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さよなら絶望


「でも人生はいっぺんに絶望しないと、
そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなんなのかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」

キッチン/吉本ばなな


本当にいっぺんに絶望したなあ、と思った。
本当にいっぺんに絶望することができたなあ、と思う。

"ああ、これが人生の分岐点になるんだろうな"と感じたあの日から今日までの約4年間、あまりにも苦しかった。

ひとつひとつがそこそこの大打撃だった。
擦り傷じゃなくて骨折とか、もうなんか複雑骨折とか、わからんけど、そんな感じ。
その連続する大打撃とともにきちんと喜びや幸福を受け取ることも上手になっていく中で、それを馬鹿にするかのように、治らないままずっと骨折させられてた気がする。

全てにおいて絶望した。
いつも一生懸命に真面目に、人に優しく、生きてきたつもりだった。

夢も目標も執着もなかったからガムシャラに生きるしかなくて、いつも一生懸命なのはいつか死ぬということを常に感じていたいのかもしれない。そうやって生きるしかないからこんな人生になったのかもしれない。

それでもそんな暗闇の中でも楽しく生きようともがくことを、頑張ったことを、何度も他者によって後悔させられるのは堪え難かった。
せめて自分で選択したかった。最終判断はいつだって自分だし、その判断への自信も都度高まっていったけど、毎度毎度 修復困難なところまで壊されて絶望の中選ぶしかなかった。

どんなに苦しくても悲観的な方に引っ張られることはないし、いい方向に目を向けることができるし、無理矢理な時もあったけどずっと明るかった。
ずっと明るかったから孤独だった。
分岐点である19歳の時、誰にも頼っちゃダメだと悟ってしまった。
今ならそんなことないよって言ってあげられる気がするけれど、まだ自信はない。

神様がいるのであれば何故こんなに苦しみだけ詰め込むんだと胸ぐらを掴みたいが、これがなければ言葉を、歌を、こんなにも大事に受け取ることも出来なかったなと思う。そう思える出会いがあった。
好きだった物語との距離が近くなるとか、なんとなく手を引かれるように読み返すとか。

こんな大人になりたいなと思わせてくれる人たちには、言葉の節々に過去があって、絶望があって、それを優しさがまるごと包んでるなと思う。
私はまだ苦しくて堪らなくて、同じように苦しむ人にうまく寄り添うことができないのも、こうやって結局吐き出したり聞いてもらいたいのもダサいし情けねー、と思う。
でもダサいほうが人生おもろそうだよね。かっこよくありたいけどね。

ひとりで過去として昇華して優しい人になりたかった。苦しかったんだって言わずとも言葉の選択の中で、誰かを優しさだけで包める人になりたかった。
でも乗り越えたくもないくらい苦しくて頼ることも難しいなら、こうやって宛先のない記録ができるんだから使っていこう。
自ら苦しい道を選ぶ必要はない。大人だからって全部できるはずない。


「あたしは、よかったわ。」
私もそう思う。まだできないけど、いつかあの憧れの人たちみたいになるには相応しい経験ができたんだと思う。

早いとか遅いとか年齢の物差しは嫌いだけど、20代前半は一番楽しいからたくさん遊ぶといいよと言われたことを思い出す。

ずっと他者に向けての祈りだったなと気付く。
喜びも悲しみも悔しさも、私の個人的なことを話すには何か意義や理由が必要な気がして、自分ひとりで耐え忍んできた。

でも今は何もかも取っ払って自分のために祈りたい。
どんなに辛かったかを理解してもらう必要も、伝える必要もないけどそれでも記録して残すことで祈りに変えたいと思った。
負の感情だって私にしか受け取れなかった感情で、未来につれていけるのも私だけだ。

もうこんなに苦しいことが続きませんように。
せめてそれを覆うくらいの嬉しいことを途中で挟んでもらえますように。
いつか誰かに全部抱きしめてもらえますように。一緒に大切にしてもらえますように。

頑張ったね、よく頑張ったよ。
どんなに足引っ掛けられてもずっと走り続けたね。
一旦立ち止まって、もう座り込んじゃおうかな。しばらく横になっちゃおうかな。ゆっくりゆっくり歩き出そうね。



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