サイババに会いに行ったときのお話し

 サイババと一般に呼ばれていたインドの聖者さんに会いに行かせていただいたのは2008年の頃だったと思います。

 サイ・ババは1926年11月23日生まれ。日本ではアフロヘア―で
オレンジのロープを着ていて、灰を空中から出す。っていう感じで知られていると思います。
 サイ・ババの帰依者でババのアシュラムがあるプッタパルティにアパートを借りている方に声をかけていただき2008年生まれて初めてのインド旅行になりました。
 その当時のインドはまだ道路情報もそんなに整備されていなくて、高速道路なんてなくてバンガロール空港からスモーというタクシーのようなシステムにお願いしてプッタパルティに連れて行っていただくこと数時間。
 もっと早くに書いておけばよかったのですが、十数年経過してかなりインドの道路情報改善されているはず。だから時間も短縮されているかと思います。当時も道が凸凹っていうことはなかった気がしました。
 途中休憩でチャイ屋さんによって、ガラスに甘いチャイを入れてもらって。おいしかったなあ。あまあまで。
 
 プッタパルティについても最初はなかなかなれなかったんです。エンドポイントがわからなくて。旅ってどこどこっていう目的地にたどり着きそこで観光なり、勉強なりをしていくっていう目的があることが多いのに
 プッタパルティのサイ・ババのアシュラムに行くのは朝・昼の二回。ババがダルシャンと言ってマンディール(寺)にでてきてくださり、バジャンをみんなと一緒に聴くということをしてくれます。それに会いに行く感じの毎日。
あの時は数週間いたので毎日通っていたただそれだけなのです。
 少しでも前の方でババに会いたくて早めにマンディールに行って並んでいく。これもセヴァダルっていうボランティアの人たちで公平に並べられていく。密な状態に。一番前の方がくじを引いてくれてその番号順に入っていきます。 ライン占いっていうのがひそかにあってですね。
 ババに直接会いインタビューを受けるっていうのがその頃は皆無だったのでひそかにババに質問を心のなかでするのです。
 「わたしは〇〇という仕事と、□□という仕事どちらの道行こうか迷っています。8番なら〇〇、11番なら□□でお応えください」、これ確実に8番が出るとか、11番がでるなんてわからないのでどきどきなのですが、、、

 私は質問した数字8のラインになり、その時の質問は
8なら教育、11ならヒーリングに行くのですが、教えてください。と質問していました。

 マンディールの中はとても美しく、空気も気持ちいい。
その頃ババはかなり高齢で毎日のダルシャンで出られない日もあるといわれていたのですが、私が滞在していた日々は
2回ほどお目に掛かれなかったですが、あとは毎日お目に掛かれました。

 私はダルシャンの最後に行われる火の儀式ーアラーティだ大好きでその時のバジャンにいつもわくわくしていました。

 サイ・ババのことをなぜ思い出したのかわかりません。たまたまYouTubeで冝保愛子さんがサイ・ババに会いに行くという番組がなぜかあがってきたからというのもあります。

すっかり忘れていたサイ・ババさん。今回YouTubeから流れてきたバジャンを聴くと心がすっきりするような気持ちになりましたし、なぜか涙がでちゃたんだよなあ。

インドの抱きしめる聖者アマチさんもコロナでいらっしゃらなくなりました。インドに次に行くのはいつになるのか、はたまた行くのか
なぞですが、、、

 そして少しだけですが、グルを求めて世界をたまに旅してきたけれど。。肉体を持つ人の中ですごいと思えているのは
サイ・ババさんとあと少し実際に関わっていない方々であとは
俗っぽさをたくさん感じるシャーマンとの出会いの方もたくさんありました。

自分を高めていかないと、いつまでもぐるぐるまわっているだけなのかもしれません。

 

 


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