精神的な影響力、無意識の支配

最近、さまざまな占術を勉強していると、宗教家、教祖的、影響力、先生という単語が目につきます。

人の上に立つというのは大層立派なことだとは思いますが、私にとってそれは素晴らしい挑戦であり、とても恐ろしいことです。

人の上に立つ手段として、洗脳や支配があります。

人を洗脳して支配をすると、依存が生まれます。

「洗脳」は3つのステップで完了します。

①相手のことを本人よりも知り理解します。家族よりも自分を打ち明けられる良き理解者になります。

②深層心理にある悩みを本人より早く見つけその解決方法を提示してあげます。

③あとは、無償の気遣いや優しさを長期間に渡りコツコツと与え、頼ってくるたびに心に寄り添う優しい言葉とその時に必要な解決方法と言葉を伝える。

上記のことを繰り返すだけです。

これを同情や慈愛の心で無自覚に行なっていると、相手にとって支配者が精神安定剤になり依存されます。だって相談すれば簡単に答えが返ってくるんですもん。見返りを求めない愛なんて貴重ですし。自分を価値のある人間として扱ってもらえることは脳が蕩けそうなほど嬉しいことじゃありませんか。

ここで、現実的な人は何か裏がある、自分は騙されないと言いますが、そういう人ほど、本当に清廉潔白な優しいサイコパスにコロッといっちゃうんです。

相手にもたれかかり過ぎている信頼と信用はいずれ破滅を生みます。

何故なら、自分で考える力が衰え、自立ができず脆くなるからです。自分の人生は支配者のものではなく自分のものです。自分で悩んで解決してこそです。支配者の言葉ばかり聞いていては誰の人生なのかわかりません。

支配者がよく行う自分の心の清廉潔白さを守るために行う善行はただのエゴです。優しさではありません。支配者のエゴです。自分を正当化するために優しさを使うなんてしょうもないです。

本当の他者への優しさは苦しみとリスク、責任を伴います。どん底に落ちた場合の相手をも背負う覚悟があるからです。相手にとって成長のために必要な苦しみなら、それすら人生の肥やしにさせるために差し伸べたい手を歯を食いしばって我慢することもあります。時には、散々尽くした後、利用されて捨てられることもあります。

でもそれでもいいんです。裏切られても自分は何も変わらない。相手が裏切ることと自分が相手を信じることは別の話。自分がしたことに対して相手が取るアクションは相手の自由なんです。ただ相手がズルくなるだけ。自分は無傷なんにも変わりません。見返りを求めて期待していたなら話は別ですが。

目的が相手を破滅させることであれば優しくするだけの同情的な支配はとても効果的です。

ただ、目的が相手の幸せであれば相手の自分の宿命を生きていく力や強さを信じて突き放して見守るのも本当の優しさではないでしょうか?

だから、影響力、支配力のある人ほど知性と苦しみに耐える覚悟が必要だと感じます。

そもそも人助けなんかやってる余裕があるから、助けてやろうなんて傲慢さが生まれるのです。

人のこと考える暇があるなら、その前に自分の課題で忙しくせんかい。

人は優しさでなく、死に物狂いで必死に、がむしゃらに生きている人の姿に影響されて頑張れるんだ。希望を持てるんだ。

かっこいい姿や、仏みたいな姿やなくて、苦しんで泣きながら這いつくばりながら少しずつ前に進んでる姿に心が動かされるんだ。

自分を励ますためにも、喝を入れようと思った日でした。

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