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目に見えないものに対してどうすればいいか

結論からいうと、自分で考えて決断するしかありません。

ここでの「目に見えないもの」とは、“情報”と捉えてもらうのがわかりやすいと思います。ウイルスも神も高次の存在も、そういった存在という“情報”として考えてみてください。

自分で考えて決断するというのは、結論を出すのが自分の意志であるという意味で、最初から最後まで自分の頭や理性だけを駆使しろということではありません。

これまでは、その分野に精通している人や多くの経験を積んでいる人や権威が出した結論が紛れもない正解でした。
それで大きな問題が起こることもなかったし、それが安心安全で正解で真理とされてきました。

未知の病気に関しては、科学的な分析という真理に従うことが正解でした。
神に関しては、宗教の権威が真理で正解でした。
高次の存在に関しては、経験豊富なチャネラーや誰もが知っているようなすごい存在とつながれる?ことが正解だったかもしれません。

これまで自分以外が与えてくれていた正解を、これからは自分で決めなければなりません。
専門家や権威が集めてくれた情報にアクセスするのは大事なことです。しかしそれで終わりではなく、それらを判断材料として、どれを自分の正解とするのか自ら決断するのです。

目に見えているものであれば、正解は出しやすく人と同じ結論になることも多いでしょう。それは肉体という人間共通の感覚器官があるからです。
(Aさんは目でものを見てBさんは舌でそうする、ということはありません。ほとんどの人間が目で見ているので、見えるものに対する印象は共通するものになります)

しかし目に見えないものは、人それぞれ使う感覚や器官が異なります。
人によっては視覚的に、別の人は聴覚的に受け取り解釈します。
解釈の仕方も右脳的か左脳的か、その人の経験に基づく要素がどれくらい加わるか等々、一人の人間の中にも複数の解釈や感覚があるでしょう。

繰り返しになりますが、これまではそれらを代表するような形で専門家や権威が正解を出し、それに従っていれば良かったのです。
しかし専門家や権威でも太刀打ちできないような事態が起きたり、権威という力自体が弱まってしまい、正解を打ち出すことが難しくなりました。

これは相対的に個人の力が強まったということでもあります。
いまやたくさんの情報に私たちはアクセスできます。
専門的な論文が専門家の手にしか届かなかった時代ではないのです。

「〇〇がこう言っているからこれが正しい」ではなく、たくさんの情報に基づいて、自分は何を正解とするのか、何を信じるのか決めるのです。
「論理的に考えたらAだが気持ちとしてはB」だったとき、ABどちらが正解か、はたまたCという正解を持ち出すのかを決めるのは自分なのです。
どれかひとつに決めなくても、ABCすべてを選択肢として持っておいて判断しないことも自由です。

つまり、専門家や権威の正解に必ずしも従う必要はありません。
(従わないことで法律で罰せられることもあるかもしれませんが、それが嫌なら従えばいいのです)

全体的に突き放したような内容になってしまったでしょうか。
しかし不安を煽りたいわけではなく、むしろ安心してほしいのです。
全員が正解を選ぶ力があるということを知ってほしいのです。
どれを選んでも、あなたにとってはすべて正解となります。

与えられた正解を信じて、それで幸せなら正解です。
信じていたものに裏切られて、自分の足で立とうと思ったのならそれで正解です。


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なんだかチャネリングメッセージのようになってしまいました。
どこかに繋がるよう意図したりはしていないのですが、浮かんでくる言葉を書き留めたり感覚を言葉にしてつなぎ合わせるとこうなりました。
「○ルクトゥルスからの緊急メッセージ!」とか書いたら閲覧数伸びたりするのかな笑(嘘はつけないので書きません)

✨世界が平和になるお賽銭箱✨