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朝日の当たる家 (01)

ドラマ『秘密の森』+東野圭吾著『容疑者Xの献身』の二次創作です。
物語の中の時間は、2022年3月~5月です。


(1)

3月の第2週だった。

週の半ばに、大統領選挙の本投票がおこなわれた。投票は午前7時に始まり、午後8時の締め切りと同時に開票速報が放送・配信された。縺れに縺れた結果は、翌日の午前3時になるまでわからなかった。

午前6時半、ヨンサン署に通報が入った。ヨンサン駅西側の広大な空き地で、死体が発見された。

毎日、漢江沿岸をジョギングしている老人がいて、家に戻るときはいつも、空き地の中を通って近道をするのだが、今朝は、座って上半身を前に倒した人の後ろ姿を見た。最初、体操をしているのだと思った。しかし、全く動かないので、おかしいと思っていたら、近くまで来て死体だとわかって驚いて、スマホで警察を呼んだのだった。

龍山署の強力班と、ソウル特別警察庁のハンヨジン警部と、鑑識官とが、現場に臨んだ。

現場には、携帯用焜炉のガスボンベが爆発した跡があった。

死体は損傷が激しかった。

鑑識官が写真を撮り、無数に散らかった残骸を、一つ、一つ、採取した。細かすぎるものは、土ごと採取した。

遺体の腰の横に、懐中電灯が置いてあり、その隣に、紺色のジャンパーを畳んで置いてあった。

ジャンパーのポケットから、音楽が聞こえていた。

チャンゴン刑事が、ポケットの中身を取り出した。CDプレーヤーだった。まだ、音楽が聞こえている。チャンゴン刑事は、音楽を止めた。

CDプレーヤーが入っていたのと同じポケットに、イヤホンも入っていた。

反対側のポケットに、住民登録証、財布、そして、カードケースに差し込まれたカードが、入っていた。カードはホテルのルームキーだった。カードケースにホテル名と6桁の番号が記載されている。パクスンチャン刑事が、ホテルをスマホで検索した。近くの格安ホテルだった。死体発見現場から、北に約1kmの距離である。

住民登録証には顔写真があるが、遺体の頭部は残っていない。頭蓋骨も歯も、無数の断片になっている。なお、指も、残っていない。

遺体の、残っている部分を剖検に送る前に、鑑識官が、現在、わかっている限りで、爆発が起こったときの状況を説明した。

両脚を伸ばして座り、何かで足首を括っていた。その両側に、衣類を入れた布袋を置いていた。脚の上に小型ガス焜炉を置いて、食み出た部分を両側の袋で安定させていた。焜炉の上にホットプレートを置いていた。プレートは、これも小型ガス焜炉台から取りはずしたものだが、脚の上のガス焜炉より大きな型で、食み出ていた。プレートをはずした焜炉台は、両足の先に置いてあった。脚の上のガス焜炉が爆発して、炎が広がり、ホットプレート用のガスボンベにも火が飛んで、また、爆発が起こった。

両脚の上に焜炉を置いた人は、ホットプレートの上にうつぶせて、両手と頭をプレートのまんなかに置いていた。

爆発で、首から上と両手が、粉々になって吹っ飛び、肩と両腕が、ちぎれて落ちた。脚の両側に置いてあった布袋とその中の衣類も、燃えてしまった。

採取した資料のなかに、スマホの破片らしきものがあった。

証拠品保管用の小さな透明のビニール袋に入れた、住民登録カードを持って、ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、剖検のおこなわれる病院に向かった。残りの捜査員と鑑識官とは、ヨンサン駅の近くの格安ホテルに向かった。

医師が剖検をしている間に、ハンヨジン警部は、住民登録情報を検索し、健康保険番号から、医療機関の利用歴を調べた。

剖検を終えた医師は、住民登録にある病歴と医療機関の利用歴と照合したうえで、ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とに、これまでにわかったことを説明した。

遺体の残っている部分から、男性と識別した。遺体の残っている部分に手術の痕はない。消化器官の内容物の状態から、死亡時刻は昨日の午後8時から10時までの間と推定できる。酒類や薬物の摂取はない。住民登録と健康保険からわかった情報と照合して、矛盾は見つからなかった。

一方、死体発見現場から北に約1kmの、ヨンサン駅西側の格安ホテル「ブチェ旅館」は、玄関の扉が開くと音が出て、客の到着を知らせるが、客は、フロント係に会わずに、発券機に現金で料金を前払いして、ルームキーを受け取る仕組みになっていた。

用があれば従業員を呼び出すこともできるので、捜査員は従業員を呼び出して協力を頼んだ。カードケースの6桁の番号を見せると、305号室だと答えた。発行記録から、305号室の客がホテルに来たのは昨日の午前0時過ぎだとわかった。その時刻は、夜間の当番の担当である。もっとも、当番は、玄関の監視カメラのモニターを見ていて、直接に客の姿を見ないし、会話もしない、と、この昼の当番の従業員は話した。捜査員は、夜の当番が次に出勤してきた時に話を聴くことにした。

捜査員は、玄関の監視カメラの、昨日午前0時以降の録画のコピーを、回収した。

鑑識官が305号室から採取できた資料は、わずかだった。ごみ箱から、ごみ袋に入った食品のパッケージが回収できた。ほかは、部屋中の物を化学雑巾で拭いたらしく、量、質ともに、判別に使える指紋は残っていなかった。シャワーや洗面・整髪の道具を使った形跡もなかった。

龍山署に戻った捜査員たちは、分担して、ブチェ旅館の玄関の監視カメラの記録を3月9日0時00分から24時00分まで24時間分の記録を見て、305号室の客が映っている画面だけを編集した。

ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とが、龍山署に戻り、捜査会議が開かれて、これまでに集められた情報を総合・検討した。

ヨンサン駅西側の空き地で発見された遺体の死亡時刻は、3月9日午後8時から10時までの間であったと推定される。

それ以前の24時間以内に、酒類や薬物を摂取した形跡はない。

遺体のそばに置いてあったジャンパーのポケットに、発見現場から北に約1km離れた、ヨンサン駅西側の格安ホテル「ブチェ旅館」の、305号室の鍵が入っていた。

ブチェ旅館の305号室から採取した、食品のパッケージの標示や残存物は、遺体の消化器の内容物と一致している。

空き地の遺体のそばにあった住民登録証によれば、姓名はキムジング、年齢は44歳、住所は龍山区東子洞○○である。

キムジングの健康情報と、遺体の残っている部分と照合した結果に、矛盾点はない。

住民登録の指紋と、遺体の指との照合は、不可能である。また、住民登録カードとホテルのキーカードに、指紋は付いていなかった。

以下、住民登録によれば、キムジングは、8年前に結婚し、5年前に離婚した。両親は10年前に亡くなった。弟がいたが、去年、亡くなった。職業は、6年前までの14年間は自動車販売業だったが、ここ数年は、定職・定収入なし。

