見出し画像

9/17~練習

9/17
 『口紅に残像を』がめちゃくちゃ売れているらしい。tiktokで話題になって、若い子が書店で文庫版を買うから重版したらしい。40年前の小説に重版がかかるというのはあまり聞いたことがないし、筒井康隆のファンとしては嬉しいことだと思う。
 いまだにそういうバズマーケティングのことを腐してるひとたちはたくさんいるし、tiktokのことをまだ乳のでかい女が胸を揺らしてるアプリって思ってる人がたくさんいるということは残念だ。すくなくとも、ツイッターよりは民主的な世界を見ることができる。
 本に関しては、売れなければ意味がないし、売り方を選んでいては出版社が潰れてしまう。tiktokユーザーがより購買力を持っているのだと判断すれば、tiktokユーザー向けの広報をしていくべきだし、そう、ツイッターにはうんざりだ。逆にうんざりしてないの?みんなは?

9/18
 まったく眠れないから足に指が何本ついてるか数えてたらナホちゃんから連絡がきて、睡眠薬をもらおうと思ってるんだけど相談に乗ってほしいとのことだ。ロゼレムは朝起きれるようになるだけで意味ないから安定剤も一緒に書いてもらうといいよとか言った。日に何時間寝ればいいかは人によって違うからもともとショートスリーパーだった人が無理して眠らなくてもいいとは思っている。がんばっても3時間しか寝れない日が続くと不安になるのはわかるが、その不安こそがメラトニンの分泌を阻害させている原因なのかもしれない。薬を飲むと眠くなって夢もみないでぐーすかという印象はアクション映画の観すぎで、悪徳政治家の豪邸に侵入する際に門番を務めておる屈強なピットブルたちのもとに強力な睡眠薬入りのステーキ肉を投げ込むとか、そういう仕掛けがよくない。留置所にぶち込まれてこの間出てきた友人の友人の体験談を聞く機会があった。留置所はなかなか厳しい環境で夜寝つけず、そのうえ勾留から10日も経つとドラッグ常用者には断薬の離脱症状がでてくるので、逮捕者には睡眠薬が処方されるそうだ。ただ、留置所で支給された飯や薬やそういう物資はすぐにその場で使用しなければいけないそうで(自殺とかODを防ぐために?)、それがどんなに合わない薬でも一度処方されれば2週間服用しつづけなくてはならない。そのときは相当強い薬を毎日飲んでいたため、壁からゴキブリの幻覚があらわれたという。まあとにかく、留置所の話はおもしろかった。それからわたしも眠れないんだからそういう相談はしてくるな

9/19
 その夜君の友人が紹介してきた男が東京で一番のゴミ野郎で、どうしたらそこまで俗物になれるのかまったく理解できないし、そんな男を君に紹介する友人の評価についても考え直した方がいいかもしれないようなときに、その会を早々に切り上げるのは簡単である。
 人間関係の厄介なのは、自分を不愉快にさせるような喋り方しかできないようなやつと、こいつとは同じ沿線にすら住みたくないなと思うようなやつと、実は趣味嗜好がかなり似通っていて、そういう話題だとぴたりと意見が合うというような状況があり得るということだ。
 あらゆる嗜好のなかでもポルノの趣味について同じ目線でなにかを共有できる相手というのはとても貴重なもので、よりによってその相手がさっきのゴミ野郎だったりすることはよくある。よくあるのだ。そうなってくると歯がゆくて、一刻も早くそいつと一緒にいる時間を終わらせたいが、そいつがポルノや、ああ、そういった関心事についてなにか論じるのに共感してしまう自分がいて、その論の明晰さ、視座の確かさには思わず深く首を頷けてしまいそうになる。だが相手はゴミ野郎で、朝の新橋駅ガード下で野垂れ死んでてもカラスも喰わないようなゲテモノだ。だが、だが優れたポルノ女優の射幸心をいたく逆撫でする目線の運ばせ方の卓越した技術などについて理解できるのはそいつくらいのもの、ということだ。
 

 それが人間関係にある厄介な点だ。

9/20
 東京で仕事をするならば東京か埼玉、千葉、神奈川に家を借りるか、買うかしてそこから通勤することになる。収入の関係上より限定的になるだろうが、各種学校への通学の場合も同じだ。東京は特殊な土地だからそうやって複数の地域の住居を構える選択肢があるように見える。だがそれは見かけだけの話で、ほんとうはもっと住める範囲は少ない。
 総務省の統計によると2012年の調査だが東京では通勤・通学に自家用車を用いると答えたひとは全体の9.4%で全国最低の割合となっている。反対に鉄道・電車の利用率は44.5%と47都道府県中最も高い。
 山形県の自家用車利用率は77.6%で、これは全国最高だ。
 

