自分を怨念から解放する

久しぶりに叔母がきて、自分の家が 義理の息子に乗っ取られた
という話を延々ときかされた。




・・・してあげた のに。

助けなければよかった
あんなに して やったのに

ひどい
なんのために生きてきたか わからない


そんな感じのことがある。
相手へ どれだけ 愛を注いだところで
まったく無に帰すどころか マイナスになる場合がある。
だからといって 人助けをしてはいけないというものではないが
私の身の回りにいる人たちは、
助けても 心に響かない人たちを一生懸命援助する傾向が見られる
そんな人 助けなくても 
そんな相手への 援助をしなければならないという呪縛で、大半の人生を使い果たしてしまい

その後 
恩を仇でかえされて愕然とする
と言うパターン

そういうことがいかに無駄か、という学びを得るために
このよに 生まれてきたのかなあ。

いずれにしても「助けなくてはならない人たちのために」
普通以上に 身を捧げ、努力して 労力を注ぐ

山羊座 冥王星時代、という感じがする。


そこには 自分の「なにかやりたかった のに」とか
「べつのことが できた のに」
という意識が どこかに隠れている
この人たちを助けなかったら、確実に違う人生があった のに と。
それでも義務に突き動かされ
助けなければならないから と 自分を追い込んで
人々は 誰かのために使役する

水瓶座冥王星時代は
おそらく 私の考えでは

誰かを救うことを するのであれば
それは 趣味でなくてはならない。

自分が心からやりたかったから やる という感覚
助けることが たとえ金銭的見返りがなくても
その行為事体が
自分になにをもたらす か と言うことを
見通した上で行う行動
そこには
主体的な考えがある

だから その後 相手が自分に背いたからといって不満はない。
あくまでも自分がやりたかったから やる
というスタイルで 見返りを求めていないから。

繰り返し 義理の息子への不満を述べる叔母の顔は、

以前から比べると いやに 老け込んでしまった。
同じことの繰り返しを言いながらあの世にいくのかなあ
だとしたら、その怨念みたいな思いに囚われて

そんな世界観にいつまでもぐるぐると巻きつけられて
大丈夫なんだろうか(あの世に行ってから)

できたら、生きている間に 
自分の思いを思いっきり解放してほしいと思う

「言いたいことをバンバンいっちゃいなよ。」と伝えた。
だれもいないところで叫ぶのでもいい
自分の思いを 解放するのだ。


こんなコメントが上記動画に。


このnoteを半分まで書いたあと
この動画をみた


私が選んだのは2番だったんだけど、見事にシンクロしていた。
ただ、私がそう思ったのは叔母の考え方に対してなんだけど
自分のカガミでもあるので(外界は)
もしかしたら 私の中にある怒りを 解放するために
叔母が現れたのかもしれない。

怒りや、怨念みたいなものを 自分がずっと持ち続けることが
周りに対して悪影響を及ぼす
自分の人生に対してもそうだ。
そして、自分の魂にしても
どんどん波動が下がってしまう

自分の感情エネルギーを認めて 開放する
それは直接話すことではなくて、
相手にいうということではなくて

自分の感情を認める という作業から開始する
自分の感情を押さえ込んで、押さえ込んで
自分に嘘をつき続ける
なにか のせい で
なにか のため に 
だれか が いうから
だれか が きめたから
従わなくてはならない

そんな想いで生きて、死ぬ時に
あんなことを させられたけど あんなこと しなければよかったのに
自分が いうことを聞いちゃったからだ。ばかだから
とか
そういう罪悪感だとか
相手を恨む気持ちで いっぱいになって
そこでぐるぐるしてしまうより

怒り
自分がなにをしたかったか
どうしてもらいたかったか
自分はどうしたかったか
自分は どうしてもらいたいのか

という
心の叫びを解放することが大事

誰かにいうのではなくても
だれもいない部屋で 自分のカガミにむかって
ひたすら 文句をいうのでも ひたすら
だれかの悪口をいうのでも
いい
自分をほめたっていいし
自分の好きな言葉を唱えるでもいいし

自分を解放しよう

自分の気持ちに
本当の気持ちに気づこう。

いつからでもいいから

叔母は 90歳である。

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