捜査会議の参加者たちは、キムジングの住民登録証を参照しながら、各自の席のパソコンで、ブチェ旅館の玄関の監視カメラの、305号室の客の映像を、確認した。

住民登録証の写真のキムジングは、マスクをしていない。

監視カメラの305号室の客は、マスクをしている。

パクスンチャン刑事が、解説した。

パクスンチャン刑事「305号室の客は、ブチェ旅館のCCTVに、3月9日0時00分から24時00分までの24時間に、6回、映りました。0時10分、0時20分、7時40分、19時50分、20時45分、21時00分の6回です。1回め、3月9日0時10分です」

3月9日0時10分、紺色の庇付きニット帽を被り、紺色のジャンパーを着て、手袋をはめ、ダイソーのトートバッグを三つ提げた男が、格安ホテル「ブチェ旅館」に入ってきた。彼は、カード発券機で現金で支払い、305号室のキーカードを受け取った。

パクスンチャン刑事「2回め、3月9日0時20分です」

3月9日0時20分、紺色の庇付きニット帽・紺色のジャンパー・手袋の、305号室の客が、ダイソーのトートバッグを一つ提げて、ホテルを出ていった。

パクスンチャン刑事「3回め、3月9日7時40分です」

3月9日7時40分、紺色の庇付きニット帽・紺色のジャンパー・手袋の、305号室の客が、ダイソーのトートバッグを一つと、ごみ袋を一つ、提げて、ホテルに入ってきた。

パクスンチャン刑事「4回め、3月9日19時50分です」

3月9日20時00分、紺色の庇付きニット帽・紺色のジャンパー・手袋の、イヤホンを装着した、305号室の客が、ホテルを出ていった。

パクスンチャン刑事「5回め、3月9日20時45分です」

3月9日20時35分、紺色の庇付きニット帽・紺色のジャンパー・手袋の、イヤホンを装着した、305号室の客が、ホテルに入ってきた。

パクスンチャン刑事「6回め、3月9日21時00分です。これで最後です」

3月9日21時00分、紺色の庇付きニット帽・紺色のジャンパー・手袋の、イヤホンを装着した、305号室の客が、ダイソーのトートバッグを三つ提げて、ホテルを出ていった。

305号室の客が歩いていく姿を見終わってから、しばらく、全員が、黙って、身じろぎもしなかった。

やがて、ハンヨジン警部が、捜査員たちを見回して、話しだした。「305号室の客のジャンパーは、空き地の遺体のそばにあったジャンパーと同じ色で、同じ物に見えます。また、305号室で鑑識官が採取した、食品パッケージやごみは、空き地の遺体の胃の内容物と矛盾しません。また、305号室の客がホテルを出入りした時間は、空き地の遺体の死亡時刻と矛盾しません。また、ジャンパーのポケットに入っていた住民登録証のキムジングさんの健康情報と、空き地の遺体の剖検の結果とは、矛盾しません。これらのことから、空き地の遺体と、305号室の客とは、同一人物であり、また、キムジングさんとも、同一人物であると、推定されます」

ハンヨジン警部は、一旦、言葉を切った。捜査員たちは、そのとおりだ、という顔をしていた。

ハンヨジン「空き地で起こった爆発には、不審な点があります。自分の足の上のガスコンロに着火してから、プレートに伏せて、爆発が起こるまで、じっとしていられたとは、思えません。両足を括ってあったのは、覚悟の自殺のように見えますが、どんなに強い意志があっても、熱してくるプレートに伏せたままでいられたでしょうか」

チャンゴン刑事が、ちょっと手を挙げてみせた。ハンヨジン警部は、手で、どうぞ、という仕草をして、肯いた。

チャンゴン刑事「305号室の客は、3月9日の夜は、イヤホンを挿したままで、ホテルを出入りしていました。空き地では、自分のそばで、なおかつ、爆発で傷まない位置に、CDプレーヤーを置いて、CDをかけたままにしていました。彼は、死ぬまで、好きな音楽を聴き続けていたんだと思います」

ハンヨジン「CDの歌手は、誰でしたか」

チャンゴン刑事「パクインスです。パクインスの"House of Sunrise"です」

ハンヨジン「それは、」

チャンゴン刑事「少年院の歌です。売春宿の歌じゃない方です」

パクスンチャン刑事「あのう、曲は聞いたことがあるけど、どんな歌か、よく知らないんですが」

チャンゴン刑事「"House of Sunrise", または、"The House of the Rising Sun"は、元々は、古いアメリカの歌で、1930年代から、録音盤がある。いろんな人が歌っていて、売春宿の歌と、少年院の歌がある」

ハンヨジン「90年ぐらい前から、歌い継がれてきたのね」

チャンゴン刑事「パクインスは、1947年生まれで、7歳で孤児になって、12歳でアメリカ人の養子になり、15歳で韓国に戻って、歌手になった人です」

ハンヨジン「パクインスの歌だけが入っているCDなの?」

チャンゴン刑事「そうです。パクインスの"House of Sunrise"だけ、元のCDから、自分用のディスクにダビングしたやつですよ。俺はこの曲をギターで弾ける」

ハンヨジン「今度、聴かせて貰うわ。その曲だけのためにCDを作るぐらい好きな曲を聴きながら、自分で人生を締め括って、天国に行けたのならいいけれど、わたしには、ガス焜炉に着火したのが、その人自身だったと、確信できません。ガス焜炉に着火してからプレートが熱くなるまでに熟睡するとは思えないし、泥酔した状態であれだけの準備をするのはむずかしいし、遺体はアルコールも薬物も摂取していなかった。着火した瞬間に脳内出血が起こって意識を失ったのなら、じっとしていたでしょうが」

パクスンチャン刑事「焜炉に着火してから、爆発が起こるまで、どれぐらいかかるのか、実験してみたら、どうでしょうか」

ハンヨジン警部は、大きく、肯いた。「わたしも、それを考えていました。爆発の炎が、どれぐらい遠くから見えたか、音が、どれぐらい遠くまで聞こえたかも、確かめたい」

カセットガス焜炉の爆発事故は多く、消防署も注意を呼びかけている。空き地での実験には、消防署の立ち会いが必要だった。ハンヨジン警部は、明日、チャンゴン刑事と協力して、実験を準備することにした。

305号室の客が提げていたダイソーのトートバッグは、今の段階では、いつ、どこのダイソーで買ったものか、わからないが、3月9日4時にヨンサン駅西側の「ブチェ旅館」に入る直前、直近のダイソーで、買ったと仮定すると、ソウル駅のロッテマートのダイソーが該当する。ソウル駅のロッテマートは9時から24時までが営業時間である。

