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味園ビル

大阪千日前のシンボルかつディープスポットでもある味園ビルが今年いっぱいで解体されるらしい。
1956年に建造されてから70年近くも変わらず千日前に立ち続け、戦後~バブル期を越えたあとも平成から令和と長きに渡って当ビルは大阪を彩ってきた。
バブル期にはキャバレーやスナックなどがテナントに連なって毎夜華やかな光を放っていたが、バブルの崩壊とともにそれらの店舗は撤退、代わりにサブカルチャー的要素を色濃く打ち出した個性的な店舗が軒を連ねるようになる。
流れる時代に沿うように、味園ビルは昭和然とした外観をそのままに内包する性質だけを大きく変えてきた。
僕自身、学生時代からビルの存在は知ってはいたのだが初めて足を踏み入れたのはつい最近のことだ。

「怪談を語る」という活動を始めたばかりだった僕はある日先輩である怪談家のぁみさんから連絡を貰った。
そこには「イベントやるからおいで」という簡素な文面と味園ビルのURLが貼り付けられていた。
意気揚々と会場に向かい、予定時間の1時間も前に到着したのは良いが、日の暮れた街中で煌々と光を放つ味園ビルの看板に気圧され電飾に悪酔いした僕は酷く緊張し、目の前にあるコンビニの前で40分程ひたすら煙草を吸いながらうろうろと野良犬みたいに歩き回っていた。

その後も味園ビルで開催されるイベントに呼んで貰うたびに足を運んだが、令和時代とハレーションを起こしたようなケバケバしい外観を目にするたびに毎回異世界に飛び込むような不思議な心持ちになっていた。

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僕は人を待たせるのが苦手だ。
待たせるより、待つ方がはるかに気が楽だ。「人が自分を待っている」と考えると強いストレスを感じる。「遅い」などと一言言われてしまうと、自分がなんだか酷く欠落した人間であるという思いに苛まれる。その点待つ側に回る方が百倍気楽でいい。一時間でも二時間でも待っていられる。
そんな性格だから、毎回イベントに出演する際は開始時間に遅れないよう早めに会場へ到着するよう心掛けている。初めての場所であれば一時間前には到着し、入り口を確認してから周辺を散策して時間を潰す。
味園ビルでのイベントでも、集合時間の一時間前には到着してまだ誰もいない真っ暗なフロアを一人でフラフラと徘徊するのが日課になっていた。
スロープを上がって薄暗い廊下を進む。閉じた店舗のドアを一つ一つ注意深く観察しながら、いつから貼られているのかも分からない褪せたおびただしい数のサブカル的ポスターを見て回る。
地下アイドルのライブ告知、アングラ的要素満載のイベントポスター。「そもそもこれなんのチラシや…」というような意味不明な謎のポスター。
まだ眠っているビルの冷えた空気が流れる静かな廊下。そこには僕と味園ビルだけの時間が確かにある。
そのうち店舗の店員さんの姿が見え、店舗のドアを開けて迎え入れてくれる。
そのたびに僕はヘラヘラしながら「すいません」と中途半端に頭を下げる。

味園ビルにおけるサブカルチャーを語る上で欠かせない人物の一人が、なんば〈紅鶴〉のオーナー「ぶっちょカシワギさん」だ。
先述したぁみさんの怪談ライブで僕は初めてぶっちょさんとお会いしたのだが、その存在は以前から〈OKOWA〉などの企画を通じて知っていた。
初対面時からフランクに接してくれたぶっちょさんはいつも優しく出迎えてくれ、イベント後も丁寧に送り出してくれる。
味園ビルが千日前の象徴であるなら、ぶっちょさんは怪談界隈にとって味園ビルのシンボルだろう。
味園ビルを離れたぶっちょさんが今後どんな場所でどんなことを企てるのかとても楽しみだ。
年内は時間の許す限り味園ビルに通い、別れを惜しむのも良いかもしれない。

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