井の頭通信 05
1
職場近辺の建物が次々に取り壊され,まっさらになっていく。井の頭線の沿線のなかで,ことさらに高齢化が進んでいる地区なので,それが関係しているのかもしれない。
それからこの地区は,とある,同じ苗字にやたら出会う。というのは江戸時代,鳶職で財を成した一族の拠点がこの辺りにあったとのことで,「◯◯建設」,「◯◯医院」,たくさんの豪奢な一軒家にかかった「◯◯」の表札といった共通の姓に,末裔たちの繁栄の名残が認められる。これらはA美さん(井の頭通信02に登場)から,日本型のメリトクラシーを概観するさい教わったことだ。
その「〇〇医院」の対面にあった分譲住宅も,現在重機によってぶち壊されているただ中にある。この現場で働いている解体業者が,棟梁から若者までがみな,地中海出身(おそらく,ポルトガル)と思われる男たちでなかなか珍しい風景だ。いつも仲間たちとお喋りしながら仕事をしている様子で,出勤時に目があったりすると,わたしににこやかな笑顔をたむけてくれるような明るい男たちだ。
昼休憩になると,男たちはコンビニで弁当を買い(パスタを買っているのは見たことがない。セブンのパスタは,たしかに食べれたもんじゃないからね),オレンジジュースを買い,公民館の柵の下で一列に座って休んでいる。サザンカが生い茂る生垣の脇で。よく日に焼けた肌を,ねずみ色の顎鬚が覆っている。一群のなかで,年長者たちはその中に白髪が混じり,腹が豊かにたるんでいる。ショベルカーのキャタピラの上を,ヘルメットさえ着けずに乗り回っており,隣の民家を破壊している大工のおじさんたちが青い顔をしていたりするが,私としては,平日の渇きに牧歌的なニュアンスをもたらしてくれるので,気に入っている。
2
水曜日は浜田山でたゆたった。
曇り空,それも,湿気を孕んだ曇天で,週の真ん中ときたら,元気なわけはなく,デスクに向かう顔は自然と鬱蒼として,背付きなんかもヤナギの枝のように垂れ下がっていくわけだ。空模様なんかで容易に気分が乱高下しちゃってば情けない。
こういう時,会社の上司はというと,不思議と機嫌がよかったりして,わたしの顔を覗き込んでは,「あらら,また宿酔ですかな🥴」と,気にかけてもらえてんだか,お小言なんだか,判然としないニュアンスで話しかけてくるから厄介である。お昼休みはいつも公園のベンチでカップ麺を片付けて,しばらくぼーっとしているのだが,雨に降られるとそれも叶わず,左手で傘をさし,右手にトルティーヤを持って公園の外縁をぐるぐると何周もするという,きわめて不審な格好になってしまう。どこか飯屋に入ればいいのにね。
ランチ。これにはわたしの無念がある。会社周辺の飲食店は量的にかなり乏しく,つまり飯屋が全然なく,カレー・おそば・ラーメン,はいおしまい! といった状態にある。これによって,健全な価格競争が産まれないから(地域住民の所得水準の高さも多少は関係して),ふつうのラーメン並盛りが¥1,000だかする。わたしはふつうのラーメン並盛りに¥1,000なんぼも出せるような給料はもらってないし,翻ってみるに,だらだら数時間会社の机に座っているだけで,たかがランチにコンビニ飯以上の金を払うのはわたしサイドとしても割に合わない出費だと思っているのだ。こういう働き方を続ける限り,せめてもの自罰として,ランチはカップ麺なのだ。
働くようになってから,朝餉はとらないし,ランチもこの有様,といった食生活が固定されている。そうなると,皺寄せは当然,夕食に行く。
自宅がある明大前には,まるでまともな飯屋がない。本当にない。そもそも,明大前でなにか食べる,ということが考えられない。それは恥辱にまみれたことだ。それから,雨降りの吉祥寺は,井の頭公園の池からとんでもない量の蒸気が昇り,仕事を終えた雑踏たちが燻らせる体臭がそこに混ざって,皮脂のシャワーを浴びるような格好になるから,回避が吉なのよ。