ハンヨジン警部は、他の龍山署員たちに、明日、ソウル駅のロッテマートと、ソウル駅の南東側、龍山区東子洞のキムジングの住居との、捜索を指示した。

大統領選挙翌日の報道は、選挙の話題一色だった。ヨンサン駅西側の空き地で見つかった焼死体については、新聞の片隅に小さな記事が載り、テレビのニュースでも、空き地で携帯ガス焜炉を誤って使用したために事故が起こったと、小さく報じただけだった。ハンヨジン警部は、この日は記者会見を開かなかった。

その夜10時、ヨンサン駅西側の格安ホテル「ブチェ旅館」に、ハンヨジン警部とパクスンチャン刑事とが来た。3月8日深夜から9日早朝までの当番だった従業員に会って、305号室の客について尋ねた。昼の当番が言った通り、従業員は、監視カメラのモニターを見ていて、305号室の客の姿を直接には見ておらず、会話もしていなかった。

*参照
https://www.youtube.com/watch?v=Qr1MCWvoVjg
박인수가 부르는
"해뜨는 집, The House of Rising Sun"

(2)

3月11日の朝、龍山署強力班のチェユンスチーム長は、捜査員を二つのグループに分けた。

チーム長自身のグループは、ソウル駅のロッテマートに向かった。店長に、「305号室の客」がダイソーのトートバッグを提げている写真を見せて、捜査への協力を頼んだ。

そして、3月8日9時から24時までの監視カメラの録画のコピーと、同じ時間帯のレジの記録のコピーを求めた。

チェユンスチーム長が、捜査員を組分けして、一方の組は、監視カメラの記録を、もう一方の組は、レジの記録を調べた。

監視カメラ組は、3月8日24時から遡るのと、8日9時から時間の経過に従って見るのとに分かれて、トートバッグを提げた「305号室の客」が店を出る映像を探した。

レジの組も、同じく、3月8日24時から遡るのと、8日9時から時間の経過に従って見るのとに分かれて、調べていった。

どちらの組も、3月8日24時から遡った方が、先に、目当てのものを見つけた。

監視カメラには、紺色の庇付きニット帽を被り、紺色のジャンパーを着て、ダイソーのトートバッグを三つ提げた男が、3月8日23時15分に店を出る姿が映っていた。

レジの記録を調べていた捜査員は、3月8日23時00分に次の買い物をした客に、注目した。

<カセットガスコンロ1台;カセットガスホットプレート1台;懐中電灯1本;ジャケット1着;マフラー1本;ニット帽1個;手袋1双;化学雑巾;ダイソーのトートバッグ3個>

今度は、捜査員全員で、8日9時から24時までのレジの記録を調べ直して、この日にカセットガスコンロとカセットガスホットプレートと両方を買った客は、一人だけだったのを確認した。その客は、ニット帽と手袋なども一緒に清算し、ニット帽を被り、トートバッグ3個を持って、店を出た。この客が、「305号室の客」だと推定された。

3月8日23時00分の清算のときに対応した店員は夜の当番なので、次に出勤してきた時に、もう一度、捜査員が来て、話を聞くことにした。

「305号室の客」は、ソウル駅のロッテマートでは、食料品を買っていない。3月9日7時40分にヨンサン駅西側の「ブチェ旅館」に入ったときに提げていた、ごみ袋に、食品が入っていたのだろうと、推定された。

地下鉄は数分間隔で次の電車が来る。ソウル駅からヨンサン駅までは間のナミョン駅に停まっても数分で、仁川行き23時37分と九老行き23時53分とが終発である。

ところで、キムジングの住居は、ソウル駅の南東側の町にあるチョッパンである。

「305号室の客」がキムジング本人ならば、自宅に寄ったんじゃないか? と、チェユンスチーム長は、考えた。そっちは、パクスンチャン刑事のいるグループが捜査している。

キムジングの住居は、チョッパンの一部屋だった。パクスンチャン刑事を含む龍山署員のグループが、キムジングの部屋を捜索した。鑑識官も資料を採取した。

チョッパンは、保証人なしで部屋を借りられる。そのかわり、狭い一部屋だけで、冷暖房設備もない。洗面所や浴室などの衛生設備は共同である。

キムジングの部屋に、手紙やメモや写真、カード、現金、出納書類は、なかった。衣類や、洗面・整髪の道具も、なかった。

チョッパンの管理人は、小さな店を開いていた。向こう三軒両隣もチョッパンで、ちょうど店の前が、中庭のようになっていた。

パクスンチャン刑事は、キムジングの住民登録証のコピーをチョッパンの管理人に見せた。管理人は、台帳にある、住民登録証のコピーと照合して、同じだと認めた。

住民登録証の写真は、マスクをしていない。

しかし、キムジングが入居したのは、ウィルス感染症のパンデミックが始まってから後だったので、管理人は、直接には、マスクをした顔しか、見ていなかった。

チョッパンは、元は一つの部屋だったものを二つ以上に分けるなどして、一軒の建物に多数の貸室を作ってある。防火対策ができていないことが多い。

パクスンチャン刑事は、キムジングの部屋の向こう三軒両隣にも、住民登録証のコピーと、ヨンサン駅西側の空き地の死体のそばにあった紺色のジャンパーの写真と、「305号室の客」がダイソーのトートバッグを提げている写真を、見せた。

キムジングの隣人たちは、たまたま、ちょうどそのとき、管理人の小さな店の前で、椅子を並べて、酒盛りをしていた。

皆、キムジングと同じような、中年の男性である。彼らは、お互い、マスクをした顔も、マスクをしていない顔も、見たことがあった。

隣人たちは、全員、住民登録証の写真を、入居者本人だと認めた。紺色のジャンパーも、キムジングが着ていたものだと認めた。

しかし、「305号室の客」の写真を見せられると、こんな帽子、被ってたかな、と疑問を呈した。ダイソーのトートバッグなんか、キムジングが持って歩いているのを見たことがない、と断言した。

キムジングは大統領選挙の前日に出かけていって、その晩も、次の晩も、帰って来なかったと、皆が証言した。しかし、どこへ行っていたのかは、誰も知らなかった。

隣人たちは、キムジングは、臨時雇いの職場を転々としていた、少ない収入を酒と煙草と賭け事に使っていた、離婚歴がある、と話した。それらは住民登録とも一致する。なおそのうえに彼らは、一様に、自分も似たようなものだと付け加えた。

パクスンチャン刑事は、イヤホンを装着した「305号室の客」の写真を、キムジングの隣人たちに見せて、尋ねた。「キムジングさんは、イヤホンで、CDプレーヤーから音楽を聴くのが、好きでしたか」

