情けない山野の現実❷

廃棄物の最終処分場を知ってますか?
燃やしたゴミの焼却灰や、再利用・再資源化が困難な物を埋め立てる施設です。

【私が若い頃の昭和時代は、燃えるゴミは自宅前で燃やしたので経験が有るのですが、必ず焼却灰が残ります。学校にも焼却炉が有ったので、溜まった焼却灰は袋に詰めて[焼却ゴミ]として出していたのです。今は個人でゴミを燃やす事が禁止されてますので、焼却の経験が無い人は[燃やせば跡形も無く消え失せる]と思ってますよね】

東京都では東京湾の中央防波堤埋め立て処分場が知られてますが、では地方では何処に処分しているかご存知ですか?今回はそれを含めた山野の現実です。

或る峠越えの国道を走行すると、およそ標高300mの地点の広場に数人が集まり、道路脇の斜面に屈んで何かをしていました。
私がその国道を利用するのは年に数回程度なのですが、人の姿を見ない日がありませんでした。
或る時、友人の車に同乗して通過すると、いつもの通り数人の人影が見えたので、
「…あそこは何時も人が集まってんだよね…」
と独り言を呟くように話すと、友人は理由を知っていたらしく、
「あそこは水場だ、美味しい水が湧き出るって有名なんだ」
との事でした。
納得した私でしたが彼は、
「でもあの上(奥)はな・・・」
と口を濁します。
私としても、その近くに走行車内からもよく見えて、頻繁に利用されていると思われる広い幅の山道が気に成り、途中停車してまで湧水を汲もうとは思いませんでした。
その数年後、新聞に小さい記事が載りました。
{在る地域の湧水から有害物質が検出された為、利用を禁止する}
のような文章だったと思います。
テレビのニュースでも映像が流れたのですが、
…何処かで見た景色だなぁ…
と思い住所を確認すると、まさしくその国道脇の水場でした。
その時初めてその山奥で何が行われているのかを記事で知ったのですが、一般廃棄物の最終処分場(埋立地)だったのです。
但しですが、いい加減な清掃業者ではありません。その当時の構造基準と維持管理基準で運営された正規の業者の周辺での出来事です。
この湧水、この場所では川には流れず地表に吸い込まれるのですが、永久に放出されるのです。
当時の山奥へと続く道は土が剥き出しの簡単な整地で、ゲートが有ったのか記憶に無く、入口の看板は車内からは読めなくて消え掛かった文字でしたが、現在では舗装された道路が作られて厳重なゲートを構え、入り口の看板は左右に二つ在り、明るい色の文字で「リサイクルセンター」と紹介されています。

もう一つ、登山後に確認した現実で、標高800m程の登山での記憶です。
集落に向かう田畑に囲まれた道を進み、登山口の案内で作業道路に入ると、終点に車が3台程度停められるスペースに到着します。
周囲は目の前が山肌と田畑が広がる光景です。
足元には清水が湧き出て芹(せり)が自生しているのが見えます。
そこには神社へと登る参道の階段が在り、そこから登山道が始まります。
神社の裏手を登ると未舗装の(荒れてはいるが)生活林道が現れ、道なりに登ると左手に下って行く登山道を進むのですが、何気なく林道の下り坂方面に目を向けると、直ぐそこ迄が綺麗に整地されている事に気が付きました。
…中途半端な整備だなぁ…
と気になったので、帰りは意図的に林道伝いに遠回りで下山してみました。
すると舗装された道路が現れ、左側には入り口らしい物と高い塀が築かれていました。
登山の相棒に、
「…これ何だろうか?…」
と呟くと、
「埋立地だ、ゴミの」
との返事で、この時初めて山間部の最終処分場を目にしたのです。
そのまま道なりに下山すると、何かを積んだ数台のトラックとすれ違いましたが、お互い言葉には出さず納得した次第です。
嫌、正確に言えば、直ぐ下に集落が在り田畑が広がっているけど・・・、
…現実ゴミ問題は綺麗事ではない…
と自分には言い聞かせたのでした。
後年、再度登山で訪れると全線舗装道路と化し、その過程で埋立地を更に奥に広げたようで、山奥にしては谷側が所々平らな場所が目に付きました。
でも草木に覆われていますので、元々の地形を知らないと、素人さんには埋立地跡とは分かりませんね。
でもハッキリと分かる場所に遭遇します。
景勝地でもないのに広々とした平地が築かれて東家が一つ建ち、その土地に立てられた看板には、
【林道機能高度化事業 ー 林道沿線休憩広場】
との文字が書かれていました。
しかし林道を通る車は極端に少ないようで、利用された跡は入り口付近に車を駐車場したであろう状況で、だだっ広い土地は草に覆われて見窄らしい姿です。
…この下に埋まっているんだよね…

この記事を書くに当たって、最終処分場の稼働地を調べましたが、東京湾と同じく海への埋め立てと山間部との数は全国で1700件以上在るそうです。
平均すると一つの都道府県に30箇所以上存在します。
昔の里山は、山菜・キノコなどの食料調達と木材・炭作りなどの自然資源利用など生活に活かしましたが、
現在の里山利用は、ゴミ(廃棄物)捨て場と化しているようです。
これで「外国人に山を買わせるな!」と言う声が虚しく聞こえるのは私だけですかね。

古代人の最終処分場(貝塚)には生活の上での文化・文明を感じますが、現代の最終処分場・埋立地には、贅沢な【排泄物】を感じます。
これで生活圏を脅かされるのは、野生の動植物達(自然界)なのですよね。

だからと言って否定は出来ません。私も毎日ゴミを捨てて(製造)いるからです。

次回は不法投棄と山野の問題で、これこそ野生動物には死活問題です。

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