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27歳、母になる。〜出産レポ後半〜

促進剤開始から本陣痛まで

促進剤の取り扱いには決まりがあるらしく、投与量に上限があるとのこと。促進剤の量は30分おきに量を増やし、本陣痛を誘発させると説明されました。

誘発剤投与から1時間、重ための生理痛ぐらいで耐えられる痛みのまま、本陣痛はやってきませんでした。

そして上限まで薬の量を増やしてすぐ、今までの痛みとは比べ物にならないほど痛くなり始めました。具体的には、誰かに腰を押して(さすって)もらわないと痛みで心が折れて、自分1人ではどうにもならないと思ってしまうレベル。

すぐにナースコールを押して助産師さんに報告。

痛がり具合とモニターの波形から本陣痛が始まった模様。一度内診して子宮口の開きを確認することに。

子宮口は6センチ開いており、痛みでいきみ逃しができなくなりました。

私が産んだ病院では、立ち会い出産ができなかったため、事前のバースプランに「陣痛が始まったら1人にしないでほしい」と書いておきました。そのせいなのか、ここから常に助産師さんがそばにいてくれて、かなり心強かったです。

私は、陣痛が来ると「あーーーーー」と声を出して息を吐き続けました。

できるだけ酸素を赤ちゃんに送り続けるため、息を吸う時は鼻から、吐く時は口からという呼吸法だけはどれだけ辛くてもやり続けました。


子宮口8センチの悲劇

本陣痛がきてから1時間ほど経った時の内診で、子宮口が8センチまで開いていました。陣痛の感覚を表現する時に

「う◯こが出る感覚」

と言われることがありますが、私もその感覚がありました。漏らすのではないかと心配もあったのですが、う◯こではなく赤ちゃんであることがほとんどだというので、さほど気にしていませんでした。

しかし、内診された時私は明らかにう◯こを漏らしてしまいました。

「今、絶対漏らしましたよね!?私っっっ!!!」

先生と助産師さんに確認しました。

「大丈夫!みんなこうなる」

あぁ、私いま大事なものを一つ失ったかも…。一瞬だけ恥ずかしさを感じましたが、次の陣痛でその恥ずかしさはすでに消えていました。

う◯こを漏らしたのも束の間。陣痛室から分娩室に移動することになりました。

この状況で、分娩台に登れるのか!?!?とパニックになりましたがなんとか移動することができ、もうすぐこの痛みが終わる!!!と心躍っていたこの時は、今考えるとまだ余裕だったなと思います。

子宮口9センチの地獄

分娩台に乗ってから出産までは1時間半ほどしか経っていなかったのに、この時間が果てしなく、地獄でした。

痛みのレベルが格段に上がり、私は陣痛のたびに大声で叫んでいました。

腰にとんでもない重力がかかり、砕けるような鈍痛。陣痛の間隔はどんどん短くなり、1分おきに心をバキバキに折る陣痛がやってきます。

耐えたくないのに耐えなければならないこの恐怖。もう何も考えられないし、終わりのない痛みに必死に耐えることしかできませんでした。

しかし、私が少しでも呼吸法を間違えると、赤ちゃんに酸素が届かなくなり、私の目の前に置かれた赤ちゃんの心拍を知らせるモニターの音がゆっくりになります。赤ちゃんが苦しいサインを出しているのです。

赤ちゃんが苦しんでる。

遠のく意識のなかで、ゆっくりになる心拍音を聞くと私は正気を取り戻し、また赤ちゃんに酸素を送ることだけを考え始めるのです。


子宮口全開!

痛みに耐えること1時間。ベテラン先生がやってきて、内診とエコーをされました。赤ちゃんはもうそこまできています。

「ちょっといきませてみて。破水するかも。」

先生の言うとおり、一回いきむと、ジャバッと水が出てくる感覚がありました。破水しました。

「今からいきみかたを説明するからね!!」

助産師さんが私に言いました。

心の中で、え?今?と思いましたが、こちらは早く産みたいので必死に助産師さんの説明を聞きました。酸素マスクがつけられ、いよいよ産まれる時が近づいています。

足は突っ張り、腕はレバーを持って引く。目は瞑るな。大きく息を吸って、吐ききっていきめ。

痛みと一緒にこれをするのがなぜかめちゃめちゃ難しい。うまくいきめずに、陣痛が収まる度にやり方を聞く始末…💦

「もう次で出そう!」

うまくいきめないまま、とうとう会陰切開と吸引が始まりました。もうわけがわからず、とりあえずいきむ私。

どるんっ

生ぬるい感覚があり、次の瞬間には我が子が外に出ていました。やっと終わった…。そう思って一瞬天井を見上げた直後、産声が聞こえてきました。

あぁ、生きてる。

安堵と陣痛からの開放感と感動と疲れが一気に押し寄せ、横になっているのも精一杯でした。

本陣痛が始まってから3時間半のスピード出産。

赤ちゃんは首に臍の緒を2周も巻いており、なかなか下に降りて来れなかったようですが、私の呼吸が上手くできており酸素をしっかり送れていたので、心拍も下がりすぎず産まれてこれたと助産師さんに褒められました。


出産は胎盤が出るまで

赤ちゃんとの感動の対面の前に、胎盤を取り出す処置をしなければなりません。

「ku.さん、胎盤が出るまでが出産ですよ!」

そう言われて、胎盤が出てきました。その後はお腹をギューっと押され、その勢いで大量の水らしきものが膣から出る感覚がありました。

羊水?血液?

その後の記憶はぐちゃぐちゃですが、会陰切開部分を縫合されたり、綺麗にされた赤ちゃんと初対面したり、抱っこしたり、写真撮ったりしました。

赤ちゃんの大きさは約2100g。推定体重より200gほど小さく、低体重出生児でした。また、低血糖と出産直後の呼吸障害も認められ、NICUに入院することが決まりました。

一旦赤ちゃんと離れ離れになり、私は分娩台の上で休憩。パートナーに出産の連絡をしたり、出産を振り返りながら余韻に浸っていました。

もっと詳しく書きたいけど、書くことが多すぎるのでとりあえず出産レポートはここまで!

次は、転院とNICU生活についてぼちぼち書いていきたいと思います。

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