隣人A「イヤホンで、スマホを聴いてるのを見たことあるけど、CDプレーヤーなんて、持ってたのかな」

隣人B「イヤホンで、ラジオを聴いてるのを見たことあるけど、音楽が好きだったかな」

隣人C「俺も、イヤホンで、スマホから音楽を聴くけど、CDプレーヤーは持ってないな」

隣人D「俺も、ラジオから音楽を聴くけど、CDもCDプレーヤーも持ってない」

隣人E「キムジングが、部屋で、CDプレーヤーから聴いてたら、わからないけど」

隣人F「CDを持ってたのかな」

捜査員も鑑識官も、キムジングの部屋で、CDは一枚も見つけていなかった。

パクスンチャン刑事「キムジングさんは、パクインスの歌が好きでしたか」

隣人A「さあ」

隣人B「さあ」

隣人C「さあ」

隣人D「さあ」

隣人E「さあ」

パクスンチャン刑事「パクインスの"House of Sunrise"を聴いているのを、見たことがありませんか」

隣人A「ああ、その歌なら、知ってる。"The House of the Rising Sun"だね」

隣人B「知ってる」

隣人C「知ってる」

隣人D「知ってる」

隣人E「知ってる」

パクスンチャン刑事「少年院の歌の方です。売春宿の歌じゃない方です」

隣人A「あ、俺は、売春宿の歌の方が、好きだな」

隣人B「俺も」

隣人C「俺も」

隣人D「少年院の歌、いいね。俺は、パクインスの歌が、好きだ」

隣人E「いいね。どっちもいいけど、どっちかというと、キムサングクの歌より、パクインスの歌の方が好きだ。キムジングが、どっちの方が好きだったか、知らないけど」

パクスンチャン刑事は、CDについては、これ以上、質問しないことにした。

隣人たちは、キムジングが何かしたのか、ときいてきた。

パクスンチャン刑事は、身元不明の死体が見つかったが、近くのホテルに泊まっていたキムジングであるらしい証拠が出てきたので、確認しているのだと話した。

すると、隣人たちは、キムジングが死んだのか、いつか、ときいてきた。

大統領選挙当日の夜だと、パクスンチャン刑事は答えた。

すると、隣人たちは、大統領選挙の当日の夜、というのは、ありえない、と言った。

なぜなら、大統領選挙の結果が出た午前3時頃、キムジングの部屋から、物音がするのを聞いた、声は聞いていない、姿も見ていない、テレビを見ていたから。

その後は、寝てしまって、キムジングのたてる物音も声も聞かず、姿も見ていない、というのも、同じだった。

龍山署に戻った、二つのグループは、それぞれの捜査結果を、ハンヨジン警部に報告した。

キムジングの隣人たちの話は、重要な情報をもたらした。ハンヨジン警部は、一つ、一つ、情報を整理していった。

キムジングは、3月8日に、紺色のジャンパーを着て、ソウル駅南東側のチョッパンの自宅を出た。現在まで、隣人たちに、帰宅した姿を見られていない。

3月8日にキムジングが着ていた紺色のジャンパーは、3月9日の夜のヨンサン駅西側の空き地のガス爆発の現場に、ポケットにキムジングの住民登録証を入れて置いてあった紺色のジャンパーと、同じ物だと推定される。

キムジングの隣人たちは、3月9日0時10分にヨンサン駅西側のブチェ旅館の305号室の宿泊費を前払いした客の写真を見て、キムジングが持っていないものを持っていると証言した。

すなさち、キムジングは、3月8日に自宅を出たときは、紺色の庇付きニット帽を被っておらず、ダイソーのトートバッグを持っていなかった。

それらは、ソウル駅のロッテマートで3月8日23時00分にカセットガスコンロとカセットガスホットプレートと一緒に購入されたものだと、推定される。

3月9日の夜にヨンサン駅西側の空き地で爆発を起こしたのは、その、3月8日23時にソウル駅のロッテマートで購入したカセットガスコンロとカセットガスホットプレートだと、推定される。

3月9日の夜のヨンサン駅西側の空き地のガス爆発の現場の遺体が、直前の24時間以内にヨンサン駅西側のブチェ旅館の305号室で摂取した食品は、3月8日23時00分にソウル駅のロッテマートでカセットガスコンロとカセットガスホットプレートと一緒に購入されていない。

ここまでで、ハンヨジン警部が言葉を切って見回すと、チェユンスチーム長が意見を述べた。地下鉄のソウル駅からヨンサン駅までは二駅、数分である。だから、3月8日の夜11時にキムジングがソウル駅のロッテマートで買い物をしたのだったら、3月9日の0時過ぎにヨンサン駅西側のブチェ旅館に入るまでの間に、ソウル駅南東側の自宅に寄ることもできたのではないか。

さて、パクスンチャン刑事の聴き取りによれば、チョッパンの隣人たちは、キムジングは大統領選挙前日の3月8日に出かけて、その晩と選挙当日とは帰っていない、と証言している。しかも、大統領選挙翌日、3月10日の午前3時頃、キムジングが帰っていた、という。

キムジングの住んでいたチョッパンは、入口の扉を開けると、大きな音がする。それで、人の出入りがあったとわかる。キムジングの隣人たちは、午前2時半頃、扉の音を聞いた。それから、30分ぐらいして、キムジングの部屋から物音がしたので、ああ、さっき、キムジングが帰ってきたのだと、思ったというのだった。

ハンヨジン警部「開票速報を見るために、夜通し、起きていた人が多かったのは、わかるけど、わたしなんかは、寝ちゃったし、キムジングさんの向こう三軒両隣が、全員、午前3時まで起きていたって、すごいわね。そんなに政治に熱心な人たちが寄り集まって住んでるのかしら」

パクスンチャン刑事「あの人たちは、賭けをしていたんです。誰が当選するか、賭けに負けた方が勝った方に一杯おごる約束で。もっとも、あとで結局、一杯おごられたら、一杯おごり返すのを繰り返して、ただの飲み会になってしまったそうですが。キムジングさんも誘ったのに、断わったそうです。よそで賭け事をして借金が溜まってしまって、選挙の前の日に出かけたのも、金策に行くと言っていたそうです。どこに当てがあるのか、ほんとうに当てがあるのか、誰も知らないし、誰も信じてなかったそうですが」

ハンヨジン警部「その飲み会は、いつ、やったの?」

パクスンチャン刑事「ちょうど僕たちが行ったときに、やってました。さすがに、午前3時まで起きていて、そのまま、飲み会をするのはきつくて、寝てしまったんです。だから、キムジングさんの部屋で音がしても、誰も、わざわざ、見に行ったり、声をかけたり、しなかったんです。もう、半分、寝ていたから」

結局、キムジングの隣人たちが彼の姿を見たのは、3月8日が、最後なのだった。

それにもかかわらず、大統領選挙翌日、3月10日の午前3時頃、キムジングが帰っていたに違いないという。

だって、他に、誰が、キムジングの部屋に入る?

