だれも悪くないのだという発想

先日、家族が怒り出した。

なんのことはない、ちいさなことで、家中に響く怒号
以前はもっとすごかった。
猫が逃げた。
ワタシは猫にむかって言った

「ふくちゃんはわるくないよ。ワタシも、わるくないよ。あの人も、わるくないよ」

と。

猫はわるくない。大声に驚いて飛び出した

あのひとは、なにかに驚いて怒り出した。これはびょうきによるもので、これもその人のせい ではない。

そして、ワタシも、そのひとが怒る原因をつくったわけではない。

したがって、この大声が家じゅうに聞こえるという現象は、だれもわるくない。


なにかがあると原因と結果と、改善策を考える

なんとかコントロールしようとする

コントロールできないときは、責める

なにかを責める。

コントロール出来ない自分をせめる

コントロールされないあいてをせめる

運の悪さとか、こんなことにして、神様はいったいなにをしてるんだとうらむ。

うけいれがたいことをうけいれなければならない、そんなときに

わたしたちはそんな反応をするじゃぁないですか。


このまえは、

「だれも悪くない」という発想は、わるくないなあ。と

思いついたのでここに書いてる

だれも悪くない

起きてしまったことは、起きてしまったんだけど

だれもわるくない

ただの居直りですが


事実そうですから。

だれもわるくないんです。

たったいま、ただ、起きた事実

だれも わるくないんです。

だれも。

だから、あんまり自分もあいても 運命も 神様も、責めないで

だれもわるくないんだよ

おもう。

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