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お茶 〜南部先生の思い出①〜

 お華と並んで、お茶とは古来より、私たちが思っている形骸化したものとは完全に別物と言っても良いほど、深く、次元の高いものとして、多くの人々の生活習慣に溶け込んでいたもののようである。縄文時代の住居と思しき建物からも、茶室の跡が発見されているらしい。
 今回、お茶にまつわるシンクロニシティが続いているので、数回に分けて綴ろうと思う。

 まず一つは、人生上最も大きな出会いだった中の一つ、とあるお茶の先生との出会いから語りたい。

 長崎県大島町。先生は当時、御歳90余歳で文化協会の顧問をしておられた。私はというと、高校生にやっと毛が生えはじめたようなピヨピヨの社会人で、左翼劇団(一応プロ)の営業をしていた。
 とある、被爆した男性ーーご本人は既に他界されていたので、そのご夫人を訪ねた時だった。私が、被爆者の体験を劇にした舞台を上演すると言うと、「あら、それなら……」と、早速呼んでくださったのが、南部先生だったのである。
 先生は、骨太で背が高く、しっかりとした体つきの女性だった。玄関を開けると、目の前の応接室に座っている私に、まるで毎日会っている相手にでもするかのように、親しげに微笑みかけ、手を振った。愛想の良い方だなぁ…と思いながら、私も会釈を返した。先生の行動を、お茶の準備のためか、別の部屋から見ていたご夫人は、
 「あら先生、知ってるの?」
 とすかさず尋ねた。先生は応えた。
 「うん、私この人と初めて会った気がしないの。」
 ……そんな、不思議な出会いから始まったのである。



 

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