その言葉を信じれば、3月10日の朝、ヨンサン駅西側の空き地で見つかった死体が、キムジングではないことになる。。

「305号室の客」は、パクインスの"House of Sunrise"だけをダビングしたCDを、出歩く時もイヤホンで聴き、空き地でも死の間際まで、CDプレーヤーから聴いていたのに、隣人たちの証言によれば、キムジングには、イヤホンでCDプレーヤーから音楽を聴く習慣もなければ、特にパクインスの歌を好んでもいなかったという。

これでは、「305号室の客」とキムジングとが、同一人物だとは、考えにくい。キムジングの部屋からは、CDは一枚も見つからなかったが、それは、本人が、趣味の宝物を持って出ていったというようなことではなく、もともと、なかったと考える方が、自然である。

そもそも、キムジングは、借金が溜まっていて、金策に行くと言って、3月8日に、自宅を出たのだ。

その日の夜、ソウル駅のロッテマートで買い物をしたのは、その金策ができたからだろう。

金が手に入ったのに、借金の返済に当てず、多くの買い物をし、それらを自殺のために使ったのか。

しかし、ヨンサン駅西側の空き地の死体が、キムジングではなかったとしたら、どうか。

ソウル駅のロッテマートでカセットガスコンロなどを買った客は、キムジングと同じジャンパーを着ているように見えるが、実は、別人だったのではないか。

そして、キムジングは、どこかで、何らかのきっかけで、「305号室の客」の自殺企図を知り、それを利用して、自分が死んだように見せかけたのかもしれない。

ヨンサン駅西側の空き地の死体のそばに、キムジング自身が着ていたジャンパーを置き、そのポケットに、キムジング自身の住民登録証を入れて、死体がキムジングだと思わせたのではないか。

キムジングの部屋に、手紙やメモや写真、カード、スマホ、現金、出納書類、衣類、洗面・整髪の道具がなかったのは、3月10日午前2時半から3時頃、本人が帰ってきて、一切合切、持ち出したのかもしれない。そのときに、ブチェ旅館の305号室でしたのと同じように、化学雑巾で拭き掃除もしたのかもしれない。鑑識官が採取できた資料は、少なかったのである。指紋も、ぼんやりしたものしか、取れなかった。

チョッパンの建ち並んだその地域には、監視カメラはない。キムジングの住んでいた建物から何棟か離れたところの道路には、監視カメラがあった。

そこには、3月9日午後10時以降の、「305号室の客」とは違う姿をした、キムジングが映っているのかもしれない。

剖検をした医師が照合した、キムジングの健康情報と、ヨンサン駅西側の空き地の遺体とは、矛盾しなかったが、その情報量は少なすぎた。遺体は一部しかなかったし、キムジングは、手術を受けたこともなく、ここ数年は医療機関を受診しておらず、目立った特徴がないのだった。

この日の捜査会議には、鑑識官から、ヨンサン駅西側の空き地の死体発見現場の、詳しい報告書も届いていた。

それによると、ガス爆発は、次のようにして、起こった。

ガスボンベ式ホットプレートの焜炉台から、ホットプレートをはずした。その焜炉台に、両足の先が着くように、両脚を伸ばして座り、マフラーで足首を括った。その両側に、衣類を入れた布袋を置いた。揃えた両脚のむこうずねの上に、別の小型ガスボンベ式焜炉を置いて、食み出た部分を両側の袋で安定させた。ガス焜炉の上にプレートを置いた。プレートは、脚の上のガス焜炉より大きな型で、食み出ていた。脚の上のガス焜炉に着火した。プレートのまんなかに、両手を、上と下とに並べて置いた。一方の手にスマホを持っていた。両手の上に重なるように、顔を伏せた。一方の手の下から、スマホが、半分、食み出ていた。食み出た部分が、口の下になっていた。マスクは、していなかった。プレートが大きすぎるため、焜炉の熱がこもって、ガスボンベが過熱して爆発した。ホットプレート用のガスボンベにも火が飛んで、また、爆発が起こった。

遺体の横にあった懐中電灯には、指紋も、唾液の跡もなかった。つまり、両手を使ってマフラーで両足首を縛る時に、懐中電灯を口に咥えていたと思われたが、その時に着いたであろう唾液の成分は、検出されなかった。

鑑識官が、ヨンサン駅西側のブチェ旅館の305号室で採取した資料、ソウル駅南東側のチョッパンのキムジングの部屋で採取した資料、そして、ヨンサン駅西側の空き地の遺体の、DNA鑑定の結果が出るまでには、日数が掛かる。

キムジングが、自殺したにしろ、自殺を擬装したにしろ、その理由には、「借金」や「金策」が関係しているものと、考えられた。また、自殺が擬装だとしたら、ヨンサン駅西側の空き地で死んでいたのは誰か、いつ、どこで、知り合ったのか、その人物はほんとうに自殺企図があったのか。

捜査会議終了後、ハンヨジン警部は、記者会見を開いた。ソウル特別警察庁ではなく、龍山署で、記者会見をした。龍山区東子洞に住民登録のあるキムジングの写真と、ヨンサン駅西側の格安ホテル「ブチェ旅館」の305号室の客の映像とを公開して、市民に協力を呼びかけた。3月10日の朝、ヨンサン駅西側の空き地で発見された死体は、携帯ガス焜炉の爆発による損傷が激しく、身元確認が進んでいない、遺留品により、3月8日以降に行方不明となっているキムジング氏と推定されるが、断定はできない、引き続き、捜査する、なお、キムジング氏を見かけたことがある人か、立ち寄り先に心当たりがある人は、警察に連絡してほしい。

記者会見の2時間後、午後8時過ぎ、ハンヨジン警部と龍山署の捜査員たち、および、管内の巡査たち数名が、ヨンサン駅西側の空き地に集まっていた。消防署立ち合いのもとに、携帯ガス焜炉爆発の再現実験をおこなうためだった。

空き地は、ほぼ、半円形をしていて、北東の隅にヨンサン駅がある。東側は電車の線路が何本も走っている。

北側には電子商店街がある。電子商店街の東側に、ソウルドラゴンシティがある。高級ホテルとカジノの不夜城である。

西側に、オフィスビル群がある。

北側の電子商店街は、午後8時に閉店する。西側のオフィスビルも、その頃には、どの部屋も、業務を終えている。

ヨンサン駅は明るい。

午後8時半になり、ヨンサン駅の大型デパートが閉店時間となって、照明が消えた。隣の映画館は24時間営業である。駅はまだ明るい。

空き地の南側は、壁で囲まれていて、中央に、車が入っていける道がある。毎朝、漢江沿岸をジョギングしてから空き地を通って家に戻る習慣の老人は、3月10日の朝も、この道を通って空き地に入って、死体を発見した。

ハンヨジン警部は、それぞれの位置に、巡査を配備し、録音録画の用意をさせた。

ガスボンベの爆発が起こったときの状況を忠実に再現するために、カセットガス焜炉やホットプレートの準備は、懐中電灯の明かりだけで、おこなった。いざ、着火の時には人形を使うが、その前に、チャンゴン刑事が、懐中電灯を口に咥えて、両足をマフラーで括って、その上にガス焜炉を置く動作をやってみた。

