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アカデミー映画博物館① Stories Of Cinema❷

2021年9月30日にオープンしたロサンゼルス、アカデミー映画博物館を探究するシリーズです。私は博物館のメンバーにもなり、通っております。
日本から制限なく渡米できる日が早く来ることを願いつつ、備忘録的に展示を細かく細かく記していきます。
詳しい記事はこちら にも

まず来館者の多くが最初に向かうであろう、有料エリアの2階のStories Of Cinema 2 から紹介します。横長の巨大なモニターが入ってすぐに。「用心棒」「スター・ウォーズ」「大地のうた」「イージー・ライダー」など古今東西の映画の場面が映し出されます。
映画のタイトルは紹介されていないので、「これはあの映画か?」とクイズ感覚で楽しめますが、先が長いのであまり時間を取らないことをお勧めします(笑)

「商業映画が最初に上映された1895年から、映画は私たちが世界を見る窓であり、考え方や未知なるものへの眼差しを広げてくれた」と説明書き。Stories Of Cinema は3フロア(1〜3階)にわたり展示がありまして、映画の多様性、国際性、そして映画人たちの複雑な物語と生み出したもの、そして映画が世界に与えた影響を紹介しています。
なお、展示は時々で変わるようです。紹介するのはオープン時の様子です。

最初は「Significant Movies & Movie Makers」のギャラリーです。

映画の芸術的な発展において多大な貢献をした、6作の映画および映画人を紹介しています。
展示を担当したキュレーターは「ハリウッドの有名監督・有名映画の紹介コーナーにならないよう、国や時代、ジェンダー、人種の多様性に気を配った」と語っています。

最初のコーナーは、オーソン・ウェルズ(1915-1985)の監督デビュー作「市民ケーン」(1941)。「薔薇のつぼみ(ローズ・バッド)」のあの映画です。超クローズアップされたケーンの口元のショットが印象的ですよね。ラストシーンの映像や、あの赤いソリも展示されています。

「市民ケーン」は映画史上でオールタイムベストによく挙げられる作品の一つです。ローアングルやコントラストの高い映像、被写界深度が深い(つまり隅から隅までピントが合っているように見える)映像など、当時は斬新な映像表現が満載でした。

これらの映像表現を可能にしたのが視覚効果のパイオニアと言われたリンウッド・ダン (1904-1998) 。彼の業績が紹介されています。「市民ケーン」での映像の半分以上が、彼の視覚効果によるものだったそうです。手がけた映画は他にも「キングコング」(1933)や「遊星よりの物体X」(1951)など。

特に順路は決まっていないのですが、2つ目のコーナーには、ブルース・リー(1940-1973)が。


実際に使用したヌンチャクや衣装、ポスターが展示されています
“自分は自ら進んで武術家になり、職業として俳優をしている。しかし、とりわけ自分は人生の芸術家になろうとしている“という言葉も展示されています

3つ目のコーナーでは、現在UCLAで教えるパトリシア・カルドーゾ監督(1962ー)の「Real  Women Have  Curves」(2002)が。カルドーゾ監督の長編一作目でして、日本では未公開の映画です。

映画の舞台はロサンゼルス、主人公のアナ(18)は、メキシコ系の家族で育ったビバリーヒルズの高校生です。「家業を助けるべき、女性は早くに結婚すべき」という家族の期待と、大学進学という夢の間で揺れるアナを描いています。

カルドーゾ監督はコロンビア出身。25歳の時にフルブライト奨学金を受けて渡米してUCLAで学びました。長編監督デビューとなるこの映画で、ラテン系女性監督として初めて、サンダンス映画祭で観客賞をうけ、興行的にも成功しました。

キュレーターにこの映画を展示した理由を聞いたところ、上記の理由に加えて「移民家庭に生まれ育った女性の葛藤が良く描かれている。全編をロサンゼルスでロケ撮影されたことも大きい。ロサンゼルスにある博物館として、ここで撮影された映画について展示したかった」と言っていました。
アナの一家が営む縫製工場や家などのロケ地などが詳細に紹介されています。

4つ目は、メキシコ出身の撮影監督エマニュエル・ルベズキ(1964-)。アルフォンソ・キュアロン監督の同級生であり、彼との長年のタッグで知られています。
「ゼロ・グラビティ」、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」「レヴェナント」で3年連続アカデミー撮影賞を受賞する偉業も達成。
展示ではこれらの映画の撮影時の様子がありました。

展示では、ルベズキの写真家としてのスチル写真も紹介。カナダで先住民たちの協力を得て撮影された「レヴェナント」の製作中に撮った写真などが展示されていました。

5つ目は、サイレント映画時代に主に活躍した黒人監督のオスカー・ミショー(1884-1951) のコーナーでした。

IMDbによると「有色人種であっても、何にでもなれることを映画で示すのが自分の使命だ」と言っていたそうです。インディペンデント映画のパイオニアであり、常に限られた予算の中で戦っていました。
最初の映画は「The Homesteader(自給自足者)」(1919)。
黒人への差別と暴力を正当化したグリフィスの問題作「国民の創生」(1915)に対しては、1920年「Within Our Gates」で白人の蛮行を描き、真っ向から反論しています。

6つ目のコーナーには、フィルムを編集する機材がドーンと置かれています。編集技師の業績に光を当てたものです。マーティン・スコセッシ監督との仕事で知られ、アカデミー賞を3度受賞した編集技師のセルマ・スクーンメイカー(1940-)が紹介されています。見るからにパワフルな女性です。

「スクーンメイカーとスコセッシ、影響を受けた作品」の一覧には「用心棒」が挙げられていました。スクーンメイカーがニューヨーク大学でスコセッシと最初に出会った時の話などを語っている映像もあります。ぜひ会場にお越しの際にご覧ください。

最初のコーナーだけを見ただけでも、映画芸術科学アカデミーが、差別と排除の負の歴史と向き合い、ジェンダーや人種などの多様性を実現に向けた未来への意気込みが感じられます。

白人だらけのアカデミー賞授賞式を皮肉った#OscarsSoWhite がトレンドになり、その後 ハリウッドでの長年に渡る性暴力を告発して世界に運動が広がった#MeToo  そしてジョージ・フロイドさんの死亡事件から起きた #BlackLivesMatter   そして、コロナ禍で頻発したアジア系への差別撲滅を訴える #StopAsianHate  この5、6年、米国社会では人種やジェンダーをめぐり色々なことがありました。

この博物館は、アカデミーの長年の悲願でした。でももし、10年前、5年前にオープンしていたら…。きっと全く違う展示内容になっていたんだろうなと思わせられます。

次回は、隣にあるスパイク・リー監督の小部屋、そしてアカデミー賞の歴史のコーナーの紹介をします。

注)文章を書くにあたり、公式資料以外にWikipedia、IMDbを参照しました。
注2)文章や写真の転載や二次使用は禁止です。一部展示を除き、館内ではフラッシュを使わない撮影ができます。