星井美希の実在性に脳がバグった

これを書いたのも先日の星井美希配信が余りにも未知のものだったので、未だに言語化出来ない畏怖のようなモノを抱いているからだ。

星井美希配信は、大枠だけ見ればVtuberがやっているような配信と変わらないかもしれない。実際そういう意見もチラホラ散見された。

キャラクターが配信をする。確かにそれはそうかもしれない。だがVtuberは現実の人間の存在が前提にあるのに対し、星井美希はあくまで虚構の中にのみ存在するキャラクターに過ぎない。(勿論星井美希にも演者はいるが、それは演者であって星井美希ではない。星井美希の人格が、その演者の長谷川明子さんの人格の影響を受けたものとは言い難い。)

だから私達はVtuber(もしくはVtuberの中の人)が現実に存在することを感覚的に理解しているし、星井美希が現実に存在しないことも感覚的に理解出来る。

この実在性という点において、星井美希には出来て、Vtuberには出来ることがある。

それはRP(ロールプレイ、つまり語尾や年齢、職業などそのキャラを演じること。)の放棄によるRPである。

例えば語尾に「ザウルス」をつけるという設定のVtuberが居るとしよう。恐らくあなたの周りに語尾に「ザウルス」をつける人はあまりいないだろう。つまり、そのVtuberが『語尾に「ザウルス」をつける』ことしかしないのならば、そのVtuberの実在性はかなり低くなる。

だが現実はそうでは無い。どんなに気をつけていても「ザウルス」をつけ忘れることはある。そうしたとき、そのVtuberは『語尾に「ザウルス」とつける設定のキャラクターを演じているキャラクター』という風に、キャラクターをキャラクターとして被ることが出来る。

確かに「○○ザウルス〜」なんて言う奴はいないが、設定上「 ○○ザウルス〜」と言っている奴ならいるかもしれない。実際そのVtuberの演者はそうなのだから。

Vtuberは虚構でありながら完全な虚構ではない。 このことがVtuberの実在性を高めている。

と、私はついこの間まで思っていた。

そんな中先日の星井美希配信である。見た方なら分かると思うが、「星井美希」は確かにそこにいたのだ。

しかし、星井美希は完全な虚構であった。星井美希というキャラクターのまま、現実に存在するような感覚を視聴者に与えたのだ。

これは私にとってとんでもない衝撃だった。虚構は虚構のままでは実在性を与えられないと考えていた私の脳はバグった。配信後数時間は何も手につかなかった。

これを書いている今もまだバグっている。全くもってこの感覚を、自分の考えを言語化出来ていない。

何故一切の虚構性を損なわずにあれだけのハッキリとした実在性を出せたのか。全くもって分からない。

わざわざこんなチラシの裏にでも書いておけばいい事をnoteにあげようと思ったのは、他の人の意見を聞いてみたかったからだ。(悲しいことに、私の周りに星井美希配信を見た人はいなかった。)

もしこれを読んでくれた方がいたら、是非あなたの意見を教えて欲しい。