【90年代小説】 シトラスの暗号 #10
※この作品は1990年代を舞台にしています。作品中に登場する名称、商品、価格、流行、世相、クラス編成、カリキュラム、野球部の戦績などは当時のものです。ご了承ください。
※文中 †ナンバーをふったアイテムは文末に参考画像を付けました。
1話から
お酒が飲める所にしようと主張する初世に渋々従って、雰囲気の良さそうな居酒屋を探すことにした。どうして初世ってこうなのかしら。すごく強引。
未成年がお酒を飲んじゃいけないなんて堅いこと言う気はないけど、飲む必然性がないじゃない? コーラやシェイクで盛り上がるのが、わたしたち女子高生の得意技なのに。
大皿料理を売り物にしているらしいお店の前で、立て看板に書かれた「本日のおすすめメニュー」を見ながら、「これがおいしそう」なんて話していたら、横からふたり連れの男が割り込んできた。
「カノジョたち、ふたり? なら一緒に飲まない? 俺らがおごるし」
「スタイルいいねー。超イケてるじゃん。そっちのお団子ちゃんはお姫様みたいでキャワイイし」
センターパーツのロンゲに野球帽。あんちゃんのつもりなのかしら。好みじゃない。
もうひとりは坊主刈りの金髪に耳ピ鼻ピ。ヤバい人にしか見えない。職務質問歴多そうだ。
「他行こう」と初世に合図しようとしたら、
「マジィ? 超ラッキー」
勝手に返事をされてしまった。ああ、初世の悪い癖が始まったか。
「わたしはヤダよ、こんなやつら。ふたりでごはん食べようよ」
こっそり耳打ちしたけど、聞いちゃいねえ。
「わたしこのカマンベール明太子入りフライ食べたーい」
キャッキャしながらさっさと階段を上っていってしまう。ちょっと待ってよ。
「お姫様も、遠慮しないで」
初世を捨てて帰るわけにもいかず、肩を押されて店に入ることになってしまった。
最悪だわ。新宿って方角が悪かったのかもしれない。Dr.コパの本でも買ってみようかな。
奥のテーブル席に案内されて、ちゃっかりロンゲの隣に陣取った初世は、他人のおごりだと思ってか、もう飲むこと飲むこと。女の子のくせに、節度ってものを知らないんだから。
「わたしたちってー、もうすぐ18じゃん? 特にわたしなんかさー、頭ワルイから、来年はもうシューショク? ってゆーか、そろそろ落ち着かなきゃとか、思うわけよね。遊んでられんのも今のうちー、みたいな」
今でも早過ぎることはないわ。さっさと落ち着いて!
「エー、コーコーセーなんだー。見えないねー。酒強いじゃーん」
それはヤバい。こんな所で大声で言ったらダメだって!
「ま、とにかくさ、俺たちの出会いを祝して、イッキいっとこうか、イッキ」
何が「とにかく」よ。後でリバースしたって知らないからね。
不毛な会話で盛り上がっている3人を尻目に、心の中で突っ込みを入れていると、
「サヤカ姫、全然飲んでないじゃーん」
こっちにお鉢が回ってくる。
「いいのよ、わたし弱いから。えーと、何くんだっけ?」
「やだなあ、ナカイくんだよお」
ピアスがナカイで、ロンゲがキムラ。冗談みたいな名前だった。どっちかって言うと、おさるとコアラの方が似合いそうな気がする。
わたしはカルピスサワーを舐めながら、山のように盛られた大根サラダをパリパリ食べていた。こいつらの顔を見てると食欲がわかない。
初世は眉テンで描いた安室ちゃん風の細眉を寄せて、ピアニッシモの煙を気だるげに吐いている。そういうのがイケてる女だって思っているのだ。
わたしは眉を細く描いたりしない。ハサミで形を整えた後、足りない部分を描き足す程度で、ごくナチュラルにしている。
だから子供っぽいのかもしれないけど、もともと顔付きが幼いのに、わざとらしく細眉にしたら、かえって変になりそうな気がする。
まだ若いんだから、ナチュラルなのが一番よ。
隣に座ってるナカイくんは、貧乏ゆすりをしながらマイルドセブンのフィルターを噛んでいる。こっちにまで振動が伝わってきてイライラする。
斜め向かいのキムラくんは、箸の持ち方が変だ。冷奴がはさめなくて、お皿の上でグチャグチャにしている。箸が上手に使えない人って、はっきり言って嫌い。
