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『ジムノペディ』


その昔「幻のように美しい人」と出逢ったお話。


17か18の時に、二つ年上だった憶えがあるので
その美しい人は19か20才だったと思います。

青森出身の方でしたが出逢ったのは新宿のライブハウス。
一緒に受付アルバイトをしていました。

お顔が美しかったのはもちろんのこと、
雰囲気、佇まい、話し方や仕草、やわらかい笑顔、
すべてが私にとって初めて遭遇する「気品・優雅さ」を
兼ね備えた女性であり、もはや生物ではなく天女のようなひとでした。

はじめて「よろしくお願いします」と挨拶をしたとき
エキゾチックな瞳を見開き、ただ笑って頷いた。
そんな対応は映画のシーンでしか見たことがなかった。

年齢が近かったこともあってすぐに仲良くなり
彼女が暮らしていたワンルームのアパートによく泊まらせてもらい
大人のちょいワルお兄さんやお姉さんに紹介してくれたり
帰省する際には青森にも連れて行ってくれて、
友人だという米軍基地の若い兵士たちと
ボーリングなんかをさせてもらって遊んだ。
ほかにもいくつかの刺激的な知見を広げてもらいました。


彼女は褐色の肌の、
中性的なモデルみたいなアメリカ人と付き合っていて
いつも夢の中にいるようなロマンチックな彼の惚気話をしていた。
私は東京の新宿育ちで、当時でいうディスコやバーにも出入りしていたのにそれまでまともに男子とつきあったことが一度もなく
その惚気話のときだけは聴くのが面倒だった。
ヤキモチを焼いていたのだと思う。
どちらに、かは解らないけれど。

そんなふうに彼女との思い出はたくさんあるのに、
その思い出のなかでいちばん強烈に印象に残っているのは

『ジムノペディ』 
エリック・サティのピアノの旋律。

彼女から教わった詩的で美しい音楽。


部屋に泊めてもらった朝、目覚めるといつも静かに流れていた曲。
今でも鮮明に彼女の面影とともにあります。
まるで彼女の存在そのものがあのピアノのようだった。
透明なガラスの世界。
「そうか、この人の正体はガラスだ」と思った。


10代のころに、そんな人と出逢えて良かったと心から思う。
それまでは絵画や空想の中にしかいなかった非実在的存在が
ちゃんと生身で目の前に現れて、友達でいてくれたことが嬉しい。

しかし残念ながら、なぜかそのような儚い人とは
長く一緒にいられないのが世常。
当時の地球上にはスマホというものがなく、
今は連絡先もわからなくなってしまった。


でも。。。と思う。

連絡先なんて分からないままでいい。
探す気もない。
Twitterやインスタなどで彼女を見つけたくない。
二度と逢えないままでいい。
SNSによって「本当の別れ」が出来なくなったこの世は
確実に人間ドラマをひとつ失って20年くらい経ちますが
この「二度と逢えない」が出来なくなったゆえの
逆の苦しさを感じている人間も多いのではないかと思う。

旅立ち、とか、再出発、夜逃げさえも本当の意味では出来なくて
SNS絶ちを完全な形で、それとも自分をSNSから抹殺?しない限り
もはや「感動」って味わえないのではないかな、
と思うところまで行きついてしまいました。

頑なに 美しい別れは美しい別れのまま。
「別れの慕情」という伝統情緒を
失わないまま死んでいきたいな、と強く思います。