1本の懐中電灯の明かりだけでは、随分、時間がかかった。

午後9時30分、チャンゴン刑事が人形と交替して、カセットガス焜炉に着火した。数分で、ガス焜炉の爆発が起こった。続いて、ホットプレートのガスボンベも爆発する。

ガス焜炉に着火してから、爆発までの数分間に、プレートに伏せている人形の両手とスマホが熱で損傷していた。

それから、30分近く、かかって、人形は、完全に燃え尽きてしまった。3月10日の朝に見つかった遺体は、3分の1以上、残っていたのに。

ハンヨジン警部は、それぞれの位置についている巡査たちに、集まるように、指示した。

集まってきた巡査たちは、皆、二度の爆発を見て、二回、爆発音を聞いたことを報告し、録音録画を提出した。

爆発が起こったといっても、空き地の中心部でキャンプファイヤーをしているかという程度の光である。音は、鉄道の音にかき消されて、空き地の外まで、聞こえない。

ハンヨジン警部は、完全に燃え尽きた人形を見ながら、じっと考え込んでいた。やがて、言う。「どうして、全部、燃えなかったのか。なぜ、あの人は一部が残っていたのか。誰かが、火を消したんだ。誰かが、もうひとり、そこにいたんだ。燃やしたいところだけが燃えるのを見届けて、火を消したんだ」

パクスンチャン刑事「火を消したって、水か、消火器を、予め、用意していたってことですか」

ハンヨジン警部「たぶん、二酸化炭素消火器を使ったんでしょう。それなら、跡が残らないから」

パクスンチャン刑事「じゃあ、キムジングさんが、二酸化炭素消火器で、火を消したってことですか」

ハンヨジン警部「そうね。それにしても、そうだとしても、そうだとしたら、なおさら、ガス焜炉に着火したのは、誰だったのか、誰の意思だったのか、疑問が湧いてくる。……それだけじゃない。そもそも、ガス焜炉に着火した時、それを足の上に載せていた人の意思でないとしたら、その人は、そのとき、意識があったのか。そんなはずがない。意識があれば、両手をプレートの上に置いたまま、じっとしていられるはずがない。意識どころか、そのとき、命があったのか、どうかさえ、あやしい。既に死んでいた人を、ガス爆発で死んだように見せかけたということも、ありうる。証拠はないけど」

チャンゴン刑事「証拠は燃えてしまった。証拠を消すために、燃やした」

ハンヨジン警部「キムジングという人が、死んだように見せかけるために、誰かを殺した?」

チャンゴン刑事「誰かわからないけど、パクインスの"House of Sunrise"が好きな人を」

龍山署員たちは、ヨンサン駅西側の空き地でのガスボンベ爆発の実験の後片付けをおこなったが、チェユンスチーム長は免除されて、ソウル駅のロッテマートに向かった。そこで、夜間の当番の店員に会い、3月8日23時00分に、次の買い物の清算をした客のことを思い出してほしい、と頼んだ。

<カセットガスコンロ1台;カセットガスホットプレート1台;懐中電灯1本;ジャケット1着;マフラー1本;ニット帽1個;手袋1双;化学雑巾;ダイソーのトートバッグ3個>

カセットガスコンロとホットプレートと両方を買った客のことを、店員は思い出した。その客は、紺色のジャンパーを着て、フードも被っていた。もちろん、マスクもしていた。

商品の清算に必要な最小限の会話しかしておらず、服装以外に特に何か特徴を思い出すことはできなかった。キムジングの住民登録証の写真を見せると、清算した客と同じ人に見えるが、絶対にそうかと言われればわからない、と答えた。

(3)

3月12日は土曜日だが、ハンヨジン警部と龍山署の捜査員たちは、この日も出勤した。

ハンヨジン警部は、捜査員を二つのグループに分けた。

一方のグループは、ソウル駅のロッテマートの、3月8日9時から24時までの監視カメラの録画から、紺色のジャンパーを着てフードを被った男が入って来る映像を探すこと。そこから遡って、3月8日にキムジングが自宅を出てからソウル駅のロッテマートに来るまでの足跡を辿ること。ロッテマートでカセットガスコンロとホットプレートを買ったのがキムジング本人ならば、その間のどこかで、ガス爆発による自殺あるいは自殺擬装を計画する理由となった何かが、あったはずである。

もう一方のグループは、「305号室の客」が3月9日0時20分にブチェ旅館を出てから7時40分に戻るまでの立ち寄り先を探すこと。深夜から早朝まで滞在できる所としては、チムジルバンが考えられる。食料品を買った店も見つけること。キムジングと「305号室の客」とが別人ならば、その間のどこかで、接触していると考えられる。

一方、ハンヨジン警部自身は、ソウル特別市内で消火器の盗難届が出ていないか、調べることにした。

3月8日にキムジングが自宅を出てからソウル駅のロッテマートに来るまでの足跡の捜査を担当したグループは、3月8日9時から24時までの監視カメラの記録から、紺色のジャンパーを着てフードも被った男が、22時30分に入ってくる映像を、見つけた。捜査員たちは、ソウル駅のロッテマートに出向いて、アウトドア用品売り場の監視カメラの、3月8日22時30分から23時までの録画のコピーを求めた。すると、そこにも、紺色のジャンパーを着てフードも被った男が、映っていた。昨夜、チェユンスチーム長の質問に答えた、夜間の当番の店員の言うように、キムジングの住民登録証の写真と比べると、同じ人に見えるが、絶対にそうかと言われれば、わからない。しかし、とりあえず、キムジングと同一人物として、3月8日22時30分以前の、ロッテマートの外の監視カメラから、紺色のジャンパーを着てフードも被った男の映像を探し、徐々に遠くへ、前の時間へと、調べていった。

チェユンスチーム長が率いるグループは、「305号室の客」が3月9日0時20分にヨンサン駅西側のブチェ旅館を出てから7時40分に戻るまでの立ち寄り先の捜査を担当した。