2-1.浜田山にて
京王井の頭線 浜田山駅についての予備知識は以下のとおり。
実際,山とかはない
各駅停車しか停まらん
日本で一番ポルシェが売れる販売店がある
井の頭線のなかでも上位のハイソエリア
駅のホームは半地下になった改札へと通じ,家路につくサラリーマンたちの流れにしたがってそちらへ降りてゆく。といっても,改札も出口もひとつで,迷いようはない。
改札を抜けると,ぴかぴかの成城石井が迎えてくれる。・井の頭線のなかでも上位のハイソエリア との下馬評通り,我らの西友は道の遥か遠景に退いて,ちょっとシックな雰囲気を醸した素敵なメインストリートでお迎えされる。マックも,日高屋もない。澱んだ空気,およびウィークデーからの逃避先としては,おあつらえむきだ。
たい焼きは周りの皮から食べるタイプで,いきなり餡から行く勇気がない。こういうのはなんにだって当てはまるわたしの悪い傾向で,好きなアーティストのニューアルバムを,リリース当日に聴けない。友だちからの楽しげなラインを,すぐに返信できない。新しいAirPodsを買って数日の間,封も開けなかったことがある。気持ちはとっくに舞い上がってんのに。気持ちがはやればはやるほど,それに向かう足取りはタルく,鈍る。
街歩きもそう,ブックオフに小一時間ほども居,街の外堀を埋めるが如く,誰もいない,みるところも無さそうな住宅街を歩き回り,お酒を欲する喉の渇きが臨海まで達して,やっとふたたび中心部に戻る踏ん切りがついた。これが浜田山だったからなんとかなったが,わたしは札幌でもモザンビークでも月面でも,同じことをするだろう。
己の嗅覚を頼りに酒場の鉱脈を探っていく。といっても,前回の富士見が丘編 ほどではないが,とてもコンパクトな街だから,足取りのおぼつかないサラリーマンたちの来た方を遡上すれば,居酒屋はすぐに見つかる。
浜田山の場合は,駅前通りにファミリー向けのレストランや鮮魚店やドラッグストアやお寿司屋さんが軒を連ね,その建物群の真裏に,手のひらサイズほどの歓楽街がひらかれている。
そして,
今回も,わたしの店選びにおける嗅覚は圧倒的に光の方を指し示し,とても良い夜となった。店内は落ち着いていて,子どもを連れた常連客も,地元のハイソサエティな雰囲気漂う常連客たちも,異邦人たるわたしを心地よく無視してくれ,やや過剰に抑えられた照明のなかで呷るホッピーの濃さは,水曜日の夜を急速に喪の作業へと向かわせていった。一人で飲んでると,ついつい,自己との対話から始まって感傷を帯びた暗い気分になっちゃうけど,こういうお店はとにかく焼酎が濃いから,鏡の向こうの自分を見てる余裕がないくらいテンポが高なって好き! てか! 濃すぎ!!笑笑 殺す気か💚💚 かかってこいよ💜💜 殺してやるよ🤍🤍🤍
2−2.ふたたび浜田山で
楽しい夜から数日後,すっかりレジーム認定された浜田山にふたたび降り立つこととなった。反復が大好きで,気に入ったものを気が狂ったように触り続けるのがウチ。
飲み友だちの川島と佐藤餓死が来てくれたので,駅前の居酒屋で飽きるまでお酒を飲んで,飽きたから公園まで歩いて,毛並みのいい浜田山犬たちと一緒に芝生で寝っ転がった。決して歓迎されている感じはしないが,わたしみたいな貧相な若者を,程よくほっといてくれる街だな〜と思ったりした。それでも,大声で走り回ったりするのはなんとなく憚られたから,そのあと久我山の日高屋に行って,大声出した。
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