ごくつぶし。

外へ出ることに「ふつうじゃない恐怖」を感じてしまうぼくのことを考えて、母は、休みのたびにぼくを外へ連れ出してくれる。あまり人の多いところへ行くと、母と一緒でも手がふるえたり、吐き気をもよおしたり、腹痛や頭痛が起こったり、食事をしても、食べたものの味が分からなってしまったりするから、しょうじき、あんまり外へは出たくない。

それでもぼくを見捨てないでいてくれる両親には、いくら感謝をしても足りないや。ぼくは両親が老後を迎えるまでに独り立ちすることができるのだろうか。このままでは両親の死を追いかけるようにして自分も死ぬだろうから、何だか怖いな。それに、両親の死を追いかけるようにだなんて、恩を仇で返すようで、申しわけがないよ。

きょうも、母は夜勤明けだというのに、ぼくを外へ連れ出そうとした。

ボーナスが入ったからと、ぼくらはふたりでお寿司を食べに行った。ふだんは100円寿司にしか行かないけど、きょうは特別よ、と「銚子丸」へ。

50歳を迎えた母と、25歳の肥満男性なのだから、当然といえば当然だけど、ぼくは母よりたくさん食べる。ぼくは自分でお金を払うことができないから、なるべく食べる量を抑えようと試みる。しかしそこはデブである。美味しいものには目がない。ついつい食べすぎてしまう。

いつも、食べてからひどく後悔するんだ。

ブログを書き、そこから少しばかりの収益を得ているとはいえ、更新は2日か3日に1回。週に2、3日しか働いていないような人間が、しかも成人が、親のすねをかじって生活しているばかりか、母親をさしおいて、お腹いっぱいに美味しいものを食べることは、とても心苦しいものだ。

ありとあらゆる「ふつうのこと」がまったくできない自分の不甲斐なさ。昼間から働かずに親のお金で食事をする後ろめたさ。親のすねをかじりながらその親よりたらふくご飯を食べる罪悪感。お寿司はとっても美味しいのに、何だか涙が出そうだったよ。

母は「いつも家のことを手伝ってくれているから、そのご褒美よ」と言って笑った。

ぼくは素直にうなずくことができなかった。

そのあと、母が「デザートを食べよう」と言って、ミニストップに入り、ラムネ味の「ハロハロ」を食べた。はじめて食べたんじゃないかしら。

むしむしと暑苦しいなかで食べるかき氷は格別だった。でも、ぼくはかすかに、自分の胸の中にも「暑苦しいような何か」があるのを感じたんだ。

悲しいより、楽しいほうがいい。

せっかくのお母さんからの厚意なんだから、楽しく食べればいいじゃない。

ぼくもそう思う。彼女が何か悩んでいるときには、ぼく自身そのように言うこともある。ただ、その言葉を自分にもかけてやれるかというと、まあ、ここまでの文章を読んでくれた人なら分かるだろう。


この記事を書き終え、公開設定をするとき、ぼくは当たり前のように「うつろぐ」というマガジンに登録しようとした。「うつろぐ」はぼくの「うつ」の記録をまとめたものだ。

そこではたと気づいた。

このまま、この話を「うつろぐ」マガジンに登録してしまったら、ぼくは母の厚意を「嫌な思い出」にしてしまうだろうと思ったんだよ。

内容は少々暗くなってしまったけど、いつか人からの厚意を「情け」ではなく「厚意」として受け取ることができるようになりたいという期待を込めて、この記事は「うつろぐ」ではなく「日記」ということにしようと思う。


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