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運動場の秘密

 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
<小倉百人一首 五十番 藤原義孝>

俺は、運動場の隅っこに『オバケ』が居るのを知っている。
 それがいわゆる幽霊なのか妖怪なのか、はたまた妖精というものなのか。詳しい区別が付けられないし、どう区別をつけるのかなんて知らない。
 見た目は自分より一つ二つ下の少女だ。顔が崩れてるとか手足が多いとか少ないとか、はたまた透けてるとか角が生えてるとか。そんなグロチックな容姿はしていない。目立つと言えば、銀色の髪を腰まで伸ばしている事、左右の目の色が違うぐらいだ。
 それでも何となく、この存在はこの世に居るはずではないものだと最初見た時から納得していた。
 第一、私制服登校制とはいえ、学校内であの格好はおかしい。それにもし、他の奴らにもその姿が確認できるなら、他の誰かが不審がるに決まってる。めっちゃ目立つぞ、振袖なんて着てたら。
 根拠の無い自信を、なんとか裏付ける理由も他に一つ二つあった。だからアレはオバケなのだと、その存在を認識する中で、彼女がそこに居ることに違和感も不自然も感じない俺が居る。
 そう、最初から最後までそこに居る存在なのだ。なぜかあっさり心に収めることができた。まるで冷たい飲み物が胃の中に染み渡るように。
 しかし居る理由がわからない。何だって霊のくせに、こんな完全に太陽が昇っている時間に何をするでもなくただじっとタイヤに座ってたり、鉄棒に寄りかかったりしてじぃとサッカーやら陸上やらに熱中する人間なんて見ているのか。
 急に教師に当てられて一度黒板に意識をやって、再びそっちに意識を戻すと、彼女はいつの間にやら居なくなっている。
(いつもそうだ)
 それが、いつもからかわれているような気がして、妙に気に食わない。
 堅苦しい公式が響く教室の空間から逃れるようにして、ほどよくクーラーが効いた涼しい三階の教室から運動場を見下ろした。


 放課後、カバンを肩にぶら提げて帰ろうとした時に、ふと、彼女の存在が意識の敷居を跨いだ。
 いつもは、どうしても忘れてしまうのだ。普段あんなにも気にしてるってのに。
 家に帰って暫らくすると、忘れていた事に気が付くのだ。誰かに暗示でもかけられてるような気がしてならないといつも思う。しかし今日はいつもと違う。
 今日こそはその正体を見定めてやろうと思って、運動場の方向へと歩き出す。
 どうしたんだと聞かれたが、相手はいつものメンバーだったので慌てて口を噤む。自分達が認める正しさ以外はなかなか信じないような連中が、こんな浮世離れした話を真に受けるとは到底思わない。頭おかしくなったんじゃねぇのとか、笑い飛ばすに決まっている(特にあのSM女!)。
 それに、彼女は何となく静かな場所を好みそうだったから、きっとあの場所の空気を乱すのは悪い気がした。教室に忘れ物をしてきたと適当に言って別れた。

 夕暮れの薄暗さは上手に影を写し取って、広い運動場を伸びていく。黄昏月が夕焼けの鮮やかな光に紛れて、ぼんやりした光を帯びて輝いている。
 運動場は幸い片付けが終わった頃で、倉庫の方と旗標台の方にちらほらと人の影らしきものが確認できるのみで、要の所にはなんの気配も見当たらなかった。それどころか、本来の目的の彼女さえも居ないように思った。
 というか、彼女をいつも見かけるのは午後の授業の時くらいで、この時間帯にいるかなんて考えたことも無い。
 ……悪い予感がして、タイヤが無造作に積まれた其処まで走っていく。こっちのネガティブな予想なんてお構いなしに、一番高く積み上げられている黒いゴムの隣の、こぢんまりとした空間からじっと空を眺めている横顔を見つけた。
 先ほど一瞬襲った思考は、どうやら杞憂だったみたいだ。すぐにこっちの気配に気づいてこっちを向いた少女は、俺の姿を確認して、大きな目をぱちくりとさせる。とても驚いたようだった。けれど、何となく事態を受け入れているような気はした。

「やっと会えた」

 最初は会う気なんて全然無かったし、こっちから押し掛けておいての言う言葉ではないだろうとも思った。
 でもあの時は、確かにそう思ったのだ。まるで映画のキャッチコピーのような――初めから俺達は巡り会うようにこの世の中は出来ているんだよって。
 夜の迫ってきた薄い暗闇の中で、にっこり笑った小さな顔がいやに印象的だった。

 あの日以来、運動場を眺めても、もう何処にも彼女の姿は確認できない。
 本当は、あの時彼女と交わした言葉なんて覚えていない。というか、言葉を交わしたかどうかすら定かではないのだ。
 だが、覚えている事はある事はある。
 夕暮れの色合い、鳥が鳴く頃、そして彼女の笑顔。

(それらさえ覚えていれば、)
(きっと、大丈夫だ)

 そんな風に自分の中でケリをつけた。

「あなたとお会いするためになら、たとえ捨ててもけして惜しくない命だと思っていました。しかし、こうしてあなたとお会いできた今はちがいます。あなたともっとお会いするために、いつまでも生きていたいと思います」

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