ショートショート『うぉら~』

侍が、サックスで歌っている。
オコシャス百貨店、翼を広げる鷹像前。夏晴れ。2022年。
心に響くソロ・パフォーマンス。
けれど、立ち止まる人はいない。
全身、濡れている。
おそらく、その原因が、彼の上空で、進行している。
あたまの1メートル上。水源の見当たらない、水滴が、宙で、大きく膨らんでいる。
おとなを3人、飲み込む大きさ。表面、ぷるぷる。いつ、男に落ちても、おかしくない。
その時、鷹像から見える横断歩道。そこを渡り、ひとりのサラリーマンが、やってきた。
侍の演奏に気づく。歩きながら、その目は、侍に。
侍も、視線に気づく。けれど、あえて、そちらは見ない。
いよいよ、サラリーマン。侍の前に来た。
歩くスピードを落とす。序々……、序々に。
……まま、目をそらせる。通り過ぎた。
途端、頭上の水滴が破裂。
ビシャッ!
侍、水浸し!
侍は、その後、何度も、いろんな人に無視されては、水を浴びることを繰り返した。

私は、何十曲、聞いたことだろう? 近寄り、楽器ケースに札を入れた。
1曲、歌い終えた彼に言う。
「もっと、みんな、見たらいいのに。」
「いえいえ、下積みの季節ですから。無視されるのは、涼しくて、かえって気もちいいんですよ。それより、冬、どうしようか、考えてるんです。水、痛いと思うんですよね~。」

その年の瀬。彼は、汗のまぶしい、いい男になる。熱狂するステージで、叫ぶことになるなんて、微塵も想像していないけどね。
「みなさんのおかげです! こんなにあったかい冬、初めて! うぉら~!」
お侍さん。あなた、言うんだよ?

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