悪い方が得をするのは当たり前


人生得をしたいならどんどん悪いことをしていきましょう。


どんな環境であれ、「悪いこと」というのは基本的に得です。
これは現代社会に限らず、遠い昔から遥か先の未来までこの原理に変わりはありません。
何故なら、悪いことというのは悪いことをされた側の人にとって損をする行為だからです。
この損の裏側には、やった側の得が隠れています。

例えば現代社会において泥棒というのは悪いことに認定されています。
この泥棒を例にしてみると、盗まれた人というのはモノが無くなったことで損をしています。
一方盗んだ側にしてみればモノを手に入れている訳ですから、得をしています。

例えばこれが殺人であれば、被害者の方は生存することすら出来ない状態であり、気軽に損といえるレベルを超えています。
一方加害者はと言えばムシャクシャしてやったのであればストレス解消になっていますし、
恨んでいる相手を殺したのであれば相手の存在を気にかける必要が無くなり圧倒的に得です。

その行動を取ることで、一方が得をし、一方が損をする。
そんな行動が頻発したり、またはそんな行動1つでも発生する損得の量が多大なものになるような類が常態化すると、誰が突然大きな損を受けるか分からない不安定な状態となってしまいます。
こうなると結果として集団で成り立っている社会の維持が難しくなる恐れがあるため、大抵はそういった行為を「悪いこと=罪」と定義し、罰を与えるように出来ています。
なので、基本的に悪いこと=してはいけないこと、となるわけです。
時代を問わず悪いことの定義とはそういうことになります。


ところがそのルールはルールとして置いておくとして、
悪いことというのはやってしまえばもうその時点で得である訳です。
罰があるから抑止力になっているだけで、
悪いことをやった瞬間から罰が来るまでの間というのは圧倒的に得をした状態です。
しかも、絶対に罰がやって来るとも限らない。

得をしているにもかかわらず裁かれない悪いことというのもいくらでも存在します。
例えば先の泥棒の例でさえ、被害者が声を上げなければ盗んだ側が一方的に得である訳です。

1.明確に悪いことと定義されていても被害者が声を上げない場合
2.明確に悪いことと定義されていないが、行為を行った側が一方的に得をし、受けた相手が損をしている行為の場合(ex.不倫、いじめ、ハラスメントの類※など)
(※いじめやハラスメントの類は現代でも裁く対象にはなっていますが、成立させるための道のりは大変難しいものになっています)
3.悪いことの定義がいずれであれ、損得の発生する行為が全く明るみにならない場合

これらの条件に当てはまっている場合、悪いことはやるだけ100%得です。

以前にオレオレ詐欺で大金をせしめた人間がクローズアップされていたのをTVで見ましたが、
いくら私達が何と言おうと、彼らは大金を手に入れたことは事実であり、
あのまま罰を受けることなく生活する可能性は非常に高いです。
「きっと天罰が下る」などと言ってみても、所詮は届かないわけです。
それどころか、一度手にした大金であれば、周囲を黙らせる力に使うことも出来るでしょう。


つまりは、悪いことはどうしたって得になります。
古代とは違い、現代社会には法律がありますから常に得とは言えませんが、
それをかいくぐるタイプの悪いことであれば100%得です。
法整備が整っている現環境では、如何に法律に被らないように悪いことをするかが人生得をして生きていくコツになります。

しかも、悪いことというのは基本的に行為自体が簡単です。
例えば何か行動を起こす際、それがどのくらいメリットがある行為なのかと考えることもありますが、悪いことというのは事前に明確に得であることが分かっているので余計なことを考える必要がありません。
あとはモノを盗んだり、人を騙したり。何かを傷つけたり。これだけでいいのです。
良心という観点を外してしまえば、実際に消費するエネルギーというのはとても少ないものです。
そんな簡単に得を出来る行為が「悪いこと」なのです。

しかしこれを誰もがこぞってやらないのは、社会を守るためのルールを遵守する方を優先させていたり、
「悪いこと」によって起こる誰かの損を自分の損、ひいては周囲の損だと考えているからだったり、
自分がされた側になれば報復行動があるという想像を働かせているのかもしれません。

少なくとも、周囲を慮る気持ちがあれば悪いことなどはしない方が得であるということもあるのかもしれません。


しかしこれらは一人一人に社会を守るという意識が無ければ成り立たず、
十割の人間にそれを求めることは実際問題とても難しい訳です。
そして「悪いこと」はやった時点で得をするのは間違いが無く、
人々が生活する社会の中で、今日もどこかで誰かが悪いことをして得をしているのです。

周囲を慮る気持ちがあれば悪いことなどはしない方が得であるかもしれませんが、裏を返せばそういった気持ちを持ち合わせていない人間であれば悪いことは躊躇いなく行えますし、結果として得をする人生を歩むことが可能になります。また、声を上げなさそうな対象を選んで悪いことをするのも大変効果的です。
悪いことをしない方と悪いことをして得をする方。
どちらが得をしているかは一目瞭然です。

はじめから結論は変わりませんが、
悪いことをしても相手の損に何も感じないような悪い人間が得をするのは当たり前ということです。
世の中最後に残るのは、人生得をして生きている人間です。


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