捜査員たちは、手分けして、ブチェ旅館に近い方から、放射状に、徐々に、離れて、探していった。もっとも、鉄道の線路を越えるのは、後回しにした。

その結果、「305号室の客」が食料品を買った店は、ヨンサン駅から北西1kmほどのところにある地下鉄の駅の近くのコンビニエンスストアだとわかった。

コンビニエンスストアも、ブチェ旅館も、空き地と同じく、鉄道の線路の西側にある。空き地が一番南で、中間がブチェ旅館、一番北がコンビニエンスストアだった。

捜査員は、コンビニエンスストアの店員から聴き取りをし、監視カメラを確認した。

コンビニエンスストアの監視カメラは、レジカウンターと出入り口とを、一台でとらえるようになっていた。

紺色の庇付きニット帽と紺色のジャンパーの「305号室の客」が、3月9日7時20分に入店して、食料品とごみ袋とを買い、7時30分に出て行くのが、映っていた。

コンビニエンスストアとホテルとの間の道路の監視カメラにも、紺色の庇付きニット帽と紺色のジャンパーの「305号室の客」が映っていた。

だから、コンビニエンスストアからブチェ旅館に帰って来る「305号室の客」の姿は、完全に追うことができた。

コンビニエンスストアから、ブチェ旅館とは反対方向の道路の監視カメラにも、紺色の庇付きニット帽と紺色のジャンパーの「305号室の客」が映っていた。

つまり、ブチェ旅館よりも北にあるコンビニエンスストアから、更に北に、道路の監視カメラをたどっていくと、ナミョン駅の近くのチムジルバンに行きついた。ナミョン駅西側のチムジルバンの出入り口の監視カメラに、紺色の庇付きニット帽と紺色のジャンパーの「305号室の客」が出る姿が映っていた。

それで、「305号室の客」は、3月9日7時10分頃、ナミョン駅西側のチムジルバンから出てきて、地下鉄の駅の近くのコンビニエンスストアで買い物をして、ヨンサン駅西側のブチェ旅館に帰ったことが、確かめられた。

さらに、「305号室の客」が、チムジルバンに入ってきたときの映像を、グループ全員で探した。

3月9日0時20分にヨンサン駅西側のブチェ旅館を出た、紺色の庇付きニット帽とジャンパーの「305号室の客」は、0時40分にナミョン駅西側のチムジルバンに入っていた。

ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、3月9日に消火器の盗難届のあった、龍山区の西氷庫洞の町に、出かけていった。ヨンサン駅の南東約2.5km、地下鉄の駅に近い。届出をしたのは、二階建ての集合住宅の所有者で、一階は、所有者と、その親族とが、二世帯に分かれて、隣同士で居住し、二階を、別の二世帯に、貸していた。一階と二階とは外階段でつながっていた。消火器は、一階と二階の外廊下に、一つずつ、置いてあった。盗まれたのは二階の消火器で、気づいて届出をしたのは3月9日だが、実際に盗難があったのは、3月8日の夜だったようである。

届出人のシンさんが、話した。「大統領選挙の日の、火曜日の朝に、自転車がなくなったって、2階の住人のイさんが、騒いでいたんです。通勤に使うのに、困ると言って。イさんは、職場に電話をかけて、そしたら、職場の人が、配達の車で迎えに来てくれることになったので、それに乗って、仕事に行きました。わたしは、念のために見回りをして、2階の消火器も盗まれているのが、わかったんです。それで、わたしは、警察に行って、消火器の盗難届を出したんですが、イさんは、仕事から戻ってから、自転車の盗難届を出しに行きました。イさんの職場は、地下鉄で一駅なんですよ。でも、通勤には自転車の方が便利なんです。うちは、監視カメラを設置していないんです。警察の人から、外階段の上に監視カメラを設置した方がいい、と言われました。そうしたら、2階に人が上がっていくのがわかるから。そりゃまあ、2階の廊下の消火器の盗難は、それで防げたのかもしれないけど、自転車は、階段の下の、階段の裏側に置いてあるんです。塀に囲まれていて、今まで、よその人が入り込んだりしなかったんだけど。階段の上に監視カメラを付けても、自転車泥棒は、防げないんじゃないかなあ」

ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とが龍山署に戻ってくると、ひとりの若い女性が待っていた。昨日の記者会見の、「キムジング氏を見かけたことがある人か、立ち寄り先に心当たりがある人は、警察に連絡してほしい」との呼びかけに応じたのだった。待っている間に、ブチェ旅館のフロントの監視カメラの、305号室の客の映像を見せられて、これがキムジングだと言われれば、そう思うが、何も言われなければ、自分が会った人と同じ人かどうか、わからない、と答えていた。

ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、さっそく、面談した。

彼女、コ某さんは、龍山区の北の中区にあるクラブのホステスである。

ヨンサン駅西側の空き地で死体が発見された日の五日前に、コ某さんのいるクラブに来た男性が、キムジングと名乗ったという。

「キムジングさんは、イジョンアがこの店にいると聞いて会いに来た、と言いました。外出規制が厳しかった時に、お店が閉まって、その間に、半分の人がやめていました。イジョンアさんは、その人たちのひとりでした。だから、今、お店にいるホステスの半分は、外出規制が緩んで、お店が再開してから、雇われた人で、イジョンアさんのことを知りません。キムジングさんは、イジョンアさんの写真を、ひとりひとりに見せて、きいていました。イジョンアさんを知っている人でも、今はどこの店にいるか、ときかれたら、わかりませんでした。前のときの雇われマダムだった人も、やめていました。その人が御弁当屋さんを始めたことを、前からいた人たちは、知っていました。わたしは、その御弁当屋さんに行って、イジョンアさんが働いているのを見たことがありました。そのことを、キムジングさんに話しました」

ハンヨジン警部が、その御弁当屋の場所をきくと、ヨンサン駅の南東の二村洞の町だった。西氷庫洞の一つ手前である。地下鉄では、ヨンサン駅・イチョン駅・ソビンゴ駅となっている。

キムジングはイジョンアのことをどんなふうに話していたか、更に詳しく教えてほしいと、ハンヨジン警部は頼んだ。

コ某さんは、ちょっと、宙を見つめてから、話した。「キムジングさんが、みんなに見せていた写真は、結婚式の時の記念写真でした。白いタキシードのキムジングさんと、白いウェディングドレスのイジョンアさんと、小学一年生ぐらいの女の子が、写っていました。女の子も白いワンピースでした。その女の子は、イジョンアさんの連れ子だと、キムジングさんが言いました。イジョンアさんは、離婚して、ホステスをしながら、前の夫の子を育てていた、苦労していた、キムジングさんと再婚して、ホステスをやめて、幸福になれた、だけど、キムジングさんが失業してから、イジョンアさんは、また、ホステスを始めた、イジョンアさんを贔屓にするお客さんが、家まで送ってきたことがある、それに嫉妬して、なぐってしまったことがあった、それで、イジョンアさんが怒って、離婚した、何度謝っても許してくれなかった、結婚式の時は小学一年生だった娘も、もう、中学生だ、イジョンアも、いつまでも、ホステスを続けられる年じゃない、この辺で、もう一回、よりを戻したい、それが無理でも、娘の顔だけでも見たい、義理の娘だけど、とキムジングさんは、言っていました。それで、御弁当屋さんは繁盛しているから、安心ですよ、と言ってあげました」

ハンヨジン警部は、コ某さんに、ありがとう、よくわかりました、と言った。

コ某さんは、ほっとした顔をした。「御弁当屋さんになった人の後に、マダムになった人は、わたしよりも、もっと前から、イジョンアさんと一緒に、ホステスをしていたんです。その人に、キムジングさんにイジョンアさんが御弁当屋さんで働いてることを教えた、て言ったら、怒られてしまいました。イジョンアさんはキムジングさんにつきまとわれて困っていたのに、って」

