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1ー1 望まれて生まれてきた

 間違いなく「望まれて」いや「切望されて」生まれてきた。母は、21歳で結婚し、私の兄を産み、その大切な最初の我が子を亡くした。結婚してすぐに子宝に恵まれたのに、産まれた子は大きな障害を持って長く生きられないと宣告され、1ヶ月と2週間で見送ることになった。しかも、衝撃的な最期で。
 火葬の時に、自分も一緒に火の中に飛び込もうと思うほど辛かったと話していた。その後、何回か妊娠し、流産を経験した。妊娠を望んでいる母が、生理が来るたびガッカリして、妊娠を喜んで束の間、またもや悲しい別れに何度心が折れたことか。最初の子を亡くしてから、3年2ヶ月で、きっと待ち焦がれていただろう存在として、私は生まれた。身長152センチの母から3650gの大きな赤ちゃん。

 せっかく生まれた赤ちゃんを死なせる訳にはいかないと必死に育てたくれたのを感じていた。その想いは、父も母も同じだったはずなのに、通じあう余裕がなくて、いつもピリピリしていた。まだ母は、24歳。父は、29歳。私が産まれて嬉しかったに違いない。生まれて万歳!でも、それで終わりじゃないのが、子育て。生まれてみれば、熱も出すし、怪我もする。両親の心配は尽きない。心配の種を出さないようにするのが母の務めみたいな空気感がより一層、私には圧迫感があった。私に何か起こると、父は母に辛く当たった。それがとても悲しい。でも、私は死ぬわけにはいかないし、生まれた頃は、それでも楽観的だったような感覚もあったような気がする。きっと私は本質的には楽観的なのだ。それでいて、いろんなことを感じてしまう敏感で繊細な体質を持っていた。いろんなことが自分の中に入ってきた。表現しきれない分、それが身体に出てしまう。よく熱を出し、ちょこちょこ怪我をして、喘息持ちだった。
 それでも私は生きるよ。だって、死ぬわけにはいかないもの。

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