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あだ名がなくなる社会

小学校で、『あだ名』や『呼び捨て』で呼ぶことを禁止とする指導が増えているそうだ。

「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

『さん付け』にすることで、相手を尊重する心が芽生え、いじめを減らすことに繋がる、という意見があるそうだが、『本当か?』と疑問しかでてこない。

もちろん、言われた本人が不快に感じる『あだ名』はあるだろう。私も幼少の頃、自分が嫌だなぁと感じるあだ名をつけられたこともあった。

それでも、『あだ名』で呼ばれたり、『呼び捨て』されることで、友達との距離が縮まっていったことが多いのも事実だ。仲良くなった友人たちとは、あだ名や呼び捨てで呼びあっていた。

最近の世の中の風潮は、『木を見て森を見ず』ということが多いと感じる。あだ名によって、不快に感じる子がいることは、事実だ。だからといって、あだ名をなくすことが正解だとは思わない。それによって、失うものもたくさんある。

違う話かもしれないが、マイノリティやLGBTなどの問題に関する対応も同じように感じる。その問題だけに焦点をあてれば、その考え方もあるだろう。しかし、何か度が過ぎていることも多いように感じる。

『さん付け』にすれば、相手を尊重する心が身につくとは限らない。うまく言えないが、『あだ名』や『呼び捨て』がなくなることで、人と人のつながりが薄くなるのでは、と危惧をする。

これが、また小学校で行っていることに怖さを感じる。ある意味、学校教育は『洗脳』だ。子供たちが『さん付け』が当たり前になると、彼らが大人になったとき、世の中のすべてが『さん付け』が当たり前になるだろう。

そんな時代の人と人との心のつながりはどうなっているのだろうか。私は心配である。まさに、分断を進めようとしている支配者の思惑に乗っているようにも感じる。

自分の子供が、友達と呼び捨てで呼び合っている姿に、安堵はある。息子よ、どんどん呼び捨てで仲間を増やして、楽しい日々を過ごしてくれ。


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