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最近日常系YouTuberにハマっている話と、くだらない日々との闘い方

コロナ禍以降、Vlogが流行っていたが最近登録する自分好みのYouTubeチャンネルが明らかにこの傾向が強くなってきている。しかも大手ではなく登録者5万人前後ぐらいの根強いファンが多いと思われる人達ばかり。
自分がこの種のチャンネルを見始めたのはコロナ禍に自分たちのみっともない姿を仲間たちと共に晒し、互いに馬鹿にしつつもローカルの日常を自虐的にかつ楽しげな姿を見せてくれ、最近永バンをくらった当時から今まで一番元気にしてもらってる「山田ハウス」。そしてそれから、スマホなど使わず飲み歩きや徒歩だけの散歩などをしながら夢を諦めきれずに30代という現実に対して自問自答を繰り返し、自己を奮い立たせ、葛藤しながらも日常に存在する儚さや繋がりを再認識し、もがき続ける姿で元気をくれる天竜川ナコンの「現実チャンネル」。九州から必死に勉強し見事に早稲田大学に受かったもののおそらく馴染めず早稲田中退。その後働きたくない一心から当時のトレンドだったVtuberに個人勢として参戦。だけど個人勢の勢いが伸びなかったものの本人の分析、言語化が物凄く社会の闇系から最近は本人の日常で起こる出来事への葛藤が非常に魅力的なチャンネルになってる「ナポ・レボリューション」。最近見始めたチャンネルでボイロ漫才動画から高卒無職(YouTuberという職業をしているが)の幼女として日常の様子をコミカルに映している「ぷんやりたん」。などを視聴している。

こんな話より人を選ぶチャンネルが多いですが、誰でもいいから見てください

ここからは余談ですが、なぜ自分がこの種のチャンネルを見てしまってるのだと考えると、彼らは必死に生きている現実をエンタメに昇華している。これが好きなのだ。
ただこんな分かりきった前提の上で、これらのコンテンツが提供してるのは何か。それは彼らの姿が社会に生きている僕など含む視聴者にとって「ここではないどこか」に見えある種の憧れを感じさせてくれる(少なくとも僕は)。安全圏に生きていると思っているマヌケな社会人にとっては時間や体面を気にして行動できないでいる自分たちのハードルを優に超えてるように見える彼らの姿は、非日常を過ごしているように錯覚してしまう。ただ自分探しやここではないどこか幻想に終止符を打てそうな考え方、つまり散々言われ尽くした「現実へ帰れ」を葛藤し、戦いながらもいかにして楽しんで続けるかの具体案として現れ始めているのがVlog形式による日常の再発見にあるんじゃないかなと思ったりした。つまりはここではないどこかなんてのは都心でも地方でも、社会人でも無職でも、それにどんなに変わらない日常でも。ちょっとした人間性を少し棄てる、良く言えば勇気を持ってハードルを超えてみる。例えばエレベーターではなく階段を使ったり、ビル街でも上を見てみたり一駅徒歩で移動してみたり、使えるお金に敢えて制限を持たせた旅を行うなど。視点の問題もしくは勇気の問題で、「ここではないどこか」が「ここにしかないもの」を見つけられるキッカケになるかも知れない。そんなやり方を見せつけてくれるYouTuberを最近見てしまってるのかなって話だった。

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