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「親業訓練上級講座」2日目を終えて

・「自己理解」「自己表現」のワーク

 自分がどれだけ自分のことを理解しているか(自己理解)、どれだけ自分のことを表現しているか(自己表現)の度合いを、「田」で表すワークを行いました。
 そこで言われて印象に残ったのが、「自己理解と自己表現が同じ幅くらいな気がする、正方形なイメージ」という言葉です。正方形っぽいとはどういうことだろう・・・?と、そのまま言葉に出すと、「うーん。自己理解している範囲しか、自己表現できないっていうのが1番合っているんじゃないかな」と返ってきました。

 私は自分でも自分のことを、裏表ない性格だと思います(こうやって言い切れる人ってあんまりいないんじゃないかなと思ったり)。基本的に、「相手に自分のことを全部知ってほしい。わかってほしい」という欲求があると思っています。自己理解している、言語化できる範囲にいる自分のことは、相手にも知ってほしいと思っています。それがつまり、自己理解している自分と、自己表現している自分がイコールであるということなのかなと思いました。隠し事をせず、あるがままの自分を相手に出すことこそ、良いことだと思っていました。良いことというか、それが自己一致できているということだと思っていました。
 一方で、最近の自分には、困っていることがありました。それは、自己理解している自分の中に、「自分の中でもまだ受容できていない自分」「人に知られたくない自分」があることに気付きました。これまでは自分の全てを相手に知ってほしいと思っていたけど、相手に知られたら困る自分が登場したのです。

 それをまたそのまま言葉に出すと、「全部自分のことをわかってほしいという方がおかしかったのかもしれないよ。自他分離ができてきた、成長したってことなんじゃない」と返ってきました。

 親業の1日目にも、「自他分離」という言葉が出てきました。「沈黙」のパートで、沈黙が怖いのは、自分と他者が別の人間であることが明らかになるから、とありました。親業は親子の関係を扱っているため、「自他分離」が講座の中の1つのテーマとしてあるのかもしれません。

 前までの私は、自己理解ができていないまま、それが自分の問題ではなく、相手の問題だと相手に憤りをぶつけていました。特に恋人1人にぶつけていたので、申し訳ないことをしてしまったなと振り返って思います。1人の相手だけに自分の全てを知ってほしいと思っていたので、その相手に依存的にもなっていました。反対に、恋人以外の人にはあまり自己表現できていないという感覚もあり、周りに言えない分、恋人にはわかってほしいという期待が、1人にのしかかっていたんだと思います。恋人に全てをわかってもらうことはもちろん難しいので、いつもどこか寂しさ、諦め、不全感を感じていました。
 次に、1人に依存的になっている自分に問題意識を感じ、色々な人に自分の全てをさらけだせるように頑張りました。恋人以外、友達にも、これまでは話したことのなかったような自分を表現し、関係性を深めるように努力しました。なんとか1人にすがらないように、もがいていた、という表現の方が近いかもしれません。恋人1人に全てわかってほしいという状態から、色んな人に全て自分のことをわかってもらう、それによって恋人への依存を和らげるという状態に変化させようとしていました。この努力は、友達との関係性を深めたり、交友関係を広げたりしたので、自分が良い方向に向かっている感覚はありました。しかしそれでも、どこか寂しさがあり、必死にもがいている息苦しさ、釈然としない違和感のようなものを感じていました。

 ここまでを振り返り、私は少し間違った方向に努力をしていたのかもしれない、と思いました。
 1人の人だけでなく、色んな人に自分のことを出せるようになる、というのはもちろん良いことだと思います。「自立とは依存先を増やすこと」という有名な言葉もあります。

 しかし、今の私に必要だったのは、色んな人に知ってもらうことではなく、「自他分離」することなのではないか、と思いました。恋人に対して、「どうしてわかってくれないの」と怒ったり、「やっぱり私のことをわかってくれないんだ」と寂しさを感じたりすることは、自他分離できていない証拠だと思います。他人のことはわからない、「自他分離」の前提に立たず、相手に伝える努力を怠っていたと思います。
 「他人に自分の全てを知ってほしい」というその欲求自体と向き合う必要があったんだと思います。人は結局のところ1人である、というどうしようもない事実をちゃんと受け入れること、そのことが必要だったのではないか・・・(文字に打ち出すだけでも、すごくさみしい感じがします)
 恋人と別れたらすぐに他の人を求めてしまうのは、人は結局1人であること、それによるさみしさを受け入れられていないから、だと思います・・・

自分が知っているけど、相手が知らない自分がいてもいい。
人に知られたくない自分がいることは、決して悪いことでも、うしろめたいことでもない。
自分の全てを相手にさらけ出せなくても、それは誠実ではないことを意味するわけではない。むしろ、当たり前のことであり、言わない方がいいこともある。
相手が自分のことを全てわかってくれなくても、それは当たり前である。
人は結局のところ1人である。

 最近のテーマとして、愛着障害の不安型に自分があてはまるのではないかと考え、色々と本を読んだりしていました。だからこそ、今回「自他分離」というワードに引き付けられたのかもしれません。今後は「自他分離」についてより学び、考えていきたいです。


 親業めっちゃつかれる・・・笑

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