「親業訓練上級講座」3日目を終えて

 今日は3日目を終えて、すごく満たされた気持ちになっています。人の大事なところに触れて、人といろんな話をして、こういう気持ちになるようなことをして、人生過ごしていきたいのかもと思ったりしました。
 ここまで素敵な、満たされた気持ちになったことも、紐解いていけたらと思います。


1.「わたしメッセージ」のワーク

 私は、わたしメッセージを伝えること、特にマイナスな感情を相手に伝えることに、すごく抵抗があります。そして、マイナスな感情をぶつけられることがすごく嫌だと感じます。これまで1回でも強い感情をぶつけてきたような人は、それがきっかけで距離を置いてきました。
 正直、マイナスな感情を抱くような相手と、そもそも関係を続けていく必要性がないのではないか、とすら思います。私がこれまで関係を長く続けてこれた人達は、マイナスな感情を自分にぶつけてこない人が多かったです。我慢していたという訳ではなく、そもそも人に対してそういった負の感情を持ちづらい人と長く関係を続けてきた、というのが正しいと思います。
 私の長年の親友は、10年来の付き合いですが、悪口を言っているのも聞いたことがないようなとても穏やかな子で、ケンカも1度もしたことがありません。3年ほど付き合っていた元恋人も、感情の起伏があまりない、安定した人でした。私が一方的にこうしてほしいと怒ることはあっても、相手から私に対して怒ってきたりすることは1度もありませんでした(当時は求められていないような気がして寂しい気持ちになったりしていましたが、今考えるとそういったところが好きだったんだと思います)。
 そもそも「長い間一緒にいても不快な感情を持たない人が、気の合う人である」という価値観を持っています。そういった人と長く関係を続けたいと思っています。一緒にいてもぶつかることの多い人は、私とは相性が合わないから、私以外の人と一緒にいてくれたらいいのに、と思います。
 私のこういうところが嫌だ、こういうところを変えてほしいと、継続的に私の嫌なところを指摘し、怒ってくる人と一緒にいるのはしんどいと思います。でもそういった人は、「私のことが好きだからこそ、関係を続けたいと思っているからこそ、あなたの嫌なところを伝えているんだ」と伝えてきます。

 ちなみに、私が指している「ぶつかる」というのは、そこまで軽いものではないと思っています。そこまで簡単に人と距離を置くわけではありません。今までこういった感情になった人は、人生において2人です。私の指している「ぶつかる」は、私の大事なものを否定される感覚です。「まほは私の話を全然受け入れてくれない、わかってくれない、だからもうまほに話すのは諦めた」と1人の子には言われました。心理の勉強をしている私にとっては、私ががんばっていることを否定された気持ちになり、すごく落ち込みました。
 (そうやってマイナス感情をぶつけられることがしんどいから一緒にいたくないと思う私は、冷たいのでしょうか。一般的な人ならいいのかもしれませんが、心理職を目指している人間が、マイナス感情をぶつけられたくらいで距離を置こうと思うのは、心理職に向いていないのかもしれません。わたしは関係を続けたいからあなたの嫌なところをぶつけているんだと言われると、「そうやって正面から人と向き合うことをあなたは避けているだけでしょ」と責められている気持ちになります。)

 わたしメッセージを言えるようになりたいと年始の目標で簡単に言っていましたが、私はマイナスな感情を人から言われることに、すごく抵抗があるようだということに、上級講座を通して改めて気づきました。
 マイナスな感情を人からぶつけられことに抵抗があるということは、その分マイナスな感情を人に伝えることにも抵抗があるということです。人からぶつけられるマイナス感情に自分が耐えられる土壌がつかないことには、わたしメッセージを伝えられるようにはならないのかもしれません。
 まずは、わたしメッセージとして伝えられなくても、自分が問題あり領域だと気づくことから始めようと思います。まず自分が問題ありにいると気づくだけでも、自分自身の気持ちを楽にすることにつながると思います。ひたすらに相手からの主張を受け止めるだけではなく、自分はそれに嫌だと思っているんだ、と一線引くことができると思うからです。