大体わたし、同い年くらいの男って好きじゃないのよ。ガキだし、うるさいし、落ち着きがないし。着てるものもオシャレじゃないし。たまに頑張ってブランドもの着てたりすると、逆に洋服に着られちゃってたり。カッコ悪いわよ、ああいうのって。
やっぱ大人がいいのよね。嫌味じゃない程度にオシャレで、カッコ良くて、面白くて。それで頭も良かったら、言うことないんだけど。
いきなり変なものを思い出して、カルピスサワーにむせてしまった。
「サヤカ姫、大丈夫?」
「だ、だいじょぶ、だいじょぶ」
なんであいつの顔が浮かんでくるのよ。
ところで、忘れてるかもしれないけど、わたしは今夜初世の家に泊まることになっていた。
彼女の家は駅から遠い。遠いなんてもんじゃなくて、歩いてなんかとても帰れない。そのくせ終バスの時間が早いのだった。
店に入って2時間弱。そろそろタイムリミットだ。
「ねえ初世、そろそろ帰らないとバスなくなっちゃうよ?」
もういい加減にしてよ、と思っているのに、
「ヘーキヘーキ。タクシーで帰りゃいーじゃん。あ、お兄さん、中生ひとつ追加ね」
全く取り合ってくれない。
会話を聞いたキムラくんが、待ってましたとばかりに、ソッコー追い込みをかけてきた。
「なあんだ、そんな遠くまで帰るんだったら、俺んとこ泊まっちゃえば? せっかく仲良くなったんだしさ」
「そーだよ、朝まで遊ぼうぜ?」
ナカイくんも賛成する。
「悪いけど、わたしたちそういうのは……」
言いかけたら、かなりイッちゃってる初世の大声でかき消された。
「オッケー! じゃあ景気付けにイッキしまーす!」
わたしだってキレるわよ。
「ちょっと初世、どーゆうことよ」
キムラくんに抱きついて離れない彼女を、無理矢理引きずってトイレに連れ込んだ。
「なーに怒ってんのよ、清香ったら。どーってことないじゃん、オールで遊ぶくらい。わたしんちに泊まるって言ってきたんでしょ?」
「それは言ってきたけど。そうじゃなくて、あいつらあんなこと言ってるけど、どうせ適当なこと言って連れてって、やっちゃう気でしょ? それくらいわかんないの?」
「わかってるわよお、そんなの。だから清香も居てくれなきゃ困るんじゃん」
全く、初世には貞操観念というものがない。もしセブンイレブンで売ってたら、今すぐ買ってきてあげるのに。
「清香がバックレたら、わたしとカレだけくっついて、ナカイくんがかわいそうじゃん」
「あんた、わたしにあの鼻ピーおさるとやれっての!?」
冗談じゃない。いくら彼氏が居ないからって、そこまで落ちぶれちゃいないわよ。
「ダメだよお、清香。そんなんじゃいつまで経っても処女のままだよ?」
「残念でした。処女じゃないわよ、わたし」
初世のバカ! 淫乱! 尻軽! お話にならないわ。
説得を諦めて、個室に閉じこもり鍵をかけた。ドアの向こうで初世がわめいている。
「マジでマジで? カレシできたの? どんな男? 教えてよお」
「うるさい! あんたはロンゲといちゃついてなさい!」
言い捨てると、ポーチからPHS を取り出して、蓋をした便器の上に腰掛けた。カッコ悪いなんて言ってられない。考える時は、まず座って落ち着かなくちゃ。英単語を暗記するのだって、トイレと駅のベンチが一番はかどるんだから。
まいったな。どうしよう。
初世の家に泊まりに行くと言ったからには、今さら自宅には帰れない。かと言って、彼女たちと別れてひとりでフラフラしていたんでは、もっとヤバいことになってしまう。補導なんかされたら停学かもね。
ピッチに登録してある電話帳を上から順に送ってみたけど、こんな時間に電話して泊めてくれたり、ましてや新宿くんだりまで出てきて朝まで付き合ってくれそうな友達は見当たらない。
何しろわたしは初世と違って、至極健全な女子高生なんだから。
おっと、そんなことはどうでもいいのよ。早く早く、なんとかしなきゃ。
検索ボタンを押し続けていると、ディスプレイに〈オダシュウジ〉という名前が表示された。レシートの裏に書いてあった携帯のナンバーだ。そういえば、車持ってるって言ってたっけ。どうしよう……。
迷っていても仕方がない。ダメモトで、相談だけでもしてみよう。とりあえず今は、現状打破が最優先。
ワラにもすがるような気持ちで、そのナンバーをコールした。