『夢を売る仕事』の《実力》とはなにか〜宝塚とラグビーと〜
宝塚歌劇団宙組トップ娘役 星風まどか
専科に移動
昨日、世のヅカファンに激震が走った。
首席入団、歌、ダンス、演技と三拍子揃った実力派、気になるのは顔がやや丸すぎるくらい、
という彼女が、スペシャリスト集団として全組に出演可能な専科に移動する、この人事は何を意味しているのか?
世の流れには全く関係のない話題ではあるが、ヅカファンの中では『一大事件』として、SNSは連日沸騰している。
いつもの事だが、
宝塚の人事ほど、『大人の事情』を感じるものはない。
私はラグビーファンだけれど、
『姫野くん、なんでもできるから、、、代表になれないかもね』なんてことは絶対起こらない。
ラグビーでは、ラグビーのスキルこそが実力なのであって、より高いスキルを持つ者が代表の座に近づく。
とてもわかりやすい。
その卓越した技能
福岡選手のラン、松島選手の華麗なステップ、姫野選手の力強さそれこそが、『実力』であり、
観客に『夢』を見せる。
もちろん、その時の代表監督が掲げるチーム方針に合わなければ、いくら『実力』があっても選ばれないことはある。
サッカーなら、その昔、トルシエジャパンで中村俊輔が代表から漏れたことがその例に当たるだろうか。
チーム方針にフィットした選手か否か
これはある種の運もあるが、方針に合わせる柔軟性もまた実力だろう。そして、たとえずば抜けた実力があっても
怪我をしては選ばれない
『無事.これ名馬』これもまたスキル同様に求められる『実力』なのだろう。
この『実力』なるもの。トコロ変われば内容も様変わりする。
宝塚は商業演劇、主に女性が『夢を見る場所』だ。
舞台という世界の裏は実に複雑だ。なにより公演にお金がかかる。となると、その費用の工面は
観客に頼るか、スポンサーに頼るか、
その2択になる。
もちろん、お金だけが理由ではないが、
一昔前の宝塚人事は、専ら観客の意思以外の要素に重きを置いた感がある。
ビジュアルはいいが、それ以外は素人レベル、というトップと、彼女を舞台上で支える実力派の脇役達
というなんともアンバランスな舞台も少なくなかった。
この形で一定の舞台の質を保てるのか。答えは否だ。宝塚の場合、トップは常に主役であり、メインテーマを歌い、真ん中で踊るのだから。真ん中の脆弱な舞台ほど、見るに耐えないものはない。
しかし、劇団としてはお金が入りさえすればいいのだから、いわば大根トップが務める悲惨な舞台が、より多くのお金を劇団に引っ張ってくるならこれでよし、という価値観だったのだろう。
しかし時代は移り変わる。
エンタメは多様化、ミュージカル界も劇団四季等の台頭で、人は幼少時からハイレベルのミュージカルに触れるようになった。
宝塚歌劇は『歌劇』を演じる事を許されなくなった。『ミュージカル』を演じなければ!この潮流に乗るために人事の路線変更が始まる。
三拍子揃った実力派トップコンビ
この、当たり前のようで、かつては滅多に実現しなかった人事も、最近では当然のように行われる様になった。
雪組公演『ファントム』
超実力派トップコンビ、望海風斗、真彩希帆が奏でる珠玉の歌声は
宝塚を超えた名作
とまで言われた。このネーミング自体が、宝塚の全てを物語っている気がするが。
もちろん、『女性が夢を見る場所』たる宝塚は、ビジュアルもまた揺るぎない『実力』であることは今も変わらない。
ビジュアルばかりであまりにスキルが乏しいのも困るが、これがあっての宝塚、というのもまた真実だ。
さらに、
エンタメの世界には、他の全ての要素を凌駕する『実力』が存在する。
『華』というものだ。
私の日舞の師匠曰く
『舞台上の華と品は、人が持って生まれたもの。あとからどんなに稽古したってつくものじゃありません』
これはある意味真実だと思う。
別になにがうまい、って訳じゃないけど、舞台でとにかく目立つ
必ずこういうタカラジェンヌが各組に存在する。
舞台を征服する力
舞台人として最も求められる実力は、この『華』なのかもしれない。
この『華』なる実力、それは舞台だけに必要とされるものではないだろう。
ラグビーにおいてはあくまで付随的な実力だけれど、『華』のある選手というのは人々の記憶に残る。
ラグビー界永遠のスター平尾誠二さんが、私達の心にいつまでも住んでいるのは、プレー中の輝くような華ある姿が焼き付いているからだ。
その世界で必要とされる『高いスキル』と
その世界を『自分のもの』にする『華ある存在感』
どちらが主でどちらが従なのか、程度の差はあれど、
夢を売る仕事
その最前線に立てる人は
神に選ばれた
そういう人間なのだろう、おそらく。
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