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あなたの人生第何章?

 人生を壮大な物語だとすると、今、あなたは第何章を生きている感覚を持っているだろうか。
 心理学講座でも、人生を設計するその物語の脚本を自分で書いているとして、その脚本を分析する。書き換え自由な壮大な物語を生きていると思うと、ワクワクするのは、どんなにヒドい出来事があったとしても、未来は如何様にも描いていけるというところだろう。

 さて、私はこの人生の第4章を生きているという感覚がある。
どの章も、大きなドラマがあり、どん底とその中でのチャレンジと発見に満ちている。その時は、未来など知ろうはずもなく、必死こいて、泣きながら乗り越えてきたような感覚がある。そして、歓喜もある。
 次の章に入ると、違った意識状態になるために、過去の景色が、その時と質感のようなものが変化する。起こった出来事は変わらないのに、色が違うような空気や香りが違うような、そして、その出来事を通じて、知らなかった自分を知るようになる。次の章になると見えてくる。知らなかった自分を知るということは、何らかの意識の変化、拡大、覚醒のようなことが起こり、それは魂が知っていたことを思い出すようなことでもある。ぜひ、ご興味ある方は、自分の物語を振り返ってみて欲しい。面白い発見と、今を生きる大切なエッセンスを顕在意識レベルで知覚できる。それは頭(思考)と心(直観)が統合することを助ける。

 私の場合、第1章は、誕生から18歳まで。
第2章は、18歳から36歳まで。
第3章は、36歳から50歳まで。
第4章は、50歳から現在も進行中である。

それぞれの章にタイトルをつけるとすると。
第1章 この世の牢獄を生きる
第2章 この世の幸せを生きる
第3章 この世の使命を生きる
第4章 あの世の導きを生きる(仮)
というところだ。第4章は、「今」だから、その全容は私にもわからない。次の章に行かないと、第4章がなんなのか、それはわかりようがない。体験を通じてしか、その本当の意味を受け取れないからだ。仮であるけれど、タイトルをつけられたのは、今までと違う感覚はあるからだ。それは、「私」という願望より、その奥の何かに突き動かされている感覚が既に何度もある。今まで、それがなかったかというと、「ずっとあった」。結局のところ、人生のあらゆる瞬間にそれは私を導いてきたのだ。それでも、それを取り戻していくには、様々な体験と、それを通じて自分を知っていくプロセスが必要だった。そうじゃないと「知っていること」は、ほんの表面だけになってしまっただろう。同じことのようで何度も何度も、その真実の奥深さを知っていくことこそ、生まれた意味なのだろうと思う。

 私は、第1章で、産まれて初っ端、絶望を感じた。そして、この世の限界や地獄と思えるようなことを受け入れて、生きることを選んだ。そこで生き延びる術を学んだ。悲惨なこともあったし、いいこともあった。各章では、いいことも、そうでないことも、両方ある。ずっと同じ時はない。常に変化の中にいるのがこの世なのだ。

自分自身のために、各章を振り返ってみることにする。続く。

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