 そして、自分がマイナス感情をぶつけられることに、どうしてここまで抵抗感があるのかはもう少し向き合っていかないといけないテーマだと思います。
 私との長期的な関係を続けたいと思っているからこそ、私の嫌なところをちゃんと指摘してくれる相手よりも、私との長期的な関係を考えていないからこそ、適当に今を甘やかしてくれる相手に寄ってしまうことがあったりします。心理職をこれから行うにおいても、個人的な関係においても、向き合わないといけないような気がしています。


2.「わたしは誰ですか?」のワーク

 「わたしは誰ですか?」「わたしは何ですか?」という質問に対して、答えを書く用に20枚のカードが配られました。20枚のカードに自分の思った答えを記入し、自分が大切に思う順にカードを並べ、1番大事だと思うことに◎をつけました。
 「わたしは誰ですか?」の答えを考える時に、「私はこういう者です」と人に自己紹介をする時を想像しました。私がどういった人なのかを人に表明するシーンは、自己紹介だと思ったからです。
 これが影響したと思う1番の要因は、最近、他の研究室の先生のところに潜っていることだと思います。その先生に連れて行ってもらって、自分が自己紹介をする時、私は「その教授の教え子」という立場になります。それは、私が初めてもらった肩書きであり、ちょっとした違和感と嬉しさと、アウェーな感じと、不思議な感覚になったんだと思います。そこでの経験から、自己紹介をする時、相手によって色々な自分を見せることを、改めて実感しました。相手によって、自分は「大学院生」であり、「早稲田生」であり、「心理を学んでいる人」であり、「スイーツ好き」であり、「児童会の代表」であり、「同期」であり、「高校の部活の友達」であり、色々な自分がいます。その1つ1つが私を形作っていて、全ては私の1部であり、その1つ1つがないと私はできていませんが、1つ1つはあくまでの私の1部分でしかありません。
 結局、私ってなんだろう。自分らしさってなんだろう、という問いが残るワークになりました。
 それを人に見てもらった時、自分はこれを見る「他者」をすごく意識したカードだということを思いました。「お酒好き」というカードを作っていましたが、「お酒好き」というワードは、他者に伝えることを前提としている言葉遣いな感じがすると言われました。私は、自分自身を形作るうえで、他者の存在にかなり依存しているのでは、という感覚を持ちました。

 他のメンバーは、とても素敵なカードを作成していました。詩を書くのが好きな人と、デザインをしている人が参加していました。詩を書くのが好きな人はとても素敵な文章を、デザインをやっている方は20枚のカード全てが合わさって自分と言う人間を表すような、1つの作品のようなものを作っていました。
 今回の親業は、知り合いのメンバーで受講していたので、こういった私には思いつかないような発想の人たちと仲良くなれていることに幸せを感じる反面、自分ってすごく薄っぺらい人間なんだなと落ち込んだりもしました。私の他者に依存しているカードの反面、自分1人の力で「自分」というものをそこまで深めていける人たちがすごいなと思いました。
 しかし、自分がそうやって他者に依存し、他者と仲良くなりたいという気持ちを強くもち、他者との関係を大事にしているからこそ、自分とその人たちが仲良くしてくれているんだとも思いました。自分1人で深めていく力がないからこそ、人とのつながりを大事にしながら、色んな人の力を借りて深みのある人間に成長していけたら、それが私のやり方なのかもしれない、と感じたワークでもありました。

 その後、みんなでごはんを食べに行ったときに、詩を書いている人が詩を書くようになったエピソードを話してくれたり、帰り道の電車で、デザインをしている人からそのカードに書いていた内容を聞かせてもらったりと、すごく嬉しい、充実した時間を過ごすことができました。その時間が、私にとってはとても素敵な時間となりました。

 自分自身をもっと知っていく時間を、同じような志を持っている人たちと一緒に語り合いながら深めていけることが、私にとっての幸せなのかもしれないと思いました。自分が大切だと思っていることを他の人も大事だと思っていて、それを共有できることが、本当にうれしいんだと思います。


 自分という人間を見つめ直すエッセンスを、毎週たくさんもらって、カップからあふれてしまいそうで、とりこぼさないように、1つ1つ必死に自分自身に吸収しようとしている感覚です。
 毎週たくさん心を使っている感覚があって、とっても疲れるけど、とっても楽しいです。残り1回、さみしいなぁ。。。


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