 東京都市圏に暮らす人と山形県で働く人の大きな違いは当然、鉄道に依存しているかどうかというところにある。ほとんどの地方部では自動車を使って通勤・通学をしているから、鉄道沿線に住む必要がない。土地全体を面、鉄道沿線を線と捉えるなら、彼らは面全体のなかから居住地を選ぶことが可能だ(当たり前だが街の中心部の方がある程度利便性は高い)。
反対に面の中の線を使って移動をする都市部の人たちは、線の近くに居を構える必要がある。東京は鉄道、メトロなど様々な路線が絡み合っていて、移動に際して不便に感じることは少ないかもしれないが、住む場所を決めるとなるとこれが全く自由でないことが明らかになる。
 江戸時代から東京には下町と山手という土地の序列分けがあって、おおまかに海抜が高い場所に武士や貴族が暮らし、低い場所には貧しい人々が暮らしていた。
等高線上に異なる階級性はいまでも残っている。23区別の、いやもっと町レベルで分割できるが、その地区の住人の平均年収と土地の高低差は基本的にリンクしている。そういった土地にある駅の周りや沿線に住むことができるのは当然経済的に優れた人で、わたしたちのような働きはじめたばかりの20代には関係ない。山手と呼ばれた場所に位置する沿線は殆どがそうだ。
 そうなるとその場所を避けて住むようになるが、当然山手エリアの方が利便性が高く、家賃が安くなるほど移動に苦労するようになる。これが線上で住居を選ばなければいけないことの弊害だ。

9/21
22:54 わたし 締め切り日いつ?その日に原稿送るんでしょ

2021.09.21 火曜日

06:15 川島 9/30
06:17 川島 web応募できるから日付が変わるギリギリまでセーフって感じ。

12:03 わたし 終わったら飲も

13:07 川島 是非とも

16:47 わたし 追い込め追い込め

19:46 川島  

 午前中、昨日と同じくアルバイト。黙々と漫画にシュリンクを掛け、入荷物を開き、紙製のブックカバーを折りながらレジに立つ。帰宅。母と姉がリモートワークで家にいる。昼食はレトルトのカレーを食べる。最近辛い食べ物を克服しようと挑戦中である。時刻としては十四時半過ぎ。食後は珈琲を入れてPCに向かうも捗らない。一応言い訳がましく机の前に座ってはいるが一文字も進まず。十六時半頃、飲酒。多少は進展あり。PCを見てばかりだと気が塞ぐので、印刷して赤ペンで推敲。そのうちに夕飯。十五分ほどで完食。再び原稿。思い立って窓を開ければ、中秋のスーパームーンかつ朧月。悪くない気分。この勢いで小説が進むとありがたい。それはさておき、発破かけて頂きありがたく思う。追い込み、頑張ろう。この先も永遠と・延々と同じ小説を書いていたい気もあるが、いつかは終わらせなければならない。君と酒を飲める日を楽しみにしている。
 今日はある種の自動筆記として。徒然に、浮かんだままに。(2021.9.21.19:45)

練習

 護岸から架けられた桟橋の先端は広さにしてテニスコート一面ほどの筏に繋がっている。湖の揺らぎに操られどんぶらこ上下している筏には白いキャンバス生地でしつらえたソファが二台置かれていて、同じくどんぶらこしている。ソファは特等席で、湖の全景を見渡すことができる。パノラマビューを遮るものはなにもない。表層で動きのとろい白っぽい小魚が数匹の群れを組して遊んでいる。老人が釣り上げる。なんの喜びもござらんよといったふうに次々と小魚を水面から抜いていく。その魚はワカサギという名前になってその夜かき揚げになる。

 この筏がさらに卓越しているのは、ソファの後方、ビーチパラソルと椅子の横側に小さなバーカウンター付きの小屋があることだ。アロハシャツに見たことのない柄のカーディガンを羽織った男がポップコーンとチョリソーを焼いていて、ビールを三百円で出している。まったく信じられないことが起きている。ウイスキーの炭酸割りに至ってはもっと安い。なあ教えてくれよ。いったいどこに、こんなに気持ちのいい秋の空にうたわれて、清潔で眺めのいいソファに座りながら、千円札で三回ビールが飲める場所があるっていうんだ?ここのほかに?

 なるかとクロミは二台あるソファのうち左を占領していて数時間席を離れなかった。わたしは神学部で、これらは英米文学部で、いまこれらはAdobeのソフトを使ってなにか一枚のイメージを作っている。なにか一枚のイメージだと?大学が休みの日に神奈川まで着いてくるというのでわたしが特に気に入っている湖に連れてきてやったのだ。そんな折にノートパソコンを持ってくるな。

 「なあクロミ飲まないかおごってやるよ」「いらへん」「なあクロミあっちでスワンボートに乗れるぞ」「のらへん」「おい、クロミくつろぎに来たのだからそのキーボードのうるさいのやめろ」「やめへん」という具合にとりつく島もないのである。なるかは聴覚に障害があって、ほとんどなにも聞こえていない。ただときおりクロミのパソコンを取り上げてなにか素人にはわからない修正を施しているのである。これらのアホは諦めて、ヘッドホンを取り出し、秋に毎年きく曲を聴いて、すっかり機嫌をよくして遠くを泳ぐカヌーに手を振ったり、なまずにポップコーンの残りかすをやったりしていると肩をとんとん叩かれたので振り返るとクロミが立っていてチョリソーを食べたいという。「一緒にチョリソー食べようやぁ。」クロミの使っている通学用の鞄の中は、いつのかわからない薬局のレシートや焼肉屋で最後にもらうペパーミントガムが熱でぐにゃりと曲がったものなどで散らかっていて、厳しい段階で汚い。だからクロミをチョリソーを手掴みにしたてかてかの指でキーボードを触ることについて特に気にしない。わたしはこのアホの持ち物が汚れようが関係ないから知ったことではない。なるかはかなりものを丁寧に扱う男だから、その辺については嫌じゃないのかと感じるが、やはりそれも知るか。こういうわけでわたしの水曜日は終わったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?