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アカデミー映画博物館⑤ ヘアメイク・衣裳

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衣裳デザイン、そしてヘア・メイクアップアートを特集した部屋です。
右端にあるのが、エルトン・ジョンの伝記的映画「ロケットマン」でタロン・エガートンが着用したデザイン。ヘアメイク・衣裳を特集したこのコーナーはとても華やかです。

入口パネルには「アイデンティティー;偉大な映画には素晴らしいキャラクターたちがいた。そのキャラクターに命を吹き込んだのが、衣裳デザイナー、ヘアスタイリスト、メイクアップアーティストだ」とあります。

下の写真左端は「ミッドサマー」で主人公がクライマックスに着た「花の女王」と呼びたくなるような衣装。1万本の造花が使われ、その重さは30ポンド(13.6キログラム)あったそうです。デザイナーのAndrea Flesch いわく「スウェーデンで撮影を進めるに中で、この衣装の装飾が細かく進化していった」そうです。

この衣裳は部屋を入ってすぐのところに鎮座しており、カメラを向ける人が多数いました。あの映画のカタルシスが鮮やかに脳裏に浮かびます(笑)

さてこれ↓は何の映画の衣裳でしょうか?


イメージスケッチ Costume design for Samurai 黒澤明監督「影武者」

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デザイナーはこういうスケッチを何枚も書いて構想を練っていたのでしょう。

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「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」

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特殊メイクアップアーティストのカズ・ヒロさん(京都市出身、米国籍)が紹介されています。ゲイリー・オールドマン主演の「ウィンストン・チャーチル」と、シャーリーズ・セロン主演の「スキャンダル」で2度、アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。特殊メイクの第一人者です。

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スキャンダル」はFOXニュースであったセクハラ事件をもとにした映画。シャーリーズ・セロンやニコール・キッドマンらが演じたのは、FOXニュースに実在した人気キャスターです。
米国の多くの人に知られている人気キャスターに扮するために、カズ・ヒロさんが手がけた特殊メイクとは・・・。

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カズ・ヒロさんが手がけた特殊メークの手順が動画でも紹介されています。

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ハリウッドの「負の歴史」は、メイクや衣裳を見てもありました。
長らく白人の俳優が色々な人種の役に扮してきた歴史があります。
たとえば「日本人=極端な出っ歯、黒縁メガネ」だったり。極端に滑稽さを強調したメイクの映画がいくつもあります。有色人種のステレオタイプを助長し、「笑ってもいい」対象として描かれてきたのです。
 その例として、オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」でミッキー・ルーニーが演じたYunioshi、「革命児サパタ」でマーロン・ブランドが演じたメキシコの革命家ザパタが例として挙げられています。

レナ・ホーン(1917〜2010)
ブルックリン生まれ、母親がアフリカ系であったホーン。
白人俳優以外にはチャンスがとても限られていたハリウッドで、「黒人にしては肌が白すぎる」という理由でメイクで肌の色を濃くさせらたそうです。
あえて肌の色を濃くするメイクに「軽めのエジプト人」という名がついたとか。ホーンはまた白人男性とアフリカ系女性の恋愛を描いた映画「ショウ・ボート」では、主役に内定したにもかかわらず、白人女性の俳優に交替させられました。

この文章を書きながら、ネットフリックスで配信中の「パッシング 白い黒人」(レベッカ・ホール監督)という映画を思い出しました。白人に「なりすまして」生きている黒人女性を描いた映画です。ちょうど舞台設定もホーンが生きた時代と重なります。とくに主人公の友人役を演じたルース・ネッガの演技が印象的でした。お時間あれば、ぜひ。

 白人俳優が東アジア系を演じる際に、アジア系の特徴を誇張したり歪めたりしたメイクをすることが「イエローフェイス」と言われてきました。
外見だけでなく、振る舞い(絶え間なく写真をとる、引き攣った笑い方)、与えられる役(料理人、洗濯屋、敵役)が偏っていることも指摘されています。
この辺については、アジア系の映画史専門家や批評家の声などをまとめた回をご参照ください。

あからさまな蔑視の描写は、流石に今日のドラマや映画ではみられなくなりました。アジア系のスーパーヒーローが出る映画が大ヒットする時代にもなりました。ですが、社会に目を向けると、米国ではコロナ禍でアジア系へのヘイトクライムが激増。アジア系への蔑視や暴力はなくなりません。

 アジア系の外見や言動を「軽いジョーク」として「笑っていい対象」として消費する映画やドラマは今の時代にもあります。
それに対して「我々はもう大人しいマジョリティーではない、こういった差別的な描写は許されない」と声を上げる人々がいます。

私は映画の可能性があると信じています。差別をベースにした「笑い」を使わなくても、もっと面白く素晴らしい作品にできるはずです。
微力ながら私も声を上げ続けたいと思います。