Adoさんの握手会はアリ

Adoさんの握手会が話題になっている。

ようは、Adoさん自身は姿を見せず、ボックスに入って手だけ出してファンとの握手会をするというのだ。このニュースを知った人は、誰もが同じ感想を抱く。

「顔が見えなきゃ本人かわからないじゃん」

確かにそうである。
仮に「ありがとう」みたいな返事が聞こえたとしても、それが本人がその場にいて返事をしているとは限らない。
「ボックスの中にいるAdoと握手をしていただきます」と書いてあるが、本人がいるという保証はないのだ。それはその通り。ぐうの音もでない正論だ。仮に、明らかに男性の手だったりしたら違うのはわかるだろうが、女性の手らしき感触があればどうにもならない。

しかし、これには2つの反論がある。

1.どのみち顔を晒しても本人かどうかわからない


仮に、握手会の最中にボックスが何らかの事故で急に破壊され、中から女性が出てきたとする。しかし、これが本物のAdoなのかどうか、ファンには誰にもわからない。声を聞けばわかるのかもしれないが、確証は得られない。どうせ本当に本人が来ても確証が得られないのなら、ボックスの中に入っていても変わらないのでは?と思う。

2.世の中って正直そんなもの


芸能人が書いたとされる本
アイドルの直筆だと思われるサイン
有名人が作ったとされる曲、歌詞
こういったものは世の中に溢れ、みんな当然のように楽しんでいる。しかし、考えてみてほしい。どれもこれも本当に本人がやったという確証はない。実際に有名人が書いた本だとしても、本人はチョロっと書いただけで大部分はゴーストライターが書いた可能性もある。そこは誰にもわからない。
わからないのに、みんな当然のように受け入れて楽しんでいる。ならば、握手会にいる人間が本人かどうかわからなくても、本人だと思って楽しめば良いのではないか?
※「有名人の名前を借りて偽物が色々やっている」と言いたいわけではなく、「本人がやったと信じたくても、確証はどうやっても得られない」という話をしたいだけので、そこは理解してほしい。

なので、こういう形での握手会もアリなのだ。
誰か芸能人のファンクラブに入って応募したら、サイン入りのグッズが送られてきたのと大して変わらない。
本人がいると信じるものだけが参加すれば良いのであって、それに「本人かどうかわからない」などと伝えるのは野暮というものだ。

まあ、僕はサインも買わないし握手会も行かないですが。

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