ハンヨジン警部は、重ねて、コ某さんに、ありがとう、と御礼を言った。「とてもよく、状況がわかりました。また、こちらから、お話を伺いに行くかもしれません。マダムにも、お話を聞きます。今のところはまだ、キムジングさんがほんとうに亡くなったのかどうかさえ、確定していないんです。もし、万が一、また、キムジングさんを見かけることがあったら、すぐに、警察に知らせてください。本人がキムジングと自覚できているかどうかも、わかりませんから、とりあえず、居場所を通報してください」

コ某さんは、はっとして、なるほど、と肯き、必ず、通報することを約束した。

コ某さんが、帰ってから、ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、キムジングの住民登録と、消火器の盗難届とを、照合した。自転車の盗難届も、確認した。

3月8日の夜に消火器の盗難があった、西氷庫洞の二階建ての集合住宅の住人で、自転車を盗まれたのは、キムジングが探していた、イジョンアだった。キムジングが、中区のクラブのホステスのコさんから聞き出した、二村洞の御弁当屋に、イジョンアが自転車で通勤していたのだった。

この日の捜査会議では、3月9日7時過ぎに「305号室の客」がナミョン駅西側のチムジルバンから出てきて、ナミョン駅とヨンサン駅とのちょうど中間にある、地下鉄の駅の近くのコンビニエンスストアで買い物をして、ヨンサン駅西側のブチェ旅館に帰るまでの、監視カメラの映像をつないだものを、全員で見た。

「305号室の客」は、コンビニエンスストアで、食料品のほかに、CDプレーヤーに使う電池も買っていた。

ハンヨジン警部は、その間、ずっと、「305号室の客」のそばに、もう一人の男がいることを、指摘した。その男は、頭から被った紺色のマフラーで顔の下半分と首とを覆い、紺色のジャケットを着ていた。紺色のマフラーとジャケットの男は、しかし、ブチェ旅館には、入って行かなかった。コンビニエンスストアでも、買い物をしたようすはなかった。

紺色のマフラーとジャケットの男は、いつから、「305号室の客」のそばにいたのか。そして、いつまで、「305号室の客」のそばにいたのか、それが問題だった。

一方、中区のクラブのホステスのコ某さんの証言によれば、キムジングは、5年前に離婚したイジョンアの、現在の勤め先を探していて、ヨンサン駅西側の空き地で死体が発見される五日前に、ヨンサン駅東側の二村洞の御弁当屋で彼女が働いていることを聞き出した、という。それと、キムジングの隣人たちによる、彼は、借金を返す当てがあると言って大統領選挙の前日に出かけた、という証言とを合わせれば、キムジングは、十中八九、大統領選挙の前日、3月8日に、二村洞の御弁当屋に行ったのだ、と、捜査員たちの意見は一致した。借金を返すための金策というのは、離婚した元配偶者への恐喝だったのか。そのうえ、元配偶者が通勤に使う自転車まで、盗んで行った。恐喝が失敗したから、仕返しに自転車を盗んだのか。しかし、消火器を盗んだのもキムジングだとしたら、その時点で自殺を擬装することを考えていたことになる。しかし、恐喝が成功したから、ソウル駅のロッテマートで買い物をする金が手に入ったのではないか。いや、ロッテマートで買い物をしたのは、キムジング本人だったとは限らない。

キムジングが、大統領選挙の前日、3月8日に、イジョンアを恐喝に行ったことは、間違いない。だが、それと、大統領選挙当日、3月9日の夜に、ヨンサン駅西側の空き地でガス爆発を起こしたことと、どんな関係があるのか。キムジングは、死んだのか、生きているのか。キムジングが生きているなら、ガス爆発の現場の遺体は、誰のものか。

ハンヨジン警部は、捜査員たちに言った。「ブチェ旅館の305号室の鑑識の資料、チョッパンのキムジングさんの部屋の鑑識の資料、それに、空き地の遺体の、DNA鑑定の結果が出るまでは、何も、断定できません。キムジングさんが探していて、居場所を突き止めた、イジョンアさんにも、会って話を聞かなければならないでしょうが、それは、DNA鑑定の結果が出た後にします。それまで、305号室の客と、キムジングさんと、紺色のマフラーで頭から顔の下半分と首と肩を隠した男の、3月8日と3月9日の行動を明らかにする努力を続けましょう」

翌日、3月13日は日曜日で、龍山署の刑事たちも、ハンヨジン警部も、休日を過ごした。

その翌日、3月14日の月曜日、ハンヨジン警部は、捜査員を二つの班に分けて、次の指示を出した。

一方の班は、3月8日のキムジングの足取りの捜査である。イジョンアの働く、二村洞の御弁当屋と、イジョンアの住む、西氷庫洞の二階建の集合住宅との付近で、紺色のジャンパーを着たキムジングの、目撃者と、監視カメラの映像とを、探す。

もう一方の捜査班は、紺色のマフラーと紺色のジャケットの男の、目撃者と監視カメラの映像の割り出しである。3月9日0時00分~30分の、ヨンサン駅西側のブチェ旅館とナミョン駅西側のチムジルバンの付近。3月9日19時00分~21時00分の、ナミョン駅西側のチムジルバン、ヨンサン駅西側のブチェ旅館、そして、ヨンサン駅西側の空き地の周辺。

3月8日のキムジングの足取りを追う捜査班は、手分けして、イジョンアが働いている御弁当屋から、放射状に遠ざかりつつ、目撃者と監視カメラの映像とを探していった。その結果、あるカフェで、キムジングの住民登録証の写真の男性が、紺色のジャンパーを着て、窓際の席でコーヒーを飲んでいたことを、従業員が覚えていた。コーヒーを飲むときには、当然、マスクをはずすから、顔が、住民登録証の写真と同じだったと分かるのである。

その従業員の話では、後から女性が来て向かいの席に座った、女性はココアを注文した、ココアを持って行った後、しばらくして、男性の、熱(あつ)っ、と言う声がしたので振り向くと、男性の手にココアが掛かっていた、女性は怒ったようすで立ち上がり、代金を払って出ていった、男性は、憎々しげに見送っていた、とのことだった。

こちらの捜査班を率いていたチェユンスチーム長は、先に、御弁当屋に入って、弁当を買うついでに道をきき、わざわざ、店の前まで出てきて貰って、漢江教会への道順を教えて貰った。しっかり覚えるまで、何度も聞き返して、やっと、わかったと言って、丁寧に御礼を言って、別れた。その間に、他の捜査員に、スマホで写真を撮らせていた。

その写真をカフェの従業員に見せて、ココアを注文した女性はこの人かときくと、そうだと答えた。キムジングの手に熱いココアをかけたのは、イジョンアに間違いなかった。


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