (2023年10月2日) #台湾有事
2023/10/02
https://www.youtube.com/watch?v=_BnMUKzI6yA


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