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映画はWikiじゃない、わき道も楽しんで

ファスト映画についてどう思うだろうか。映画を見る楽しみを損なわせてまで内容が知りたいなんて馬鹿げてるなんて思う人が大半なのは分かる。僕も解説動画やショート動画で時間を浪費してる感じが恐ろしくてたまらない。ショート動画の性質的に約1分程度で投稿者のパーソナリティを伝えなくてはいけない中で情報の取捨選択が強く行われている。同様にファスト映画も2時間ほどの動画を15分、ヘタをすると7分の尺にしてしまい時間的圧縮効率は圧倒的だ。
時間的圧縮効率を求めるのはインターネットが普及した現代だからこそなのか。僕の浅知恵の情報によると、明治時代から「修養」と言う言葉があり、今の意味合いだと「教養」に近いかも知れない。文明開花の時代に伴い西洋諸国から無作為に、効率的に学び「知識」を身につける事が正義とされ、それが現代の自己啓発、ビジネス書籍の流れに繋がっている。ってSPECTATORっていう雑誌に書いてあった。つまり加速する現代社会においてより洗練された形の「修養」が解説動画やショート動画、そしてファスト映画に繋がってるのかもしれない。つまり僕は法律的には問題はあるが、人間の「知識」への渇望は日本においては文明開花以降、変化が殆どないので現代人の付け焼き刃の知識が決して悪いとは言い切れない。
『ターミナル』と言う傑作映画がある。僕はファスト映画で観た、いや観てしまった。映画の内容は15分で理解してしまい、僕はこの動画のおかげで『ターミナル』に興味を無くしてしまった。なんて事はなく、『ターミナル』に対しては俄然興味が湧いた。それから2・3年経ちついこの前本作を視聴できた。
結論は凄く面白かった。当たり前だけど。映画の内容はオチまで知ってしまったワケなので、ファスト映画では分からない所を記したい。1番の衝撃は英語圏と異なった言語圏(映画ではロシア語圏に近い)の主人公が空港職員から自国が内戦で崩壊したことを伝えられる序盤のシーン。この状況を英語で長々と深刻そうに、気の毒そうに説明する職員。それに対する殆ど英語がわからない主人公は職員からの言葉に対し唯一聞き取れた単語「クラコジア」に対しアメリカの職員が小国「クラコジア」のことを知ってくれていたと非常に喜んだ。伝わらないことを察した職員が丁寧に対応するも、やはり伝わらない。言語の違いがいかに面倒かをユーモラスに表現した記憶に残るシーンだ。これファスト映画では「自国が崩壊した事が言葉がわからないせいで理解できない主人公」的な言葉で5秒ほどで片付けられた記憶がある。実際の映画ではこのシーンに時間をかけ、深刻な状況なのに言語が理解できないせいで話が噛み合わない映画的面白さと、今後主人公が直面するだろう障害を丁寧に描いている素晴らしいシーンだと思いました。
この良さがファスト映画、また僕の言語能力だと映画の間などが伝わらないんですよ。youtubeなどの10分程の映像に慣れた人には、くどく感じるのではないか。偉そうに書き殴ってる僕もいつか行間を楽しめなくなるのではないかと恐れている。原因は時間というより情報が氾濫しているインターネットのせいで心に余裕がなくなってるのかも、と思い至った。映画なんてものは伏線回収などの情報だけを楽しむのではなく、それだけならWikiの情報だけでも満足できる。映画は頭のいい人がとんでもない大金と、とんでもない年月をかけ、これを約2時間の映像に収めた、目で耳で頭で楽しめる総合芸術だと思うこの世でかなりコスパの面で見ても優秀なコンテンツだと思う。だが、コスパ・タイパ度外視でも人々の心を揺さぶるのは綺麗に引かれた筋道だけでは決してない。「映画はWikiじゃない、わき道も楽しんで」いこうと感じた初夏の夜なのでした。

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